日本人にとって資産運用は身近なものになったのでしょうか?(後編)
投資を生真面目に考えすぎて食わず嫌いになる
さまざまなアンケート調査で、投資をしない理由として常に上位を占めているのが「損をしたくないから」「資金が減るのが嫌だから」という回答です。しかし、だからといって多くの人が「生活は預貯金だけで十分」と本気で感じているわけではないでしょう。預貯金でコツコツとお金を貯めている現役世代の人でも、安定した収入がいつまでも続く保証はないし、子供の教育費や住宅ローンの支払い、老後の暮らしなどを考えると、少なからず将来に向けて経済的な不安を抱えているというのが本音だと思われます。
同じく投資をしない理由として上位に挙がるのが「投資の知識がないから」という回答です。知識がないと投資をやっても成功せず、無駄にお金を減らすだけと考えている人が多いのかもしれません。「投資に興味がない」と答える人が多いのも、投資や金融について理解するのが難しく、お金を増やすというイメージを持ちにくいことの反映ではないでしょうか。
恐らく私たちは、投資という行為について生真面目に考えすぎるのだと思います。損をしないために自分でいろいろ調べてはみるものの、余計に分からなくなったり、選択肢の多さに面食らったりする。結果として、投資は難しい、面倒くさいといったネガティブな印象ばかりが膨らんでいく――。そのようにして「食わず嫌い」の状態を続けながら、自分の日常から投資や金融を自然と遠ざけてしまうわけです。
多くの人々がこうした心理状態にあるとしたら、国がいくら投資優遇税制を整備したところで、自発的に投資を行う人はそう簡単に増えないでしょう。また、投資教育や金融リテラシーの向上をうたって、国や金融機関が通り一遍のカリキュラムを提供しても、人々が投資を実践するところまでには至らないのではないでしょうか。
お試し感覚で投資を始められるような環境づくり
ここではあえて極端な形で、2つの正反対なアプローチを考えてみます。ひとつは投資に興味や意義を感じない人でも、無理のない範囲ならば、いわばお試し感覚で投資を始めてみてもいいと思えるような環境をつくることです。
人々をその気にさせるのに最低限必要なのは、以下のような条件でしょう。
- ●単純であること:投資対象を複数から選ばせるのではなく、最初から一つだけ用意する
- ●手軽なこと:月々の自動積み立てなど、手間ひまをかけず少額で投資できる方法を提供する
- ●信頼できること:その投資が純粋に個人の利益に資するものであることをアピールする
「月々3,000円で投資を始めよう」といった情報を各種メディアでよく見かけますが、例えば月々の自動積み立てで投資信託を購入していくスタンダードな長期運用モデルを、いっそのこと国がつくって提供してみたらどうでしょうか。金融庁が言うように、本人が行動を起こさなくとも投資の第一歩が踏み出せる「職場積立NISA」などの制度を整えて、そこにスタンダードモデルを組み込むという手もあります。
購入窓口をできる限り多様化することも重要です。スマホ専業証券のワンタップバイ(東京・港)では、スマホアプリで口座開設などが完結でき、スマホを使って1,000円から株式投資が可能なサービスを提供しています。こうした取り組みの延長線上として、コンビニやスーパーに設置された専用機で株式や投資信託が気軽に買えたり、商品購入時につくポイントの一部が株式(端株)で提供される仕組みをつくるなど、より多くの人々に投資を身近に感じてもらうための工夫の余地が、まだまだあるような気がします。
もうひとつのアプローチは、人々に世の中のニュースと経済・金融の関係を意識してもらえるような情報を数多く提供すること。これはどちらかといえば投資教育の範囲に入るものですが、人々に投資を促すのではなく、あくまでも経済や金融にまつわる情報に慣れ親しんでもらい、投資への興味や知的好奇心を高めることが最大の目的となります。
例えば今年(2017年)2月下旬に、宅配便最大手のヤマト運輸が宅配の時間指定サービスの見直しや運賃引き上げを検討していることが伝わると、親会社のヤマトホールディングスの株価は1週間ほどの間に約1割上昇しました。人手不足が深刻化するなかで過剰なサービス・価格競争に終止符を打ち、収支改善や働き方改革へ経営の重心を移そうとする同社の決断が、ひとまずは市場で評価された格好です。
株価や企業経営など自分には関係がないという投資未経験者でも、この一件が自分にも身近なネット通販に影響を与えたり、宅配業をはじめとするサービス産業のあり方を大きく変えるきっかけになりそうだと知れば、少なからず興味を覚えるのではないでしょうか。
単に投資や金融の情報を追いかけるよりも、社会動向という文脈のなかで投資や金融の知識を身に付ける方がよほど分かりやすいし、実感も湧くはずです。どのような形であれ、そうした情報が継続的に提供され、より多くの人々の目につくことを期待したいものです。