日本におけるインフレ進行は、デフレからの脱却を意味する
コスト高と企業の価格転嫁から始まった日本のインフレは、持続的な賃金上昇へと焦点が移りつつあります。長らく続いたデフレ経済からの完全脱却を果たし、好ましいインフレを定着させるためには、物価と賃金が連動して上昇する好循環を実現して、日本国民のデフレマインドを払拭することが重要になるでしょう。
Q.日本では今後、インフレが常態化するのでしょうか?
新型コロナウイルス禍において、例えば米国ではウイルスへの感染を恐れた労働者が大量に職場を離れ、人手不足による物流網の混乱や賃金の上昇を招きました。2022年に米国の消費者物価上昇率は一時、前年同月比9%台を記録しています。これはいわゆる供給制約によるインフレと考えられ、米国大統領経済諮問委員会では「コロナ禍以降のインフレ動向の8割は供給サイドの要因で説明できる」と結論づけています。
日本でも消費者物価(生鮮食品を除く)上昇率が22年4月から今年(24年)3月にかけて、24カ月連続で日銀が掲げる物価安定目標の2%以上となり、インフレ傾向が強まっています。その間の経緯をざっと振り返ってみましょう。
まず22年のロシアによるウクライナ侵攻を受けたエネルギー・原材料高、さらには円安による輸入物価の上昇を背景に、電気代や食料価格が大きく値上がりしました。同年12月には消費者物価上昇率が前年同月比4.0%と、41年ぶりの高水準に達しています。多くのエコノミストはそれをコスト高が原因の「コストプッシュ型インフレ」と捉え、一時的な現象と考えていたもようです。
しかし実際にはその後、企業による価格転嫁と賃上げが思いのほか進んだことで、専門家の想定以上に物価高が続くこととなります。賃上げについては政府が22年4月から大手企業向けに「賃上げ促進税制」を施行するなど、国として賃金上昇が望ましいという立場を明確化しました。一部の専門家は、消費者の間で「無理に価格を低く抑えることは賃金上昇も抑制する」との理解が広がり、企業の価格転嫁を受け入れやすくなったと分析しています。
23年の春闘では平均賃上げ率が3.58%と、30年ぶりの高い賃上げが実現しました。これは経営者側が物価高による生活苦に配慮したことに加えて、人手不足の深刻化も影響していると考えられます。従来、働き手の穴を埋めてきた女性や高齢者の労働参加も頭打ちとなり、賃金を上げないと労働力を確保しにくくなったわけです。
23年秋以降も政府は、経済界と労働界を交えた「政労使会議」において企業にさらなる賃上げをたびたび要請しました。結果として今年も賃上げの動きは続いています。連合が4月4日に発表した2024年春闘の第3回回答集計によると、平均賃上げ率は5.24%となっており、最終集計でも5%を上回れば、1991年の5.66%以来33年ぶりの高水準に相当します。
一見すると、日本でも人手不足という供給制約により、インフレが常態化しつつある印象を受けます。ただし、日本のインフレを米国などと同列で語るわけにはいかないでしょう。これまで日本経済は長らくデフレが続いてきたため、日本においては「インフレの進行=デフレからの脱却」という意味合いが強いからです。日本政府はまだデフレからの完全脱却を宣言しておらず、日銀もマイナス金利こそ解除したものの、その後の利上げについては慎重な姿勢を崩していません。
国民に染み付いたデフレマインドを払拭できるか
多くの先進国では、モノやサービスの価格が年平均で2%ほど上昇しています。物価は過去30年間に米国や英国では2倍、ドイツでは1.7倍まで上昇しました。日本だけが1.09倍とほぼ横ばいの状態にあり、戦後の世界ではまれな現象となっています。
OECD(経済協力開発機構)によると、物価の違いを反映した実質的な平均賃金を2000年と22年で比較した場合、米国は27%、英国は20%、ドイツは15%それぞれ上昇しています。やはり日本のみ、賃金がほぼ変わっていません。
デフレの要因として日本の人口減少がよく取り沙汰されますが、両者の間に明確な因果関係は認められません。例えば先進国のうち人口が減少傾向にあるイタリアや韓国では、いずれもインフレ率がプラスで推移しています。
日本では1990年代前半のバブル崩壊以降、消費者にも企業経営者にも「モノの価格や賃金は上がらない」という考え方がノルム(社会規範)のように浸透しました。結局はそうした国民の心理が経済の縮小均衡、すなわちデフレを長引かせたと見る向きが多いようです。
日本経済がデフレから完全脱却するうえでは、物価と賃金が連動して上昇することが不可欠の要件となります。なかでもサービス価格は、モノに比べて賃金や国内需要を反映しやすいため、インフレ定着へ向けて日銀もその動向に注目しています。サービス価格の伸び率は23年12月が前年同月比2.3%でしたが、今年の1月と2月が2.2%、3月が2.1%と、ここへきて若干勢いを欠いている状況です。今後は交渉力の弱い中小企業において、どこまで価格転嫁が進むかが焦点となりそうです。
名目賃金に物価変動の影響を織り込んだ「実質賃金」の動向も重要です。日本では今年2月まで23カ月連続して、実質賃金が前年同月を下回っています。このように賃金が物価の上昇に追いつかない状況が続くと、国内消費はさして盛り上がらず、企業が再び価格転嫁を手控えたり、値下げに動くことにもなりかねません。
想定以上の賃上げ率となった今年の春闘を受けて、エコノミストの間では「今夏にも実質賃金がプラスになる」との見通しが高まっています。企業によって差はあるものの、労使交渉の結果は6~8月ごろに労働者の賃金に反映されるからです。
いずれにしても日本におけるインフレ定着は、物価と賃金が連動して上昇する好循環を実現し、日本国民に染み付いたデフレマインドを払拭できるかどうかにかかっていると思われます。