金融そもそも講座

英国のEU離脱、その衝撃(後編)誰もが一票 / 2017年問題

第167回

マーケット的に「離脱越え」はした。しかし数年という単位で今後を展望してみれば、世界とその経済の先行きに大きな不安感が漂っていることは確かだ。EUにはこのまま分裂のパワー(遠心力)が働くのか?英国のEU離脱を受けて中国の成都で開かれたG20財務相・中央銀行総裁会議の共同声明では、「我々は信頼を醸成し、成長を支援する措置を取っている。最近の事態(英のEU離脱)に鑑み、我々は強くて持続的でバランスの取れた、そして全員参加的な(inclusive)成長を遂げるという目標を達成するため、個別にそしてG20全体としても、あらゆる手段 ──金融、財政、そして構造改革── を発動する決意を再確認する」との一文が挿入された。英のEU離脱決定後の世界のマーケットの予想外の強さ(高値更新)からすれば、心配しすぎではとも思えるものだ。しかしG20の先行きへの懸念には十分な理由がある。

落ちこぼれなく──

求められる世界経済の成長に新たな、そして達成がなかなか難しい要素が加わったとの認識が必要だ。それはG20共同声明の中に複数回出てくる、inclusive, inclusivenessといった単語に示される。inclusiveは「包括的」と訳されるが、この形容詞と名詞はそもそもincludeという動詞から出てきた単語だ。includeとは「含める」という意味である。

今までの国際会議ではこの単語はあまり使われなかった。成長が強く(strong)て持続的(sustainable)であれば十分と考えられてきた。そこになぜinclusiveが加わったのか。一言で言えば、世界経済の中に「成長にうまく参加できない人やグループ」「格差を感じる人々や国々」が生まれたからだ。英の国民投票がなぜEUからの離脱を多数決で決めたのか。それは「EUに加盟していても何もメリットがない」「強まるのは経済的苦境」「移民に脅かされている」「良いのはロンドンばかり」といった、落ちこぼれたとの意識を持った人が多かったからだといわれる。よく聞く「格差社会」という単語もそれを指す。

それらの意識は、世界経済の成長、社会の安定にとって潜在的に危険なものだ。マーケットの長期的な安定にとっても潜在的脅威になる。なぜなら、経済の成長というのは一部の金持ちがお金を使うだけでは安定した成長ができないので駄目だ。経済に参加しているより多くの人が、自分達は過去よりも豊かになっていると思い、それ故にモノを買い、楽しみながら生活しようと思うことで経済が持続する。実は、世界的な低成長経済になった要因の一つには、格差が世界的に様々な分野で進んだからだとの意見がある。筆者もその見方に賛成である。

つまりinclusive growthというのは、落ちこぼれのない、全員参加型の成長という意味だ。戦後の世界が安定していたのは、米国でも日本でもそして欧州でも中産階級が分厚かったからだといわれる。その中産階級が米国を先頭に細ってきている。これは危機であり、世界経済はinclusiveな成長が必要、という言葉の持つ意味合いは重要だ。

誰もが一票

数字で成長が示されても、格差が大きく豊かさを実感できない人々が多い社会は政治的安定性を欠く。なぜなら、民主社会では保有する富に関係なく一人が一票を持つ。不満を持つ人が多くなれば、こんな体制はいらないと考える人が増える。増えれば政権の交代が必然になって、次々に新しい政党が、そして時には極端な主張を掲げる人物、政党が台頭してくる危険性がある。現に欧州でも米国でも、そうした主張を掲げる政党や人物が台頭してきている。これは長い目で見て、自由な社会、自由なマーケット、安定した政治にとって大きな不安定要因だ。

今の世界はその不安定の入り口に立っている。それが分かっているからこそG20はinclusiveとかinclusivenessという単語を声明の中に何回も入れたのである。つまり世界経済は今までより質的に難しい課題に直面しているといえる。一般的に数字で表わされる成長率だが、それだけでなく少し長い目で見て中味はどうか、より多くの国民が参加できているか、格差を抑制できているかが重要になる。

戦後も既に70年。将来よくなるという言葉に国民はもうだまされなくなっている。言葉に踊らされず、体制に対する嫌悪感を強め、今までにない方法での変革を求めている。国のエリート層の言葉に懐疑を持ち、そして今の体制を代えてもかまわないと思っている人が増えているのだ。それが今の世界の置かれている現実であり、そう考えると一見脈略なく世界で起きている事の共通点が理解できる。

しかも今はネットの時代で、政府高官達の公表してほしくないメールがハッカーによって白日の下にさらされ、他人がどのような生活をしているのかを誰もが知り、その隠された仕組みも理解している。さらにその怒りを政治にぶつけることができるようになっているのだ。

2017年問題

話題を出発点の欧州に戻そう。英国ではメイ内閣が発足した。その閣僚には外務大臣のボリス・ジョンソンなど離脱派がずらり。なかなかタフな選択をする首相だ。ご自身は静かな残留派だったが、「離脱交渉は離脱派の人々に背負ってもらう」とばかりに、保守党の離脱派の人々からなる内閣を樹立した。年内は離脱の通知を出さずに、交渉は早くて来年初めから。メイ内閣はEUという大きなマーケットへのアクセス権は残しながら、移民などの政策ではなるべくEUに縛られない立場を目指す。しかし欧州側はそんな虫のいい話はないと守りを固める。難しい交渉なのは見えている。交渉期間はEU規則では2年間。

しかしその間に欧州では英の国民投票並みの大きな選挙が続く。まず来年3月にオランダの下院選挙がある。オランダではウィルダース党首率いる極右・自由党がどのくらい伸びるかがポイントだ。その後5月にはフランスの大統領選挙がある。今のオランド大統領の支持率は10%台前半に低迷している。選挙の焦点は極右政党・国民戦線のルペン党首の動向だ。他にサルコジ前大統領など出馬が予定されているが、万が一にも反EUで名の知られるルペン党首が決選投票に残り、かつ勝利するようなことになれば、フランスの政界が大荒れになるだけでなく、EU全体の先行きに黄色信号が灯る。

フランスではテロが続発している。ニースでも大きなテロが起きたし、北部のルーアン近郊の教会でもISがらみの事件が続く。国民はいら立っている。ドイツの総選挙は9月だ。ドイツは今、世界の注目の的だ。フランスに比べテロが少なかったのに、このところ相次いでいる。移民政策を推進してきたメルケル首相への反感は強まっている。EUが英国離脱の中でまだ求心力を保っていられるのは、「メルケル─オランド枢軸」がうまく機能しているからだ。その二人が、そろって来年はいなくなる事態も考えられる。その場合、EUに降りかかる遠心力は大きなものになるだろう。

来年、欧州で政権の命運を決める国政選挙が多いのを「2017年問題」という。前回書いたように、遠心力が働けば、その一方で求心力も働く。懸念だけをする必要はない。しかしそれにしても、大枠で見るとマーケットの先行きには警戒すべきことが多い。

ご注意:本コラムは、上記掲載日から2週間程度前に伊藤洋一氏が執筆されたものです。
閲覧される時期によっては、現状に即さないことも予想されます。また、内容には仮定に基づいた記述も含まれます。ご了承ください。