自分のイメージや思考パターンが投資に及ぼす影響について教えてください
定期的に受け取る分配金は本当に必要なお金なのか?
投信業界でこのところ、またもや不思議な風潮が広まっています。いわゆる毎月分配型投信は金融庁から「顧客本位の商品ではない」との批判を受けて、すでに一時の勢いを失いましたが、代わって隔月分配型投信の人気が高まっているのです。
投信コンサルティングを手がける三菱アセット・ブレインズによると、今年(2018年)3月の時点で毎月分配型投信は11カ月連続の資金流出超となりましたが、分配金を1カ月おきに出す隔月分配型投信は逆に10カ月連続の資金流入超となっています。定年退職を迎えたシニア層を中心に、日本の個人の間では高い頻度で配当金を出す投信へのニーズが根強くあり、隔月型がその受け皿になっている模様です。
冒頭であえて“不思議な風潮”という言葉を使ったのは、人々がこの手の投信になぜ魅力を感じるのか、どうしてもうまく理解できないからです。本稿でも過去にさまざまな分析を試みましたが、結局は個人が定期的な分配金を「日々の生活費に充てられるお小遣い」のような感覚で捉えていることが、背景にある要因として大きいような気がします。
個人が分配金に関して抱くイメージはいったいどこから来るものなのか、考えてみましょう。例えば隔月分配型投信が恒常的に収益を上げていて、必ずその一部を分配金に回している場合、個人が1カ月おきに受け取る分配金はすべて投資のリターンにあたるものなので、お小遣いや臨時収入という感覚はあながち間違いではありません。
しかしながら、就労所得のない高齢者が生活費の足しにするという観点で見れば、預貯金を取り崩してもさして変わりはないはずです。一方では投資によって資産全体を増やす試みを続けながら、一方では必要に応じて預貯金から補填するというお金のやりくりは、決して珍しいものではないでしょう。
ここで問題なのは、投資における「複利効果」というメリットを犠牲にしてでも、定期的に受け取るお小遣い(分配金)が本当に必要なのか、ということです。生活費に充てると言いながら、実際にはちょっとぜいたくができてうれしかった、というケースも結構多いのではないでしょうか。それは単に投資でリターンが得られた(と思い込む)から気が大きくなっているだけで、資産全体としては財布のひもが緩んでいるに過ぎません。
シニア層ならではの時間に対する概念と投資の関係性
投資を怖いものと考えていっさい手を出さない日本人が相変わらず多いにもかかわらず、いったん投資を始めると金銭感覚のタガが外れてしまうような人もまた多いというのは、どういうことなのでしょう。
17年にノーベル経済学賞を受賞したシカゴ大学のリチャード・セイラー教授は、行動経済学の「メンタル・アカウンティング」(心の会計)という分野の第一人者として知られています。その研究によると、人間は心の中で半ば無意識のうちにお金を預貯金や生活費、旅行代金、投資資金といった目的別の勘定袋に仕分け、それぞれで会計処理を行っているそうです。
結果として生活費から負担する食料や日用品については5円、10円単位で節約を考えるのに、投資資金は別勘定になっているため、含み益が出た途端に高額の買い物をするなど、大胆な行動を取りやすくなります。頻繁に分配金を出すタイプの投信は、悪い言い方をするならば人々のこうした心理傾向を逆手にとって、頻繁に投資勘定を意識させることによって大きな人気を得たのかもしれません。
分配金が重宝される背景としてもう一つ、時間に対する人々の概念にも注目が必要です。日本人の寿命が延びて人生80年以上が当たり前になったとはいえ、シニア層にとってはやはり、残された時間は決して長くないというのが本音ではないでしょうか。体力や気力が次第に衰えていくことも考えると、せっかく投資でリターンが得られるのなら、少しずつでもいいからできるだけ早く果実を手にして、元気なうちに自由に使える喜びを味わいたい――。そんな気持ちになるのも分かるような気がします。
未来の報酬よりも目の前にある報酬を優先しがちな人間の傾向は、行動経済学では「現在バイアス」と呼ばれています。前述した心の会計と合わせて、これらを非合理で愚かな性質と笑うことは簡単ですが、こと投資に関していうならば、誰もが陥りやすい落とし穴だと認識しておいた方がいいかもしれません。
投資という行為は多くの人にとって非日常的なものであり、特別な体験なのだと思います。だからこそ、そこで身についたイメージや思考パターンはその真偽にかかわらず、人々の心理と行動に大きな影響を及ぼすことになるのでしょう。時には自分の抱くイメージや思考を疑ってみることが上達への近道であることは、どのような世界にも通じる道理ですが、それが非常に受け入れがたい心理的障壁であることも理解しておいた方がいいでしょう。