日本国内の物価上昇によって円安・ドル高が定着する?
米国の利上げが近々終了し、短期的に円高・ドル安へ向かうというのが市場のコンセンサスでしょう。一方では円高への戻り幅が縮小するなど、従来とは円安のフェーズが変わってきたという見方もあります。日本国内の物価上昇および購買力平価の動向が、今後の円ドル相場を読み解くカギになるかもしれません。
Q.このところ円ドル相場の動きが激しいのはなぜですか?
今年(2023年)の6月から7月にかけて、円ドル相場はかなり激しく上下動しました。6月8日には一時1ドル=138円台を付けていましたが、同月30日には一時145円台と7カ月ぶりの円安水準を記録しました。その後、7月14日には一時137円23銭まで円高が進み、同月26日時点では139円~140円台となっています。
短期間でこれほど落ち着きのない動きになったのは、ひと言でいえば、日米の金融政策に対する市場の思惑が錯綜(さくそう)していることが要因です。
米商務省が6月29日に発表した今年1~3月期の実質国内総生産(GDP、季節調整済み)確定値は、前期比の年率換算で2.0%増となり、5月に公表した改定値(1.3%増)から大幅に上方修正されました。これは、急速な利上げにもかかわらず米国経済が好調であることを示すものです。FRB(米連邦準備理事会)はかねて23年中に残り2回の利上げを示唆していましたが、市場ではその実現性が高まったという見方が広がりました(円安圧力)。
ところが7月に入ると一転して、FRBの利上げはあと1回で終了するとの観測が高まります。同月12日に米労働省が発表した6月の消費者物価指数(CPI)は、前年同月比の上昇率が3.0%と12カ月連続で鈍化し、2年3カ月ぶりに4%を割り込みました。インフレの沈静化を通じてFRBは早晩、利上げから利下げへ軸足を移すと見る投資家が増えたわけです(円高圧力)。
一方の日銀は、今後も粘り強く金融緩和を続ける方針を崩していません。ただし、それについても投資家は疑心暗鬼となっています。
総務省によると、日本の消費者物価指数(生鮮食品を除く=コアCPI)は5月が前年同月比3.2%、6月が同3.3%の上昇でした。昨年(22年)4月から今年6月まで、15カ月連続で日銀が物価目標とする2%を上回り続けていることになります。6月は生鮮食品を含めた総合指数も前年同月比3.3%の上昇でしたが、これは米国の3.0%を上回る水準です。
日本国内の物価上昇を受けて、市場では日銀が近い将来に長短金利操作(イールドカーブ・コントロール、YCC)の修正に踏み切るのではないかとの臆測が広がっています。日銀は否定的な見解を示していますが、そうした臆測は日米金利差の縮小を通じた円高圧力につながります。
従来とは円安局面のフェーズが変わってきた?
さまざまな思惑が渦巻いているとはいえ、米国は24年の上半期にも利下げ局面に移行する可能性が高く、短期的には円高・ドル安へ向かうというのが市場のコンセンサスでしょう。ただし、長期的には日米金利差以外の観点が重要になると指摘する専門家もいます。
過去の円ドル相場を振り返ると、日本が変動相場制に移行した1973年の1ドル=300円台から2011年10月の1ドル=75円32銭という戦後最高値まで、40年近くにわたって円高・ドル安の流れが続きました。13年に始まったアベノミクス下の異次元緩和で円安への修正が進んだものの、基本的には1ドル=100~110円台のレンジに回帰するボックス相場だったといえます。
ところが昨年は、21年末の1ドル=115円台から22年10月の1ドル=151円台まで30%以上も大幅に円安が進みました。その後は円高に振れるといっても120円台が精いっぱいで、110円台までは戻る気配すらありません。昨年来の円安局面は、従来とはフェーズが変わってきたと考えることもできそうです。
生産年齢人口の減少などを背景に、日本の経済の実力を示す潜在成長率はゼロ%台前半にとどまっており、2%程度の米国に比べて低迷が目立ちます。平均給与水準の低さや増え続ける公的債務なども含めて、円安の根本的な要因は「日本の国力低下」にあり、実力に対して割高に放置されてきた円ドル相場の修正が起こり始めているというわけです。
改めて注目したいのが、「購買力平価」という為替相場の決定メカニズム仮説です。購買力平価は、各通貨の購買力をベースに為替相場の適正水準を割り出すもので、物価に上昇圧力が加わる国では通貨の価値が下がり、物価に下落圧力が加わる国では通貨の価値が上がると考えます。
一般に為替相場は、短中期では内外金利差や国際収支などの影響を強く受けるものの、長期的には購買力平価に収れんすると言われています。円ドル相場の購買力平価は、1973年を基準に消費者物価指数の日米格差を考慮して計算すると、最近では1ドル=110円弱となります。
円ドル相場が購買力平価に準ずるならば、現状ではもっと円高が進んで然るべきでしょう。一方で、日本国内の物価が上昇して購買力平価がもっと円安方向に振れれば、それによって現状の円ドル相場との整合性が取れるとも考えられます。
前述のように日本国内でも昨年来、物価が上昇傾向を示しています。とはいうものの、例えばアップル社の新型iPhoneの販売価格や、東京ディズニーリゾートの最混雑時の入場料金など、代表的なモノやサービスの国内価格は海外の現地価格(円換算)に比べてまだ大幅に割安なのが実情です。日本の平均賃金もOECD(経済協力開発機構)加盟38カ国中、上から数えて25番目に過ぎません。
物価の内外格差には是正の余地が大きいわけで、これから均等化が進んだ場合には、円安・ドル高の傾向が定着していく可能性もあります。物価が海外並みに上昇した日本について、その国力をどのように捉えるかは改めて検証が必要でしょう。いずれにしても今後の円ドル相場を読み解くうえで、賃金を含む物価上昇と購買力平価の動向がカギを握っているような気がします。