金融そもそも講座

米市場のトリプル安懸念は消えた?---株高突出

第381回 メインビジュアル

米国の金融市場を取り巻く環境は、大きく変わりつつある。最大のリスクとされた「トリプル安(株・債券・ドルの同時安)」への懸念が著しく後退したからだ。ドル安傾向は残っている。しかし債券相場(利回り)は「概ね横ばい」の落ち着いた動きで、「いつ値崩れするのか」「10年債利回りが急騰か」という危機状態からは脱した。何よりも株がトランプ米大統領高率関税の発表時の急落からV字回復して、ダウ工業株30種平均・S&P500種株価指数・ナスダック総合株価指数の代表的指数を見ても新高値を視野に入れることができる水準まで回復したことが大きい。

ニューヨークの株価の戻りは各指数の1年チャートを作ればすぐに分かる。とにかくトランプ関税公表(4月初旬)時の急落から、最近は足早な、かつ着実な戻り歩調だ。チャートはシャープな谷底の形をしている。つまり「トリプル安懸念」から、株価が一抜けした状況なのだ。しかも株価は世界的に高い。対米関税交渉で苦戦している日本、欧州でもそうなのだ。

全体的状況がそれほど改善したわけではない。7月9日という米国と各国との関税交渉期限は、刻々と迫っている。トランプ政策の不安定感は、相変わらず強く残る。ロサンゼルスでスタートした不法移民取り締まりを巡る騒動は、全米規模になっている。米国の政治状況は不安定だ。その中での債券相場の落ち着きと株価の上昇。マーケットには「やや不思議」との見方もある。

前回「マーケットに参加する人間が重視すべき“変数”と、変数を入れれば答えが出てくる“方程式”が役割を大きく変えている」と指摘した。その状態は今も変わっていない。しかし不透明感が漂う中で、株式市場には実際に世界的規模で資金が入っている。

今回の「そもそも講座」は、前回の問題意識(変数と方程式の変化)を踏まえながら、今のマーケットで起きているドル安と株高の共存を考えてみたい。

一抜けした株

世界の主要市場の株価の戻りが素早いことは、すぐ分かる。手元のデバイスで1年チャートを表示させれば明瞭だ。予想外だったのは、ニューヨークの株価の戻り。「トランプ政策故に株価は大きくぶれて不安定。ニューヨーク市場からその他市場(欧州や日本など)にお金が流れて、米株の水準回復は遅れるのでは」との見方もあったが、実際は違った。

ロンドンでの6月初旬の米中協議の最中にも、「話し合っているのだから、何らかの成果が出るのでは」との楽観論がニューヨークでは強く、3指数(ダウ、SP、Nasdaq)はゆっくりと上値を追った。世界的に見ても株価は高い水準にある。世界株の指標であるMSCIオール・カントリー・ワールドインデックス指数は4月の安値から20%以上上昇して一時900を上回った。2月の高値を抜いたのだ。

やや楽観論が過ぎるようにも見えるが、とにかく世界的に「株式相場の下方硬直性」が見られる。戻りの速さで言うと、最近は日本やドイツよりもニューヨークが目立つ。エヌビディアなどAI関連株も復活してきた。ニューヨークが強いのには理由がありそうだ。米国国内からの株式市場への資金流入だ。欧州ベースのファンドなどは、今は米国への投資に積極的ではない。しかしその代役として米国国内のマネー・マーケット・ファンド(MMF)などの短期資金が株式市場に入っているとの見方が強い。

米国の友人達によると、「先行き不安から、消費好きの米国人も大きな買い物をしなくなった」という。珍しく節約ムード。その分お金が手元に残る。そのお金がMMFに流れ込み、それが米国の株式市場に流れ込んでいるのでは、という見立てだ。筆者もその可能性が高いと思う。

日本人は銀行預金が好きだが、米国人はそうではない。出来たら株、それも不安だったらせめてMMFなどの短期運用ファンドにお金を預ける傾向が強い。家計の6割が株を持っている国なので、日本などと違ってはるかに株式市場にお金が集まりやすい環境がある。

薄れるトランプ氏への恐怖

最近の株式市場を見ていて目立つのは、「トランプ氏への恐怖の消失」だ。「何かをしでかすかもしれない。その場合、マーケットは大きな混乱になる」という警戒感が薄れている。債券市場を見ていると、「トランプ氏がこれを言ったら、債券相場は売られるだろう」と1カ月前に思ったことも、今の市場は比較的静かに受け流す。(利回りの)上方硬直性が見られる。もっとも5月の消費者物価など良い物価指標が出ても、利回りの持続的大幅低下にはつながらない。つまり上にも下にもあまり動けない状況になっている。

