グローバル化の是非について、どのように考えればいいですか?(前編)
恩恵を受ける側の振る舞いが問題を大きくしている?
グローバル化は世界にさまざまな変化をもたらしましたが、なかでも最も根源的で影響力が大きい変化は、お金(資本)が国境を越えて盛んに移動するようになったことでしょう。資本の国際移動が活発になればなるほど、グローバルに活動する企業や投資家は、よりビジネスのしやすい場所(環境)に生産拠点や投資資金を移動しようと考えます。
それに合わせて、各国政府はグローバルな企業や投資家に配慮した政策を採るようになります。海外から直接投資を呼び込むために法人税率を下げたり、移民や外国人労働者を積極的に受け入れて人件費の低下を図るといった取り組みです。これらは同時に、すでに自国内にある企業や資本が国外に流出することを防ぐ狙いもあります。
政府がグローバルな企業や投資家に好まれる、いわばお金を引き寄せるための政策を優先すると、結果として自国民にとっては好ましくないケースも目立つようになります。例えば法人税率が下がる一方で消費税率が上がる、人件費削減の一環として非正規雇用が増える、移民の増加分だけ社会福祉サービスの質が低下する――などの変化です。それでも国全体の経済成長が促進され、一般国民のレベルでも生活水準の向上を実感できれば問題はないわけですが、逆に生活の悪化や不安定化が強く意識されるようになると、国民の間で政策に対する不満は高まってきます。
さらに問題を大きくしているのが、そうした政策の恩恵を受ける側の振る舞いです。グローバル企業や投資家の一部は、自分たちに有利な環境の下で得た利益を、自分たちにとって都合のよい政党や政治家に対するロビー活動につぎ込んでいるとも言われます。単に好ましい政策の維持を求めるだけでなく、さまざまな権利や契約条件などに関するルールを自らに有利な形に変更して、既得権益をいっそう強化しようとする動きも広がっている模様です。
グローバルに活動する企業経営者も投資家も、国の政策を決める政治家も官僚も、一般的には社会を主導していく立場にあるエリート層の人たちです。今日ではそのエリート層の振る舞いが間接的に一般国民の生活を脅かしている、という面も少なからずあるのではないでしょうか。そこにはグローバル化の進展にともなって、エリート層の存立基盤が従来の地域社会や国から地球規模のグローバル市場に変わったことが大きく関係しています。
お金ではなく社会という観点で意義や課題を考える
グローバル化の推進者たちは、こう言うかもしれません。「競争相手がグローバルに拡大・増加したのだから、地域や国における公共の問題に関わっているのは合理的ではない」と。それなら、彼らはグローバル化の行き着く先にいったい何を見ているのでしょうか。
成長戦略や選択と集中、生産性の向上などの言葉をよく聞きますが、結局のところ彼らの興味は「いかにしてお金でお金を生むか」という一点に尽きるような気がしてなりません。例えばグローバルな経済成長が、地球上の数多くの最貧困層を救ったという側面があることも事実です。しかし、そうした純粋な弱者救済がグローバル化推進の最大の目的として掲げられることは、過去にも未来にも決してないでしょう。
市場関係者のなかには、こんな趣旨の発言をしている人もいます。「将来的にお金が増えても、その時の社会に魅力がなければ投資する意味も薄れてしまう。投資ではお金を増やすことと同時に、豊かな社会を実現することも重視する」。至極まっとうな意見ですが、ここで言う魅力ある豊かな社会とは具体的にどういうものなのでしょうか。
長期的な視点から望ましい社会の枠組みを考える際に、もはや人々のコンセンサス(共通認識)を得るのが難しくなってしまったというのが、現代の大きな特徴のひとつでしょう。グローバル化という問題の本質も、実はその点にあるのかもしれません。すなわち、それが自分のお金回りにとって好ましいか否かではなく、望ましい社会の実現へ向けてグローバル化の意義や課題を見いだす観点こそが重要なのに、エリート層の間でも私たち一般の人たちの間でもいっこうに議論が進んでいない気がします。
英米など先進国の一部では、一般国民が反グローバル化の姿勢を政治に反映させ始めていますが、残念ながらその行動は矛盾に満ちたものとなっています。有権者はグローバル化によって海外に奪われた雇用や所得を取り戻そうと、保護主義的なポピュリズム政策を唱える政治家を支持しているようです。しかし、保護主義がかえって経済不振を招く例が多いのは過去の歴史が証明しています。
一方で、国民意識や愛国心などのいわゆるナショナリズムが、自由や平等といった民主主義的な理念を実現するうえで欠かせないという説もあります。例えばグローバル化によって国民意識が希薄になると、福祉(お金の再分配)の充実による格差是正は難しくなるからです。その意味ではたとえポピュリズムの帰結であっても、従来型の政治・経済のあり方に一石を投じたことは、何らかの形で今後につながるのかもしれません。
次回はその辺りを中心に、引き続きグローバル化について考えてみたいと思います。