危機対処、何か一つ目安設定を
第382回
トランプ米大統領が言うところの「(イラン・イスラエルの)12日戦争」は、米国軍がイランの核施設を地下貫通弾(通称バンカーバスター、今回使用は最新・最強の13トン地下貫通機能付)で攻撃するという緊迫の中で展開し、市場には緊張感が漂った。「米国を巻き込んで中東紛争は拡大か?」と世界が固唾を呑んだが、その後トランプ米大統領がカタール政府の助力もあって当事国のイランとイスラエルを和平に誘うという予想外の展開に。
そこで今回は、「グローバルな危機」が起きた時に、市場に参加する人間として何に注目すべきかを取り上げたい。世界のメディアはそれが仕事だから危機の発生を伝え、「最悪を予想する」ことから報じる。しかし今回もそうだが、危機はほとんどのケースにおいて「最悪の事態」とはならない。人間社会では抑制が働くからだ。焦ってポジションを動かすのは、時として大きな失敗を呼ぶ。では投資家はどうすれば良いのか。
それは「危機の深刻度」を図る目安を定めて、それを注視することだ。今回それが「石油価格」だったと思う。目安を石油に定めた筆者には、その一応の紛争決着と市場の落ち着きは、それほど予想外ではなかった。石油価格は上昇したが1バレル80ドルを上回らなかった。イラン、イスラエル両国にはミサイルと爆弾の雨が降ったが、各当事国が置かれた環境を見れば「紛争が拡大しそうにない状況」が見てとれた。
我々がマーケットと呼ぶ場には、あらゆる情報が集まる。石油だったら、各国での製油所の稼働状態、石油製品積み出し港でのタンカーの日々の動き、保険市場の動き。さらに各産油国政府が下す決定とそれに影響を与える様々な筋の動き。それら情報の集積を受けた“相場”は、しばしば過去の経験知を生かしているだけの「業界専門家」の予想より遙かに正確だ。
今回は「世界の危機」と思える事態が起きたときに、参加者として何をどう見るべきかを取り上げ、その後に今後の中東の展開を予想してみたい。
中東なら“石油価格”
今回の中東危機の発生に関して、筆者が最初から目線を離さなかったのは石油価格だ。北海ブレント先物相場、WTI(ウエスト・テキサス・インターミディエート)など様々な油種・指標があるが、どれか一つメジャーなものを選んで、それをコンスタントに追うのが賢明だ。石油相場の動きの中には米国、イラン、イスラエルの動き・姿勢が全て織り込まれる。それには、中東地域(石油の一大採掘地)がどのように展開しているかが反映される。
筆者が大きな視点(ポイント)としたのは、価格が1バレル80ドルを超えるかどうかだった。なぜ80かというと、事案発生時点の石油価格が60ドル前後で、世界全体が大きな危機感を抱く価格水準が、歴史的に100ドルだからだ。日本のアナリストの中には「ホルムズ海峡が封鎖されたら1バレル140ドルも」と言っていた人がいた。
仮定の話だから何を言っても良いが、イランがなかなかホルムズ海峡を封鎖できないことは以前から分かっている。なぜなら封鎖したら自分の国の石油(イランの大きな輸出商品)も搬出できなくなるし、その場合には外貨(輸出収入)も入ってこない。国内経済は疲弊する。かつ当事国以外の国(例えば日本や韓国)の国から非難を受ける。輸出元としての信頼感にも傷が付く。長期的にこれらの顧客を大事にしたいなら、ホルムズ海峡の封鎖は悪手だ。
そもそも国というものは、自国の長期的存亡を危険にさらすような決定を下すのは稀だ。イランには9000万の人が暮らし、消極的であろうと彼等の支持で国家体制は成り立っている。その基盤を破壊することは、即ち自ら体制(権力基盤)を放棄するに等しい。最高指導者ハメネイ師をトップとする今のイスラム共和国体制は、同師が86才という高齢であり次世代の指導者が未定であること、同師の側近が次々にイスラエルに殺害されたことから、極めて脆弱だった。
厳しい立ち位置のイラン
イランが中東で置かれた立ち位置は厳しい。イスラム教の中にあって少数派のシーア派の政権を守るために、イランは近隣国にシールド(分派組織でレバノンのヒズボラ、ガザのハマス、イエメンのフーシ派)を構築していた。しかしイスラエルに前2者を徹底的に叩かれて、フーシ派も米国から圧力を受けている。つまり中東で孤立無援になったのが今のイランだ。さらに無人自爆ドローンを供与していたロシアも、ウクライナ問題での対米関係悪化を懸念して表立ってイランを支援できない。