なぜ債券市場が大人しくなったのか。トランプ氏への恐怖は緩和したが、一方で関税を巡る状況が最終的にどう決着するか判断を下せないからだ。相互関税の上乗せ部分を90日間延期したエンド(お尻)は、大部分の国について7月9日だ。接近している。しかし関税交渉が大枠合意したのは英国1カ国。それも詳細については詰まっていない。正式合意文書はまだ作成されていないのだ。

「(関税交渉で)先頭を切る」と米国政府高官も言っていた日本は、10%のユニバーサル税を自動車に適用するかどうかを含めて、揉めに揉めている。毎週赤沢経財相が米国詣でをしても、大きな進捗は報告されていない。7月9日の期限は再延期される可能性はある。既にベッセント米財務長官はそれを示唆している。ただそれは確定ではないし、TACO(Trump Always Chickens Out=トランプ米大統領はいつもびびってやめる)の揶揄(やゆ)を気にしているトランプ米大統領が前後の見境を見失って「上乗せ部分も期限通りに実施」と言い出す危険性もある。まだ市場としては「トランプ・リスク」を捨て去ることは出来ないのだ。

「トランプ氏はもはや株式市場のお友達ではない」という認識が強まった春(4月)に比べると、「トランプ氏も管理・予測可能なリスク」という見方に変わってきた。つまり、最後はやはり米国の金融市場の崩壊(トリプル安の現実化)が嫌なので、トランプ氏はマーケットに大きな打撃になることはしないという認識。それが今の米国の株式市場の強気につながっている。

その他にも、①トランプの手法にマーケットが慣れてきた ②多少の関税上乗せなら、米国経済にはそれほど大きな打撃にはならないとの楽観論の広がり-----などもあると思う。

影の主役は中国

もう一つ今のマーケットを理解する大きな鍵は、中国だと思う。鄧小平の時代から「レアアースは石油のない中国の対外的武器」であることは中国が一番分かっていたし、世界も知っていた。しかしトランプ米政権はその事実を放念していたのか、「レアメタルでの備え」をしないまま中国との関税戦争に入った。そしてすぐに「米国の産業界、そして武器製造もレアアースがなければ回らない」という点に気がついた。

これは米国、いやトランプ米政権にとって衝撃だったはずだ。ジュネーブ(5月)の米中協議も、ロンドン(6月)での米中協議も、開催しようと働きかけたのはトランプ米政権からだった。中国は待ちの姿勢。レアアースという交渉武器が強いカードとしてあることを知っていたからだ。中国がレアアースの輸出を少し規制しただけで、フォードの自動車生産が止まることを思い知り、トランプ米政権は焦った。

ロンドンでの協議を終えたラトニック米商務長官は、「(レアアース=希土類の輸出規制は)解決されるだろう」と述べた。「だろう」に筆者は注目した。協議を終えても米国は、米国に必要な量の希土類を中国が輸出してくれると確信が持てないのだ。つまり、関税交渉は中国ペースになった。攻めているように見える米国は、実は脆弱だ。

「関税交渉が中国ペースになった」ということは、トランプ氏は関税で中国にあまり強くでられないということを意味する。それはトランプ氏にとっての「関税という武器」が鋭さ・凄(すご)さを落とすことを意味する。株式市場にとっては良いことだ。実際に世界の株価は上がっている。

一方で「ドル」の観点からすると、中国の長期的意図は「米国におけるドル資産を減らす。ドルを基軸通貨の地位から徐々に落とす」ということにある。中国の米国債保有量は一貫して下がっている。これは基本的にはドル下方圧力だ。不法移民の問題を見ても、米国が非常に秩序だっていると思う人は少ないだろう。中国ばかりでなく、他の国も逃げたい。

むろんドル安は、一気に噴出するものではない。中国はドルに代替しうる通貨を持っていない。人民元を積極的に持とうという国、機関投資家は少ないだろう。あまりにも信頼性に欠ける。しかし市場に漂う「ドルへの先行き不安」は根強い。米国の政治的・社会的・経済政策的混迷が背景だ。

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「中国」を軸に考えると、今の株高・ドル安も「理由なきこと」ではない。今のニューヨーク株高や債券相場の安定した動きは、米国国内からの買いに支えられて、その限りで続く。しかし中国を含めて米国に不信感を抱き始めた海外の投資家(中国関連)は、徐々にドル資産を売って他の資産(ユーロ建て、円建てや仮想通貨)を増やすだろう。そのプロセスはゆっくりだが、確実だ。

ご注意:本コラムは、上記掲載日から2週間程度前に伊藤洋一氏が執筆されたものです。
閲覧される時期によっては、現状に即さないことも予想されます。また、内容には仮定に基づいた記述も含まれます。ご了承ください。