金融そもそも講座

マーケット、トランプ関税乗り切りに自信深める

第383回 メインビジュアル

2期目就任から吹き荒れている「トランプ関税の嵐」は、今も強度強く続いている。交渉遅延に苛立ったのか、7月中旬には日本を先頭に各国に「書簡」を送りつけ「あなたの国の対米輸出の包括関税(blanket tariffs)は○○%になります。8月1日が実施日時です。交渉はそれまでに」とカードを切ってきた。この関税は鉄鋼・自動車など既に課されている部門別関税とは別物で、各国の「その他輸出品全般」に課される。日本に提示された関税率は25%と、当初(4月初旬)発表時の24%より高い。

筆者が「嵐」と呼ぶのは、トランプ米大統領の口から出てくる関税率が大幅に高いからだ。バイデン政権時代までに比べて軽く10倍以上。普通でも驚く。加えて、その実施(時期、幅など)に関して大統領は頻繁に発言を変え、米国内外企業の事業計画を難しくしている。新しい期限8月1日に関しても、最初は「延長もある」と言っていたが、その翌日には「延長はない」と発言を変えた。狙いは「巨額の米貿易赤字の削減」と「再び米国を製造業の国」にすること。

しかしここが重要なのは、マーケットは「トリプル安懸念」まで生じた4月の頃に比べると非常に落ち着いていることだ。なによりも、債券利回りがトランプ発言にあまり反応しなくなった。よって株式市場は安定し、高値を追いやすくなっている。「トリプル安懸念」の頃は、債券利回りは時に急上昇し、市場全体が不安感を高めた。しかし今は債券利回りの落ち着き故に、株は世界的に高い。

マーケットは、まるで吹き荒れる嵐の中で居心地の良い「シェルター(待避場所)」を見つけたような印象なのだ。今回は「何故その大きな変化が生じたのか」を分析してみたい。日本を含めて世界のマーケットを考える上で重要だし、世界経済が今後どう展開するかを考える上で欠かせない視点だからだ。

起きないインフレ

マーケット、特に債券市場が落ち着きを見せ始めた背景には、「本当にトランプ関税で米国のインフレ率は上がるのか?」「いや、上がらないのでは」という見方の台頭がある。関税騒動の初期には、多くのエコノミストが「高率関税は米国のインフレ率を押し上げ、それが金利上昇を呼び、景気を冷やす」可能性がある。つまり“スタグフレーション”の発生懸念があると警告していた。それが多数意見だったのだ。しかし最近は、「私はインフレ発生を予想していない。原油安や債券利回り低下などを見てもそうだ」(ベッセント米財務長官)という見方が力を持ちつつある。

7月の中旬には米大統領経済諮問委員会(CEA)委員長のスティーブン・ミラン氏がCNBCに出演して、「トランプ関税は物価を押し上げるかもしれないが、その可能性は極めて低い。あえて言えば、隕石が地球に落ちる程度の低確率だ」と述べた。ミラン氏は「未来が見えるクリスタル・ボールを持っているわけではない」としながらも、「関税が物価を押し上げるのは、むしろ極めて稀なケース」と強調した。

エコノミストの間でも、徐々に「心配するほどのインフレは起きないかもしれない」との予想が増えている。FRB(米連邦準備理事会)の理事やエコノミストの間でも、「インフレが起きる懸念は低下した」との意見を述べ、「早期に利下げできるかもしれない」との見方を語る関係者もいる。パウエル議長はインフレ再燃の懸念は残っているので、「まだ様子見」という公式スタンス。しかし出てくる統計は依然として物価の相対的安定を示している。「様子見すべきだ」という見方は徐々に少数派になりつつある。

延期、備蓄、時間差...

