英国の欧州連合(EU)離脱は世界経済にどのような影響を及ぼしますか?(後編)
経済のロジックでは捉えきれない大衆の失望や怒り
英国民投票で「EU離脱」が多数を占めた一因として、移民増加に伴う社会的摩擦が挙げられます。2004年にポーランドなどの東欧諸国がEUに加盟して以降、英国に渡った移民の総数は300万人にも上ります。こうした移民急増によって雇用や住居、社会福祉サービスなどを侵食されたと感じる英国民の不満が想像以上に大きかったことは確かでしょう。
ただし、マクロ経済の観点からみると、EU離脱という決断に首をかしげたくなる面もあります。英国がEUに加盟したのは1973年ですが、以来43年間における同国の1人当たりGDP(国内総生産)の伸び率は年平均1.8%と、ドイツやフランス、イタリアを上回っています。IMF(国際通貨基金)の試算によると、特に移民による押し上げ効果が大きかった模様です。
英国は「ウィンブルドン現象」という言葉に象徴されるように、EU諸国を中心とする海外からの直接投資を積極的に受け入れ、それを経済成長につなげてきた国でもあります。いわば移民や海外からの投資なしでは成立しない経済構造を自らつくってきたわけで、移民やEUの存在が疎ましくなったとしても、それは自業自得ではないでしょうか。
恐らく今回の問題は、経済のロジック(論理)だけでは捉えきれないものだと思います。国際政治学者のイアン・ブレマー氏(ユーラシア・グループ社長)は「移民や主権の問題もあるが、それ以上に国から大切に扱われず『社会契約』が途絶えたと感じる人々の抗議という側面が大きい」と語っています。これは言い換えれば、既存の政治やビジネスエリート層、エスタブリッシュメント(支配階級)に対する国民の異議申し立て運動であり、いま多くの先進国で広がりつつあるポピュリズム(大衆迎合主義)も、そうした大衆の失望や怒りに支えられていると考えられます。
移民問題の背後には、経済のグローバル化という問題があります。ヒト・モノ・カネが国境を越えて自由に動く経済のグローバル化は、先進国には新たなマーケットやビジネスの効率化をもたらし、新興国には雇用や生活水準の向上をもたらします。長い目でみれば、より多くの人々にとって恩恵となる可能性が高い半面、短期的にはいわゆる中間層などに痛みを強いる性質があることも否定できません。
すでに先進国では製造業を中心に、新興国との競争によって多くの雇用が失われてきました。英国をはじめ欧米でも製造業が拠点を自国からアジアへシフトする過程で、サービス業が雇用の受け皿になりました。ただ、まとまった数の移民が低賃金労働者として流入してくると、そのサービス業においても雇用や賃金情勢が悪化しやすくなります。
ポピュリズムが世界の信用リスクを拡大させる?
経済のロジックでは「成熟産業から成長産業へ労働力をシフトさせ、労働生産性を高めればいい」といった論調になりがちですが、実際には誰もが成長産業の仕事に就けるわけではありません。そこでは優れた技術やマネジメント能力が不可欠であり、それらに恵まれない場合は不本意ながら移民との新たな雇用競争に巻き込まれるといった人が多いこともまた事実なのです。
こうした市民生活の実情は、それが本質的には経済の問題だとしても、経済データなどの数字だけで推し量ることはできないものです。その意味では、国家や階級間で分断・分裂の動きが進み、ポピュリズムがまん延しつつある今日の世界的な潮流のなかで、背景にある要因の把握や対応を怠ってきた政治家や支配層の罪は重いような気がします。
世界経済は今後もしばらくは高成長を見込みにくく、経済格差や移民などのテーマに焦点が当たりやすい状況が続くと思われます。特に先進国では、一般大衆から異議を唱えられた側の政治家や支配層がある程度の低成長を前提としながらも、問題解決につながる有効な労働政策や分配政策をどのように打ち出していくかが問われることになりそうです。
当面のヤマ場は今年(16年)秋に米国で、来年にはフランスでそれぞれ実施される大統領選でしょう。過激な主張もいとわないポピュリズムへの支持が拡大するようだと、またぞろリスクオフの連鎖によって金融市場が大荒れになる恐れがあります。ECB(欧州中央銀行)でも、ポピュリスト政党への支持の拡大は財政・構造改革を遅らせ、政府債務を脆弱にすると警鐘を鳴らしています。これはすなわち、世界的な信用リスク拡大への懸念です。
折しも英国がEU離脱を決めた後、フランスでは再び大規模なテロが発生し、トルコでも軍によるクーデター未遂事件が勃発しました。欧州でやたらと頻発する“きな臭い”事件は、それ自体に普遍的な意味はなくとも、さまざまな疎外感にいら立つ人々を刺激するには十分な力を備えているように感じます。彼らが政治を介して民主主義すなわち「数のロジック」を行使し始めたとき、それが世界経済にどのような影響をもたらすことになるのか、まったく想像がつきません。