円ドル為替相場が最近、ほとんど動かないのはなぜですか?(後編)
投資家はリスク選好にも回避にも大きく傾いていない
FRB(米連邦準備理事会)が年内にも利下げに踏み切る観測が強まり、ここにきて日米の金利差は縮小へ向かっています。日米金利差の縮小は、相対的にドルの投資魅力が薄まり、円の投資魅力が高まることを意味するため、本来ならば円高・ドル安の要因になるはずです。ところが実際には、それほど目立った形で円高は進んでいません。
背景として、投資家のどちらかといえば「リスク選好」寄りの動きが、円高進行を妨げる一因となっている側面があるようです。FRBによる利下げは米国景気の下支えにつながるという思惑から、市場では再びある程度のリスクを取って株式を買う動きが広まり、今年(2019年)7月3日には米国ダウ工業株30種平均は26,966ドルと史上最高値を更新しました。
世界の投資家が日米金利差の縮小よりも米国株の投資魅力に着目すれば、米国株の購入とそれにともなうドル買いが進むことになります。また、日銀の次なる一手(政策)は金融の引き締めではなく緩和になる可能性が高いことから、日本国内で運用先を探すのが難しい日本の機関投資家はおのずと海外資産への投資を余儀なくされます。それにともなう円売り・ドル買いも出やすくなるため、円の上値は重くなると考えられるわけです。
市場では08年のリーマン・ショック以降、「円=安全通貨」という認識が広まり、リスク回避の局面では円高が進む傾向が強まりました。これは日本が経常黒字国で、なおかつ世界随一の対外債権国であること、さらには低金利の円がキャリー取引に利用されることが多く、リスク回避時にその巻き戻しが起きやすいことなどによるものです。
最近の世界的なリスク要因として真っ先に思い浮かぶのは米中貿易摩擦ですが、交渉の長期化が予想されてはいるものの、米中ともに本格的な景気悪化は望んでいないという見方が市場のコンセンサス(共通認識)になっている模様です。すなわち今日では、市場にリスク懸念はあっても大々的なリスク回避(円高)につながるほどではなく、一方で景気や金利の先行きに不透明感が漂うため強力なリスク選好(円安)にもならないという中途半端な状態が続いており、それが円ドル為替相場の動きを縛っているとも考えられます。
短期的には米企業の過大債務が波乱の要因となる?
将来的に円ドル為替相場の膠着状態が崩れるとしたら、何がきっかけになるのでしょうか。短期要因として挙げられるのが、米企業の債務拡大がもたらす影響です。長引く低金利を背景に米企業の間では債務の膨張ぶりが目立っており、「信用(クレジット)サイクル」と呼ばれる循環に照らし合わせて懸念が広がっています。信用サイクルでは、市場参加者がリスクの高い投融資に走って企業金融が過熱した状態を「山」とし、金融不安などによって市場での取引が極端に敬遠される状態を「底」とみなします。
IMF(国際通貨基金)は今年、米企業金融に関して複数の指標からなる信用サイクルのデータをまとめました。それによると米企業の信用サイクルは18年末時点で山の状態にあり、リーマン・ショック前の住宅バブル時におけるピークを超えて加熱が進んでいる模様です。
特に危惧されるのが、借り手の質の低下が目立つこと。例えばここ数年で、信用力が低く借金比率の高い企業に担保をとって融資する「レバレッジドローン」の残高が増加しています。このローンを裏付けとしたCLO(ローン担保証券)の組成も急増しており、投信や年金を通じて間接的に個人マネーも高リスク企業への投資に向かっている様子が見てとれます。
今後どこかで米国の景気後退が鮮明になった場合、それが企業の業績低迷と信用低下をもたらし、景気悪化と信用収縮がスパイラル的に進行する恐れも出てきます。米国経済に対する信頼感が崩れれば、株価の調整はもちろん、為替が大幅なドル安(円高)に振れる可能性もあるでしょう。
もうひとつ、長期要因としては日本の経済的な地位低下という問題が挙げられます。前回も紹介したように、わが国の対外投資における直接投資の割合は15年に証券投資を逆転し、今日では黒字額の5割を占めるまでに増加しています。実はこうした流れは、少子高齢化などの構造的な問題を背景として、日本国内に投資機会が乏しいことを如実に反映しているとも考えられます。
生産年齢人口の減少が進み、国内の貯蓄が徐々に細っていくなかで、日本がいずれは経常赤字国に転落して資金流出が先行する段階に移行しないとも限りません。そこに至る過程で、現在のような安全通貨としての円の地位は確実に揺らぐこととなるでしょう。
エコノミストの間では、今後10~20年程度で日本が経常赤字に陥ることは考えづらいという見方が一般的です。しかしながら、対外証券投資を対外直接投資が上回るという構造変化について、10年前の段階で予想できた市場関係者は少なかったはずです。円ドル為替相場の構造的な変化が意外と早い時期に表れることになっても、あながち不思議とは言い切れないかもしれません。