ESGをめぐる現状と課題について教えてください。(前編)
企業活動や投資で重視されるESG(環境・社会・企業統治)。ロシアによるウクライナ侵攻をきっかけに、防衛産業もESGに含めようという動きが見られます。ESGの再定義が進む背景には、インフレと金利上昇を受けてIT銘柄の株価が下落基調に転じるなど、ESG運用の失速という差し迫った事情もあるようです。
原発や天然ガスは「E」? 武器・兵器は「S」?
企業活動や投資におけるESG(環境・社会・企業統治)重視の流れが曲がり角を迎えている、といった論調が目立つようになってきました。その背景として最も分かりやすいのが、今年(2022年)2月24日に始まったロシアによるウクライナ侵攻の影響です。
例えばEU(欧州連合)の発電に占める石炭火力の比率を、侵攻開始前後の1カ月ずつで比較すると、侵攻前の10%から侵攻後には13%まで上昇が見られました。石炭火力発電は運転中のCO2(二酸化炭素)排出量が、ガス火力発電の約2倍に上ります。侵攻後の石炭比率上昇によって、EUの発電によるCO2排出量は4%増えるという試算も出ています。
ウクライナ危機以前、欧州は石炭の利用を減らしつつ、「脱炭素」へのつなぎ役としてロシア産天然ガスの調達を増やし、EU全体で消費量の4割をロシアに依存する結果となりました。侵攻への経済制裁として先進各国がロシア産の原油や天然ガスの輸入禁止に動くなか、脱炭素の流れに一時的に逆らってでも石炭回帰を進めざるを得なくなったというわけです。
こうした「背に腹はかえられぬ」振る舞いは、EUに限らず世界各国に共通の傾向です。社会・経済活動に必要なエネルギー資源を妥当な価格で安定的に確保する、いわゆる「エネルギー安全保障」の意識が高まるのは、特に今回のような有事に際しては致し方ないのかもしれません。
ESGについては、そもそもの概念が曖昧で分かりづらいという問題もあります。何をもってESGとするのか、その定義がいまだにはっきりしないのです。
欧州委員会は今年2月、持続可能な経済活動を分類する「EUタクソノミー」において重大な決定を下しました。原子力と天然ガスによる発電を、一定の条件下で「カーボンニュートラル(炭素排出量実質ゼロ)への移行期に必要な経済活動」、すなわちESGの対象に含めると発表したのです。
原発は従来、事故などの際に重大な損害を与えるとして、関連企業を投資対象から排除する「ネガティブ・スクリーニング」の代表例な標的でした。CO2排出量が他の化石燃料に比べて少ない天然ガスも、より厳格な「E」(環境)の視点からすると投資対象にはならない分野です。
最近では、武器や兵器製造を手がける防衛産業もESGに含めようという動きが見られます。武器や兵器は、ESGの源流であるSRI(社会的責任投資)時代から投資除外の対象でした。ところがウクライナ危機以降は、権威主義国家の侵略やテロリズムから市民の生活を守る抑止力として、「S」(社会)の視点から防衛産業を肯定する声が高まっています。
石炭はもちろん原発や天然ガス、防衛産業には一切投資しないという厳格さが売りのESG投資家でも、関連事業の売上高が一定比率以下ならば、これらの分野を投資可能に変更するケースが出てきました。
インフレと金利上昇によりESG運用が失速へ
ここにきてESGの再定義が進む背景には、エネルギーや市民生活に関する安全意識の高まりに加えて、ESG運用の失速という差し迫った事情もあるようです。
いわゆるESGファンドの間ではこれまで、相対的に割高な成長株であるIT(情報技術)銘柄の保有を増やし、割安な成熟株であるエネルギー関連銘柄の保有を減らすという運用戦略が目立っていました。IT銘柄は工場などを持たないために温暖化ガス排出量が少なく、デジタル技術の活用によって社会に貢献するという意味で、ESG銘柄として評価しやすい存在だったわけです。
インフレと金利上昇を受けて、IT銘柄の株価が下落基調に転じた結果、ESGファンドの運用成績も低下しました。一方のエネルギー関連銘柄は、需要増や資源価格の高騰によって売り上げ増加が見込めることから株価が上昇傾向にあり、非ESGファンドにおける運用成績の向上に貢献しています。
米コンサルティング会社デロイトの推計によると、世界の投資運用残高は21年末時点で117兆ドルに達し、そのうち4割がESGに配慮した運用戦略をうたっているといいます。今年に入って、株式で運用するESGファンドへの資金流入額が急減したというデータもありますが、いずれにしても運用業界に占めるESGの影響力が大きいことに変わりはないでしょう。
うがった見方をするならば、数年前からすでに割高感が指摘されていた米国株がいつまでも調整局面を迎えなかったのは、IT銘柄を重視するESG投資に支えられていたという側面も少なからずありそうです。また、ESG投資の側からみると、それ相応のリターンを実現するうえで、IT銘柄をはじめとするハイテク成長株に重きを置けることは都合がよかったかもしれません。
気候変動への世界的な対応を本格化させるためには、ESG投資が新たな成長や収益につながるという経済効果をアピールすることはもちろん大切です。しかしながら本来、ESGには経済効果を度外視した「世直し」の意味合いも含まれているのではないでしょうか。
そうした相反する目標をいかに両立させていくのか。次回も引き続き、ESGをめぐる現状と課題について考えます。