金価格の上昇は「米国の失われた30年」を反映している?
金(ゴールド)の価格上昇が続いています。金に対してドルや米国株の価値が大きく低下している点から考えると、市場は米国を中心とした経済・金融秩序の持続可能性に危機感を抱いているのかもしれません。政治を含めた世界的な大変動が今後数年で起こるとの予測もあり、金価格の上昇は嵐の前兆を予感させます。

Q.ここにきて金価格が急上昇しているのはなぜですか?
本稿では過去に何度か金価格の上昇について取り上げ、その背景を探ってきました。世界的な景気悪化や金融不安、地政学リスクの拡大、先進国による過度の金融緩和とインフレ懸念、各国中央銀行が取り組む外貨準備資産の保全など、金が買われる要因はいくつもあります。今回はそれらを踏まえたうえで、長期的な金価格の上昇トレンドがいったい何を示唆しているのか、さらに踏み込んだ形で考えてみたいと思います。
金価格の国際指標となるニューヨーク市場の金先物(中心限月)は、今年(2025年)10月7日にアジア時間の取引で史上初めて1トロイオンス4000ドル台を記録しました。同先物価格は23年末時点で2000ドル台、24年末時点では2600ドル台だったので、今年に入ってからの急上昇ぶり(約1.5倍)が目立ちます。
直接的な要因は、今年4月にトランプ米政権が相互関税を発動し、世界経済の不確実性が高まったことにあります。市場では当初、トランプ関税の影響を慎重に見極めようとする動きも見られましたが、トランプ氏がFRB(米連邦準備理事会)に圧力をかけ続けたことで、米国の経済や金融政策の先行き不透明感が強く意識されるようになってきました。
トランプ氏は年初からパウエルFRB議長への批判や利下げ要求を繰り返しているほか、8月にはクックFRB理事を解任すると表明しました。クック氏はこの解任を違法として提訴に踏み切っています。FRBの人事が法廷闘争にまで発展したことで、米国における中央銀行の独立性や金融政策、ひいては基軸通貨ドルに対する市場の信認が大きく揺らぐ結果となりました。
金から見るとドルや米国株の価値は大きく下がっている
ここで、ドルの相対的な価値について考えてみます。かつてドルは金を裏付けとしていた時期があり、そうした経緯からドルの価値は金で測ることが可能です。第2次世界大戦後の国際的な通貨枠組みだったブレトンウッズ体制では、ドルを金と交換できる「金・ドル本位制」が採用され、当時の交換レートは1トロイオンス35ドルでした。それが今日、4000ドルまで上昇したということは、ドルの価値が114分の1に低下したことを意味します。
金に対するドルの価値が低下し始めたのは、1971年に当時のニクソン米大統領がドルと金の交換を停止したニクソン・ショックがきっかけです。以降、米国は金の保有量に縛られることなくドルを発行できるようになり、供給量は著しく増加しました。FRBによると、企業や家計が持つ現金および普通預金といったすぐに使える通貨の供給量「M1」は、1971年8月の2250億ドルから2025年3月の18兆5600億ドルまで80倍超に膨れ上がっています。
ベルリンの壁が崩壊してグローバル化が進んだ1990年代以降は、主に欧州の中央銀行が金利の付かない金を売却し、ドル資産である米国債などを購入する動きが広がりました。金に対して価値が低下するなかでも、他に代替できない基軸通貨として、ドルはまだ世界から十分な信認を得ていたといえます。しかし、リーマン・ショックと世界金融危機が発生した2008年ごろを境に、そうしたドル神話にも陰りが見え始めます。
国際調査機関のワールド・ゴールド・カウンシル(WGC)などによると、世界の中央銀行では2010年から24年まで15年連続して金の購入量が売却量を上回っています。中央銀行による金保有量は今年中にも、ブレトンウッズ体制下の1965年と同水準の3万7000トン台に戻る見通しで、これはドルに対する不安や不信の裏返しと考えられます。
米ダウ工業株30種平均をニューヨーク市場の金先物価格で割った「ダウ・金倍率」は、その倍率が高いほど、株式の稼ぐ力に対する市場の期待が高いことを表します。ピークは1999年の45倍でしたが、今年10月6日時点では約11.7倍となっています。米国株は今年も史上最高値の更新が続いていますが、金から見れば大きく減価していることが分かります。
今年4月の株価急落以降は24年までのような米国一強を示す「米国例外主義」が影を潜め、機関投資家の間でも、相場急変に備えたヘッジ目的の金買いが広がっているもようです。米国の著名投資家レイ・ダリオ氏は「金融、経済、政治の大きな変動がこれからの数年で生じる可能性がある」と警鐘を鳴らしています。
結局のところ、金価格の上昇トレンドが問うているのは、米国を中心とした世界的な経済・金融秩序の持続可能性ではないでしょうか。米国では過去30年間、中間層の所得がほとんど伸びていません。米国経済は大きく成長したものの、稼いだ富を上位の所得層が独り占めしてしまったからです。いまや米国の上位層と中間層の所得格差は2500万円以上になっています。
1990年代から始まったIT革命とグローバル化は、発展途上国が「世界の工場」という役割を担うことで、それまで解決できなかった南北問題の解消をもたらしました。代わって浮上してきたのが先進国の格差問題であり、それが最も顕著に表れたのが、IT革命とグローバル化を先導した当の米国だったというわけです。
米国の製造業は今日、産業構造転換に取り残されて衰退途上にあるため、トランプ氏が相互関税やドルの切り下げなどによる、いわば力わざの振興を図ろうとしても、もはや遅きに失した感があります。市場関係者からは「米国の失われた30年」を指摘する声も上がっており、この問題がいかに深刻であるかということを如実に反映しているのが、金価格の上昇なのかもしれません。(チームENGINE 代表・小島淳)