なぜ関税引き上げを一部既に断行している米国の物価が安定しているのか。背景として

  •  ①発表しても、トランプ米大統領は多くの関税引き上げの時期に関して、延期を繰り返している
  •  ②多くの企業が関税引き上げに備えて物資・商品の備蓄をしていて、今はそれを出荷中
  •  ③一般的に関税引き上げと商品価格引き上げの間には、時間的にかなり間隔がある

などが指摘される。②や③が主な背景だとすると、時間はかかるが「いずれ米国のインフレは上がってくる」との見方も出来る。今のマーケットはそこまで読んでいないのかも知れない。多分パウエル議長はこの懸念を抱き続けている。

しかし「もっと重要なポイントがある」と指摘することも可能だ。それは「売るサイドの自粛」。関税に関しては、一定幅引き上げられると米国の輸入業者はその分だけ米国内販売価格を引き上げる、との見方が一般的だ。エコノミストもそう考えた。しかし現実の世界は必ずしもそうではない。

米国は巨大な消費市場を抱える。このような大きなマーケットでは、世界の主要なメーカー・業者は販路として一定のシェアが常に欲しい。一定のシェア・量的販売規模を前提に販売店やスタッフの企業インフラを構築し、人員を雇用し、それ故に地域社会でも認められているからだ。

そうした事情から、「対米輸出業者はシェアの低下を懸念して上昇分のかなりを飲み込み(輸出元企業と米国の販売会社で)、消費者には転嫁しない」例が数多く報告されている。関税引き上げを理由に直ちに値上げして米国内販売が大きく落ち込んだら、販売店を減らし、人員を減らしと大きな代償を払わなければならない。つまり、その分だけ経済規模が大きく多数の豊かな消費者を抱える国は有利だと言える。

これは米国の消費者にとって恩恵が大きい。統計で見ても、米国の“消費者”物価はあまり上がらないことになる。今米国の金融市場はこのケースを考えているとも思える。もしそうだとしたら、トランプ米大統領が関税を引き上げても市場で動揺が起きない理由が理解できる。

売るサイドの利益は毀損

しかし考えてみれば、これは米国にとっては良いが、長く続いた場合には売るサイド(輸出元の企業や米販売会社)は打撃を受けることになる。「値上げ分」をかぶり続けざるを得ないからだ。利益の減少が生じ、長く続ければ企業体力の低下、国民経済の弱体化につながる。日本や欧州が時間の経過の中で懸念しなければならない事態だ。

ただし今起きているのは「世界的な株高」だ。それに持続性があるのだろうか。米国の市場が良い環境なのは理解できる。「関税引き上げの影響は少なくて済みそうだ」「実際に長期債利回りは上がっていない」「やはりAI(人工知能)需要は強い」などが背景。米国の株高には十分な理由があるように見える。

では日本や欧州の株高には持続性があるのか。むろん株式市場への資金流入は様々な要因で生じる。世界的に資金を株式市場に入れる動きが生じているのかもしれない。しかし日欧は米国への輸出に関してはともに米国に「売るサイド」。意図をもって値上げを抑制すれば、値上げ分のコストの飲み込みなど不利を強いられ続ける危険性がある。

この点に関しては、日本や欧州の市場はまだあまり深く考えていないのかもしれない。今は世界のリーダーであるニューヨークが堅調だとか、「トランプ関税」は予想より厳しいものにもなっていないとか。トランプ米大統領はいざとなれば、ニューヨーク市場の動揺を避けるためにそれを落ち着かせる措置を取る....などの思惑だ。この問題は重要なので、また詳しく取り上げたい。

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もっとも世界的にマーケットがかなり落ち着いてきたと言っても、トランプ関税劇場は終わっていない。同大統領はブラジルに対して50%という高い新税率を通知。自分と親しかったボルソナロ前大統領に対する制裁をやめるよう要求するなど恣意性も高めている。トランプ米大統領は銅に対しても50%関税を打ち出している。トランプ氏は予測可能性の低い人だけに、先進国市場の波乱は、今後もありそうだ。

ご注意:本コラムは、上記掲載日から2週間程度前に伊藤洋一氏が執筆されたものです。
閲覧される時期によっては、現状に即さないことも予想されます。また、内容には仮定に基づいた記述も含まれます。ご了承ください。