国内も脆弱、外交的には孤立というイランが出来る事と言えば、「国内的対面を保ち、体制維持を図る」ことだけだった。それがカタールの米軍基地に対する「事前通告付きの小規模ミサイル攻撃」で、これをもってイランの現政権は「大勝利」と呼んでいる。脆弱な国内体制を考えれば、「負けた」とはとても言えない。それが露骨に見えるほど今のイランは弱い。
かつ今のアラブの主要産油国、例えばサウジアラビアとその周辺国は「米国(トランプ氏)との関係改善」を急ぎ、石油価格が高くならないように石油を生産・輸出調整している。それが失敗(サウジの態度変更など)したときのみ1バレル80ドル以上の石油価格が実現しそうだったので、筆者は「1バレル80ドル」を今回の中東紛争で「最も重要な市場的メルクマール(指標)」とした。多分それは当分変わらない。
既に多くの人が知っていると思うが、世界の石油相場のトレースは、かなりリアルタイムに近い形で可能だ。CNBCやヤフー、iPhoneの「株価」でも設定をきちんとすればいつでも確認できる。無料一般メディアの相場は15分遅れのケースが多いが、それでも時々(数時間に一回程度)の既存メディアの報道よりはマーケットの動きがよく把握できる。筆者が原油相場の動向と同時に見ていた指標は、米ドル、仮想通貨、欧州株の動きなど様々だ。むろん日本の株の動きも重要だった。しかしそれぞれの危機には、「この指標だけは外せない」というものがある。今回は明らかにそれが石油相場だった。
和平継続は難しい
では今後イランとイスラエルの対立を中核とする中東情勢はどう展開するのか。筆者はこの文章を執筆している時点(停戦の正式発行となった日本時間の2025年6月25日午後1時)では、両国の和平状態継続が極めて困難だと考える。それはトランプ米大統領が「戦争は終わった」と言っても変わらない。その理由は以下の通り。
まず、停戦合意が急遽出来上がった経緯から。主導したのは米国のトランプ米大統領だ。中東関与反対派の存在(MAGA(米国を再び偉大に)内部の支持者の間でも)を気にしていて、自分の名誉欲もあり「停戦」を急いだ。アシストしたのはカタール政府。中東で最大の米国軍基地がある。長引けばイランから攻撃される危険性があった。
その提案に乗ったのがイランだ。その理由は既に述べた国力の低下。他に選択肢はなかったと思われる。イスラエルはと言えば、トランプ米大統領がバンカーバスターまで出してくれた「大統領への借り」から、ある意味いやいや同意したと見る。次に述べるように、イスラエルは対イラン作戦の最終目標を達成していない。
和平の持続性は怪しい。そもそもイスラエルはかねて、「(イランの核を含めて各種)脅威を取り除く」を対イラン政策の柱としている。今回のイスラエル、米国の一連の軍事措置では「完全なる除去」は出来ていないというのが米国の軍事分析機関の判断でもある。米国のバンカーバスター6発を使っても、フォルドゥ(イラン核施設の中で最重要)の高濃縮ウラン製造装置は「数カ月の修理で稼働可能」の状態だというし、事前に持ち出された高濃度濃縮ウラン(原子爆弾数個分)の在処は不明だ。かつハメネイ体制は残っている。
ということは、対ハマス、対ヒズボラの時と同様に、「敵が攻撃してきたからこちらもする」という論理で、イスラエルは対イラン攻撃の機会をうかがい、時に散発的、時に強く合目的的に実施する可能性が強い。今は停戦違反にトランプ米大統領が激怒したから控えているだけだと思う。一度はトランプ提案(全面停戦)を受け入れたことで、「トランプ氏からの借りは返した」との立場にイスラエルは立てるからだ。
もっともその危険性を察知してか、トランプ米政権はイランとの話し合いを継続する方針を既に明らかにしている。しかしイランは「核開発は継続」の立場を崩していない。イスラエルは口実を探し、タイミングを見てイラン攻撃の歩を進めるだろう。その時も「石油価格の動き」を見れば、市場的リパーカッションの範囲が分かる。