日本の労働市場では、いま何が起きているのでしょうか?
人手不足に対して企業が自然な反応を見せ始めた
日本では今年(2017年)2月に完全失業率が2.8%まで下がり、1994年6月以来、22年8カ月ぶりの低水準となりました。同月の有効求人倍率も1.43倍と、四半世紀ぶりの高水準にあります。日銀が発表した3月の全国企業短期経済観測調査(短観)によると、雇用人員が「過剰」と答えた企業の割合から「不足」の割合を引いた雇用人員判断DI(指数)は全規模・全産業でマイナス25となり、企業の人手不足感も同じく四半世紀ぶりの高水準にあることを示しています。
一般論として日本の労働市場は現在、働く意欲と能力を持つ人がすべて雇用され、もはやこれ以上は失業率が下がりにくい「完全雇用」の状態にあるといえます。こうした労働需給のひっ迫は、すでにさまざまな形でモノやサービスに影響を及ぼし始めています。
大王製紙、日本製紙クレシア、王子ネピアの製紙大手3社は、ティッシュ紙やトイレ紙の価格を5月の出荷分から10%以上値上げすると表明しました。背景にあるのは、輸送に使うトラック運賃の上昇です。ティッシュ紙などの家庭紙はかさばる商品を手作業で積むため、フォークリフトを使うのに比べて輸送費がもともと15%ほど高くなります。そこに人手不足によるドライバーの賃金上昇が追い打ちをかけた格好です。
人手不足のためにサービス内容を縮小する動きも広がってきました。外食産業では今年2月から4月にかけて従来の24時間営業を全面的にとりやめたり、一部の店舗で営業時間を短縮するケースが相次いでいます。物流業界でも、ヤマト運輸がサービスと価格の両面で抜本的な見直しを決めたことは記憶に新しいところでしょう。
これらの事例は、企業が人手不足という現実に対していわば“自然な反応”を見せ始めたことを意味します。もちろん、人件費の上昇分を価格に転嫁することで売り上げが落ちることも考えられるし、それが怖くて価格転嫁に踏み切れない企業が多いのも事実です。サービスの縮小によって収益機会を逃す恐れもあるでしょう。しかし、日本企業はこれまであまりにも消費者のご機嫌をうかがい過ぎてきたのではないでしょうか。
デフレが続くなかでサービスの過剰化が進んだ?
苅谷剛彦・オックスフォード大学教授は、日本でサービス産業の従事者に占める大卒者の比率が高まっているにもかかわらず、そうした人的資本の増大に見合うだけの報酬を得られない人が多いことを問題視しています。いわく、価格すなわち報酬に転嫁されにくい過剰なサービス労働のうえに、日本人の便利で快適な生活が成り立っている。日本の消費者はそれを当然と思い、自らが消費者の一人である従業員もサービスの提供に疑念を持たない――。
結果として、高まったはずの人的資本はサービス産業における付加価値や生産性向上には必ずしも結びつかず、他の先進国以上に行き届いたサービス提供によって使い果たされているのではないか、というのが同教授の見立てです。
確かにいわれてみれば、コンビニや宅配便からネットを通じた各種の購入・予約、さらには医療・介護および福祉分野のサービスまで、企業が提供するメニューの豊富さやきめ細かさには目を見張るものがあります。しかも、それら過剰ともいえるサービスの多くは「失われた20年」と呼ばれるデフレ不況のさなかに、目立って進化を遂げてきたのではなかったでしょうか。
レオス・キャピタルワークス社長でファンドマネジャーでもある藤野英人氏が指摘しているように、日本では長らくデフレが続くなかで売り手よりも買い手が強くなり、サービスやモノを提供する側の立場が弱くなり過ぎたのだと思います。政治だけでなく経済の分野でも消費者である大衆の意向が最優先される「ポピュリズム」が広がり、なかでも製造業などに比べて国際競争にさらされることの少ない内需型のサービス産業において、特にその傾向が顕著だったわけです。
最近の働き方改革に関する議論では、仕事の生産性向上と効率化に向けて、人工知能(AI)やロボットの有効活用を急ごうといった意見が相変わらず多く聞かれるようです。それは結果として人手不足への対処にもつながるため、一定の効果を否定するつもりはありません。しかしながら、それ以前に日本企業が人間という限られた資源をどこまで有効に活用しているのか、きちんと検証した方がいいような気もします。
モノやサービスの品質や手厚さに応じて料金設定に大きな差を設けるなど、本来なら当たり前ともいえるビジネスのあり方を企業が取り戻すうえで、人手不足は大きなチャンスなのかもしれません。生産性や効率といった大仰な言葉を持ち出すまでもなく、良いモノやサービスには相応の対価を支払う意識が消費者や取引先の間にきちんと浸透するだけで、働き方改革は大きく進むように思われます。