「パナマ文書」が私たちに問いかけていることは何ですか?
節税と脱税の線引きが難しいタックスヘイブン
「パナマ文書」で注目を浴びることになったタックスヘイブン(租税回避地)は、法人税や所得税など企業や個人に課す税率を意図的に低く設定している国や地域のこと。税法上の明確な定義はありませんが、カリブ海の英国領ケイマン諸島やパナマ、バハマ、香港、ルクセンブルクなど世界中で70カ所程度が該当するといわれています。国際的な会計事務所の調査によると、例えば法人税は日本が約30%、米国が法定で40%なのに対して、ケイマン諸島やバハマでは0%です。
企業や個人がタックスヘイブンに実体のないペーパーカンパニーや銀行口座をつくり、そこに所得や資産を移転すれば、本国に納める場合よりも税金の支払額が少なくて済みます。こうしたいわゆる節税行為そのものは、違法ではありません。ビジネスや金融取引においては一般的に行われており、米国ではタックスヘイブンを利用しない企業経営者が「なぜ節税しないのか」と株主総会で追及されることさえあるほどです。
問題はタックスヘイブンにおける取引の実態が把握しづらいため、脱税や資産隠しなどの不正行為に使われるケースが少なくないことです。OECD(経済協力開発機構)では、課税逃れによって世界で年間最大2,400億ドルの税収が失われていると試算しています。そのほか、麻薬密売などの犯罪資金をきれいに見せかけるマネーロンダリング(資金洗浄)や、テロ組織による資金移動の温床になることも懸念されます。2008年のリーマン・ショック時には巨額の投機マネーがタックスヘイブン経由で流出入し、世界の金融市場および実体経済に大きな影響を及ぼしました。
OECDと20カ国・地域(G20)が不正行為の監視・防止に乗り出すなど、透明性を確保しようという流れは世界的に強まってきています。しかしながら、タックスヘイブンがらみの取引はきわめて複雑でグレーゾーンが広く、ペーパーカンパニーや銀行口座の実質所有者を捕捉したり、合法か違法かの線引きをするのは非常に難しいのが実情です。
英国と米国は不正の取り締まりや取引実態の解明に前向きな姿勢をみせる一方で、タックスヘイブンを国益や既得権益を守る手段として活用しているフシもあります。例えばロンドンの金融街シティーは「世界の金融センター」として有名ですが、その地位を保つうえでタックスヘイブンからの流入資金とそれを使った金融取引が大きく寄与しているといわれています。過去にはCIA(米中央情報局)が秘密工作資金を動かすのに使った可能性も指摘されており、うがった見方をするならば、両国にとってタックスヘイブンにはいわば“必要悪”としての側面もあることになります。
政治家や資本家は特権の使い方が問われている
タックスヘイブンは功罪あわせ持つ形で国家や資本家、資産家などに重宝されているわけで、今後も何らかの形で温存されていく公算が強そうです。その意味では、パナマ文書はタックスヘイブンの存在自体を脅かすまでには至らないことになりますが、少し視点を変えてみると、この告発が私たちにまた違った問いかけを発しているようにも思われます。
パナマ文書では英国のキャメロン首相など、課税逃れ対策を主導すべき政治リーダーやその家族、友人などがタックスヘイブンを利用していたことが明らかになりました。個人でタックスヘイブンを利用できるのは、まとまった運用資産を持つ富裕層に限られます。たとえ合法であっても、増税や社会保障カットを強いる立場の政治家や一部の富裕層が、一般人にはうかがい知れないところで特権を行使していたという事実は世論の大きな反感を買っています。
ここで意識を向けてみたいのは、私たちの社会が潜在的に抱える矛盾についてです。日本を含む先進国は資本主義と民主主義をともに採用しており、原則としてそれぞれが資本の自由な活動と、国民主権(民益)を保証しています。ただし、利益の最大化を図ろうとする資本の自由な動きは、大多数の国民の利益と必ずしも一致するわけではありません。特に経済成長が鈍化・停滞する局面では、こうした国家制度としての自己矛盾が、一般大衆における経済的な不公平感の広がりとして露見しやすいのだと考えられます。
一部の限られた人間が資本を手にし、それを動かして結果的にさらなる資本を手にすることは民主的とはいえませんが、それこそが資本主義の大きな特徴です。しかしながら、そのような立場にある人々は、なぜこうした矛盾がまかり通っているのかについてよくよく考えるべきだと思います。言うまでもなく、国民の間にある程度の納得や信頼がなければ資本の自由な活動など成立しません。
振り返れば日本でもここ数年、政治家や企業による不正やごまかし、不祥事などが相次いでいます。いまさら「自制を」などと言ってもむなしい気もしますが、一般大衆は単純に特権をやっかんでいるわけではなく、特権の使い方を見ているのだということを、政治家や資本家は肝に銘じておくべきではないでしょうか。