いま聞きたいQ&A

新しいリベラルアーツがAIの適切な活用法を見いだす可能性

日本の大学では、教育課程を根本から見直す動きが広がりつつあります。米国の産業界でも一般教養の重要性を指摘する声が高まってきました。分野横断的な学びが従来の「文理融合」から、より多角的な視点を養う総合教育へと発展することで、例えばAI(人工知能)の適切な活用法を見いだすなどの効果が期待されます。

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Q.分野横断的な教育の現状について教えてください。

日本の大学が「リベラルアーツ」のあり方を見直す動きが広がっています。リベラルアーツとは、ひと言でいえば「一般教養」であり、「総合的な人間力を養う基礎学問」や「実用的な目的から離れた純粋な教養」などを意味します。

東京女子大学では一般教養の全面的な再構築を目指し、2024年度から「知のかけはし」と呼ばれる必修科目をスタートしました。専門分野の異なる2人の教員がひとつの授業を開講する珍しい取り組みで、毎週交代しながら1人が講義を行い、もう1人が自分の専門分野からコメントを加えて学生の議論をいざないます。

具体的には、人間の心について哲学(現象学)と心理学(認知科学)の立場からアプローチしたり、地球温暖化や化学兵器の問題について国際法学者と化学者が語り合うといった内容です。学生はもちろん教員にとっても刺激は大きく、今後は専門科目への波及効果も期待できそうです。

東京大学では2027年秋から、学部(4年)と大学院修士課程(1年)にまたがる5年制の新しい教育課程を創設します。自然科学系に加えて人文・社会科学系の知見も総動員し、気候変動や生物多様性といった地球規模での難題解決に向き合えるイノベーション人材を育成するのが目標です。

脳神経科学が専門の東北大学名誉教授、虫明元氏はさらに斬新なプロジェクトに取り組んでいます。それは演劇を取り入れた教育を通じて学生のコミュニケーション能力を高め、人との相互理解を深めようというもの。演劇は複数の人と協力してひとつの目標を目指し、即興性も求められるため、「情動を揺さぶり、社会性を学ぶ有効な手段」(虫明氏)になるというわけです。

こうした動きを「文理融合」という文脈で捉える向きもありますが、前出の東京女子大学の森本あんり学長は「分野横断的な学びは『文』と『理』の間だけでなく、人文科学と社会科学の間やその内部でも起きる」と語っています。いま求められているリベラルアーツとは、ある意味で、2000年代に米国で導入が進んだSTEM教育(科学、技術、工学、数学)をいわゆる文系にも発展させた概念なのかもしれません。

世界の潮流をリベラルアーツの観点から再考してみる

STEM教育には、4分野を横断的に学ぶことで各分野にまたがる問題を発見し、その解決能力を養うという狙いがあります。また、単にIT(情報技術)やデジタルに秀でた人材を育てるだけでなく、学生の自発性や創造性などを高めることも大きな目的となっています。

例えばこの先、AIがさらに進化した場合に焦点となってくるのは、人間がどのようにAIと向き合い、活用していくかということでしょう。そこで重視されるのは、幅広い視野と長い時間軸で全体を俯瞰(ふかん)する概念的思考力や、先入観にとらわれない批判的思考力、問題の本質を見極めて問いを設定する能力などです。歴史学や哲学、倫理学、心理学など学際的なアプローチが効果を発揮するわけです。

米国ではこのところ、産業界でリベラルアーツの重要性を指摘する声が高まっています。マイクロソフトの創業者であるビル・ゲイツ氏はかつて、リベラルアーツの学位は将来の収入を制限すると語りました。いまマイクロソフトでは、「リベラルアーツがテクノロジーの未来にとって重要である」と軌道修正しています。

最近はAIの未来について、政治学者や経済学者など人文・社会科学系の識者が意見を語るケースも目立ってきました。これは「より幅広い視点から科学技術の将来像を考えよ」という、研究開発の当事者に対する社会からの警鐘といえるのかもしれません。

米国ハーバード大学教授で国際政治学者のグレアム・アリソン氏は、世界に差し迫った危機として、AIと遺伝子合成技術による新種の病原体生成を挙げています。AIの悪用をもくろむ集団により、新型コロナウイルスを上回る毒性を持つ病原体がばらまかれ、多くの人々の生命を脅かす危険性があるといいます。

同じくハーバード大学教授で経済学者のケネス・ロゴフ氏は、まず極端に厳しい規制をかけてAIの技術開発と普及にブレーキをかけるべきだと指摘します。1990年代に銀行が自らリスクを管理できると主張し、金融当局もそう信じた結果、2008年の世界的な金融危機につながった、その苦い教訓を生かせというわけです。

AIが言語を通じて人々の思考や文化を知らないうちに塗り替える可能性もあります。ユネスコ(国連教育科学文化機関)の調査によると、生成AIがつくる文章で「ビジネス」「重役」といった言葉は男性と結びつけられる傾向が高いそうです。一方、女性は「家庭」や「子ども」などとの関連が強く、あるAIでは家事とのつながりを示す傾向が男性の4倍に上っていました。「性差の偏見、同性愛嫌悪、人種の固定観念を生む憂慮すべき傾向がある」と、ユネスコは生成AIの弊害に懸念を示しています。

言語には人間の思考様式を規定する力があります。欧米の文化のもとで育てられたAIが普及すれば、欧米の価値観に世界中が染められかねません。そうした影響を危惧して、中国やインドなどはすでに自らの文化や伝統、慣習に基づくAIの開発に動いています。

保護主義的な発想がすぎても困りますが、AIに限らず世界の潮流について私たちはリベラルアーツの観点からいま一度、再考してみるべきなのかもしれません。グローバル化やESG(環境・社会・企業統治)、国際紛争、国家財政など、その対象は山ほどあるように思われます。

ご注意:「いま聞きたいQ&A」は、上記、掲載日時点の内容です。現状に即さない場合がありますが、ご了承ください。