世界経済の大きな流れをつかむには、どのような点に着目すればいいですか?(後編)
世界経済が約50年周期で上昇・下降してきた歴史
ある国において景気が循環(上下動)するのと同様に、世界全体の景気も一定の周期で循環すると考えられます。ロシアの経済学者ニコライ・コンドラチェフは、世界経済には約50年周期で上昇・下降を繰り返す「長期波動」があるという学説を1925年に発表しました。コンドラチェフの死後、オーストリアの経済学者ヨーゼフ・シュンペーターがこの説を評価して「コンドラチェフの波」と名付けたほか、これまでに多くの経済学者が長期波動についてさらなる研究を進めています。
長期波動が生じる要因としてコンドラチェフは技術革新や戦争、金の生産量などを挙げ、あくまでも世界的な経済活動の増減という側面を重視していた模様です。今日では、経済活動やそれに影響を及ぼす技術革新はもちろんのこと、政治や外交、軍事面なども含めた「国際秩序の変動」が長期波動に大きく関係しているという考え方が有力になっています。
コンドラチェフの波を具体的にイメージするために、まずは過去の景気循環について技術革新をテーマに振り返ってみましょう。以下に景気循環サイクル(景気が上昇して下降するまでの期間)と、影響を及ぼした主な技術革新を年代順に記します。
- ●第1のサイクル:1780~1840年代/蒸気機関、紡績機
- ●第2のサイクル:1840~1890年代/鉄道、鉄鋼
- ●第3のサイクル:1890~1940年代/自動車、電気、化学
- ●第4のサイクル:第2次大戦後~1990年代/石油化学、電子、原子力、航空宇宙
- ●第5のサイクル:1990年代~現在/デジタル、ネットワーク、バイオテクノロジー
専門家の間では早くもAI(人工知能)やロボット、ビッグデータなどの技術革新がけん引する次代のサイクルが意識されているようですが、私たち一般個人にとってそれ以前に気になるのは、現在のサイクルがどのような状況にあるのかということでしょう。
政策研究大学院大学学長の田中明彦氏がマディソン・プロジェクト・データベースのデータをもとに分析した1人あたり世界総生産の推移をみると、1990年代以降に始まった世界全体の経済成長は2010年代の初頭にかけて大きな伸びを示したものの、その後は明らかに停滞の様相を呈しています。すでに第5のサイクルが始まって30年程度が経過していますが、過去の歴史に照らし合わせると、今後は20年程度にわたって世界経済が下降していく可能性も考えておくべきなのかもしれません。
米中が国家の在り方をかけて争うという懸念
長年の研究を通じて、コンドラチェフの波における景気の上昇期と下降期には、それぞれ世界で特徴的な構造変化が起きることが分かってきました。
上昇期には技術革新によって産業構造が大きく変化し、新しい産業形態が世界中に拡散して世界経済の“同質化”が進みます。同時に、そうした産業構造の変化に乗じる形で経済活動の中心に新たな国(新興国)が参入してきます。第5のサイクルでは、パソコンやインターネット、モバイル通信端末などが普及して経済・社会のデジタル化とネットワーク化がグローバルに進行し、ハイテク・デジタル産業の一大生産拠点として中国が世界経済の主流に躍り出ました。
下降期には、まるで上昇期の揺り戻しのような現象が発生します。世界経済の同質化は過剰生産につながりやすいため、各国で保護主義が広がるようになり、やがて世界経済は停滞に向かいます。そのなかで国家間の経済的な覇権争いが激化し、過去にはいくつかの国が世界経済の主流から蹴落とされることになりました。例えば第3のサイクルでは第1次世界大戦によってドイツが衰退し、第4のサイクルでは東西冷戦の終結とともにソ連が解体の憂き目にあったわけです。
こうした観点からみて何とも興味深いのは、今日の技術革新の主役であるデジタル化がはらむ問題です。米スタンフォード大学客員教授のアイリーン・ドナヒュー氏は、「グローバルなデジタル化の流れは、第2次大戦後に築かれた国民国家を中心とする秩序への挑戦である」と指摘しています。ドナヒュー氏が特に懸念するのは、社会のデジタル化によって一般市民の言動が政府や企業に捕捉・監視されやすくなったり、個人データの流出や社会インフラの破壊といったリスクが高まる点です。
デジタル化には個人の人権や自由、安全といった民主主義の基本的な価値観を揺るがしかねない側面もあるわけですが、例えば中国が採用している「国家資本主義」は、反対にデジタル化の推進にとって有利に働きます。共産党の一党支配による国家統制のもと、中国のIT(情報技術)企業は個人データを自由に集めて事業に利用することを許容されているからです。ドナヒュー氏の指摘も、民主主義の価値観と相いれない中国の独善的な振る舞いが念頭にあります。
コンドラチェフの波が今日でもしっかりと息づいていて、それをもたらす国際秩序の大変動が今回も過去と同様に起こるのだとすれば、デジタル化の問題はひとつの象徴的な意味合いを持つのではないでしょうか。すなわち、米国と中国の貿易戦争は単なる経済的な覇権争いにとどまらず、「国家の在り方」をかけた、より根源的な生存闘争に発展しかねないということです。
前回紹介したように、実は米国も保護主義を通じて従来の国際秩序を乱すような行動に傾いており、独善的という面では中国と“同じ穴のムジナ”かもしれません。まさか戦争などという愚かな選択には至らないと思いますが、グローバル化によって世界経済の相互依存関係が深まるなかで、それが部分的にでも崩れた場合の影響については、私たちも覚悟しておいた方がいいような気がします。