初心者でも投資を始めやすい環境は、整ってきたのでしょうか?
つみたてNISA口座の3割超が未稼働
本稿で以前、日本人にとって投資や資産運用がもっと身近になるためには何が必要なのか、考えたことがあります。以下のような内容でした。
「人々に投資対象を複数から選ばせるのではなく、最初から一つだけ用意する。例えば月々の積み立てで投資信託を購入していくスタンダードな長期運用モデルを、いっそのこと国がつくって提供してみたらどうか」(2017年3月15日掲載)。
その後、18年1月から積み立て型の少額投資非課税制度(つみたてNISA)が始まりました。つみたてNISAで投資の対象となる商品は、購入時の手数料や信託報酬が一定水準以下など、金融庁が定めた条件を満たす必要があり、いわば国による推奨商品だけがラインアップに並ぶ形となっています。
つみたてNISAの口座数は、20年12月末時点では302万口座でしたが、今年(21年)3月末には361万口座、6月末には417万口座と着実に増えてきています。年齢別では20歳代が81万口座(全体の19.4%)と、20年6月末からの1年間で約2倍に増加。30歳代は118万口座(同28.2%)と1.8倍に、40歳代も103万口座(同24.8%)と1.6倍に増加しました。
若年層を中心に長期の資産運用に関心を持つ人が急速に増えつつあるわけで、その意味では、本稿でかつて示した考えがなかば実現したと言えるのかもしれません。ただし、つみたてNISAの利用実態をみる限り、いくつか気になる課題も残っているように感じます。
例えば口座を開設したものの、実際に積み立て投資を始めていない未稼働の口座が多いこと。金融庁によると、20年12月末時点で、つみたてNISA全口座のうち一度も買い付けがない口座は3割超に上っていました。商品を選ぶ段階で迷ってしまい、なかなか積み立てを始められない人も多いようです。
つみたてNISAの対象商品は今年12月14日現在で201本となっています。公募型投信が全体で6000本近くもあることを考えれば、相当に数が絞られていることは確かです。
しかしながら、対象商品には日経平均株価に連動する株式投信が17本、先進国の世界株指数に連動する株式投信が17本、8資産の指数に分散投資するバランス型投信が30本など、同じようなタイプのインデックス型投信が数多く用意されています。これだと投資が初めてという人にとっては選択肢が多く、似たような商品ばかりで違いが分かりづらい印象が強いのではないでしょうか。
商品選定と長期運用をいかにフォローするか
つみたてNISAは日本人の長期的な資産形成や資産運用を支援するためにつくられた制度ですが、そうした国の意図とは裏腹に、意外と短期で積み立てをやめて売却する人が多いのも現実です。19年には158億円、20年には519億円と、各年初におけるつみたてNISA口座残高のそれぞれ18%、17%に相当する金額が売却されています。
つみたてNISAではいったん売却すると、その利用枠分の税制優遇効果が消失してしまうため、少なくとも10年以上の長期運用をめざすのが基本といわれています。それでも短期の売却が2割近くもあるというのは、どういうことなのでしょうか。
18年からの投資環境を振り返ると、20年の春先に新型コロナウイルスの感染拡大によって金融市場が大混乱に陥った以外は、世界的に株式相場はおおむね堅調に推移してきました。そのため、つみたてNISA口座のほとんどで含み益が生じて、人によっては利益確定をしたくなる状況にあったとも考えられます。
最近では「つみたて」に「一般」「ジュニア」を加えた全NISA口座において、特に相場の上昇が顕著な米国株など、海外の株式で運用するインデックス型投信の積立金額が増えています。つみたてNISA口座では50~80歳代の合計比率も27.7%に達しており、こうした中高齢層が使途に応じて売却する例もありそうなので一概には言えません。しかし、今後も株式相場の上昇ぶりをみて利益確定に走る人が一定数、出てくるかもしれません。
実はそれ以上に危惧されるのはこの先、株式相場が下落に転じた場合です。つみたてNISAで投資を始めた人は、2000年代初期のITバブル崩壊や08年のリーマン・ショックによる株式相場の継続的な下落局面を経験していません。いわゆるアベノミクス以前の日本株の長期低迷についてもしかりです。
今後どこかで世界的に株式相場の下落がある程度、長く続くような事態に陥ったとき、積み立て投資では逆にそれが平均購入単価の低減につながることをきちんと理解して、心理的な平静を保てるかどうかが重要になってきます。
投資の入り口にあたる「商品選定」と、実際に投資を始めてからの「長期運用の啓蒙」という2つの観点において、初心者をフォローする分かりやすい知識や考え方の提供など、制度を補完するための工夫がいま、より強く求められているように思われます。