民主主義はいま、衰退に向かっているのでしょうか?
民主国家で暮らす人の数は世界の46%(2020年時点)。すでに民主主義は世界の少数派となっているとも言えます。そこには、民主化によって必ずしも豊かな暮らしが実現しないばかりか、貧富の格差が広がったことへの失望があるでしょう。民主主義そのもの、とうよりそれが保障する自由競争における資本主義のあり方が問われています。
民主化すれば豊かになれるとは限らない
ここ数年、世界各地で国家の強権化や人種間の対立・分断などが進み、民主主義は衰退に向かっているのではないかという懸念が広がっています。
スウェーデンの調査機関V-Demによると、2019年に民主主義の国・地域は世界で87を数えたのに対し、非民主主義の国・地域は92に上りました。民主国家の数が非民主国家を下回るのは18年ぶりのことです。人口で見ても、20年に民主国家で暮らす人の数は世界の46%と、旧ソ連が崩壊した1991年以来の低い水準となっています。
すでに民主主義は世界の少数派となっており、その意味では、民主主義が衰退に向かっていると憂いたくなる気持ちも分からないではありません。ただし、それはあくまでも民主主義を唯一最良の国家体制と見なす人たちや、これまで民主主義から大きな恩恵を受けてきた人たちの目線に立った考え方であることを忘れてはならないでしょう。
近年では民主化によって以前よりも自由になったはずの市民が無力感を味わうケースも増えており、「自由民主主義のパラドックス(矛盾)」と呼ばれています。例えばハンガリーは、1989年の東西冷戦終結後に共産主義から民主主義へと転換したものの、2018年には非民主主義に逆戻りしたといわれます。ハンガリーがEU(欧州連合)に加盟したのは04年ですが、同国の賃金水準は現在もEU平均の3分の1にすぎず、「民主化すれば豊かになれる」という人々の夢はかなっていません。
そうした市民のやり場のない不満や不安を取り込み、強権体制に転じる国家が増えているわけですが、その最たる例が民主主義陣営の雄・米国であることは何とも皮肉です。米国では11月3日に大統領選挙が実施され、8日には民主党候補のジョー・バイデン前副大統領が勝利宣言を行いました。一方で現職のドナルド・トランプ大統領は、郵便投票や集計に不正があると主張し、ミシガン州やペンシルべニア州などで法廷闘争に入っています。
民主的な手続きを否定するかのようなトランプ氏の動きに対しては、身内の共和党からも失笑がもれ聞こえてきますが、その異端児的な振る舞いは何もいまに始まったことではありません。「実利主義」「排他主義」「自国第一主義」など、過去4年間にわたるトランプ氏の政権運営や経済・外交政策については、米国の内外から批判の声が絶えませんでした。にもかかわらず、今回の大統領選では16年の当選時を上回る7100万超の票を獲得しており、いまなお相当数の米国民がトランプ氏の強権的な言動に期待を寄せていることがうかがえます。
問うべきは民主主義に立脚した資本主義の在り方
世界経済の「長期停滞論」を唱えた元米国財務長官のローレンス・サマーズ米ハーバード大教授は、停滞の一因として「貯蓄過剰」を挙げています。20世紀までは家計の貯蓄が銀行融資などを介して企業に流れ、それを企業が工場や設備への投資に使うというマネーフローが確立していました。ところが21世紀に入ると産業構造の変化にともなって企業の投資が細り、貯蓄が余り始めます。
IMF(国際通貨基金)によると、世界の貯蓄額は04年に初めて投資額を上回り、20年には貯蓄額が投資額を1000億ドル(約10兆円)ほど上回っています。ここで気になるのが、いったいどこの誰が貯蓄を増やしているのかということでしょう。米プリンストン大学のアティフ・ミアン教授らによれば、米国では上位1%の高所得者が年間約60兆円ずつ貯蓄を増やしているもようです。
こんなデータもあります。米国では19年時点で上位1%の高所得者が資産全体の33%を保有していたのに対し、下位50%の低中所得者が保有する資産の割合はわずか2%に過ぎませんでした。89年時点における両者の比率は26%:4%だったので、30年間で格差は少なからず拡大したことになります。こうして見る限り、米国で「トランプ的なもの」が求められる背景としては、やはり貧富の格差という問題が大きいような気がします。
米国経済をけん引する情報産業は、過去20年間で雇用を2割近くも減らしました。労働集約型の製造業を中心に発展した20世紀の資本主義に対して、知識集約型の情報産業を中心とする21世紀の資本主義は、経済成長の原動力である中間層を育てる機能を持ちません。中間層は従来、政治的には民主主義の担い手として各国の社会を安定させる役割を果たしてきましたが、その層が没落して不満をため込めば現状否定にもつながります。
結局のところ私たちが問うべきは、民主主義そのものの盛衰ではなく、民主主義が保証する自由競争に立脚した「資本主義の在り方」なのではないでしょうか。民主主義がどれだけ国家体制として優れていたとしても、その運用次第では人々にとって最良とはいえない側面も持ちえるわけです。
このパラドックスは経済・社会のデジタル化が進む先進資本主義国に共通した課題であり、日本も例外ではありません。課題の克服へ向けて何が決め手になるのか――。次回はそのヒントをいくつか探ってみたいと思います。