金融そもそも講座

米中摩擦、行き詰まり状態に

第235回

米国と中国の貿易摩擦が急展開している。客観的情勢からすると“行き詰まり”の、よろしくない方向だ。マーケットもそれを懸念して時に大きく下げたり反発したり。人間が生存を続け日々の生活と世の中が続く限り、「マーケットが織り込めない材料はない」という事を忘れてはならない。米中貿易は世界全体の貿易量から見ると確かに大きいが、関税は上がっても25%。貿易が途絶するわけではない。

しかしこれまでの「より自由な、低関税の貿易」という大きな流れが、「気にくわない国からの輸入には高い関税をかけて、国や企業を保護する」という、今までにない図式に世界が足を踏み入れてきたことは確かだ。来年の大統領選挙でトランプ大統領が落選して「米国は元に戻る」という予測も、希望的観測に過ぎないし軽率の誹(そし)りを免れない。改めて「新しい枠組み下でのマーケット」を考える時期にきていると思う。

抜き差しならぬ段階

日々のニュースは読者の方々もチェックしていると思うので、筆者が最も気にしているポイントを書きたい。

一番重要なのは、今回の米中摩擦は単なる貿易摩擦を越え、抜き差しならぬ段階まできてしまった、ということだ。米国側はそれまで10%だった中国の対米輸出商品に対する関税率を25%に引き上げるに当たって、「中国側が今までの合意をひっくり返した」と主張して実施に踏み切った。その「ひっくり返し」の内容はその時は分からなかったが、「中国、合意案3割削除 今月初め文書の重要部分、白紙に 米中交渉の舞台裏」(2019年5月16日付、日本経済新聞 朝刊)という記事では、非常に重要な指摘をしている。

それは「中国政府が5月初め、約5カ月間の米中貿易協議で積み上げた7分野150ページにわたる合意文書案を105ページに修正・圧縮したうえで、一方的に米側に送付していた」というものだ。米国側が要求し、対米交渉の特別代表(習近平氏から権限を委譲された)で副首相の劉鶴氏も了承した、中国国内の法律改正(国営企業に対する補助金禁止や進出企業に対する技術移転の禁止など)に関わる部分を、中国指導部側が「不平等条約」だとして削除・修正したというのだ。

つまり45ページ分の約束を、中国は一度は受け入れながら、「やはりこんなことはできない」と米国に突き返したことになる。劉鶴副首相が全権をもっていると思って話し合いを進めていた米国は当然怒る。背後に習近平氏が控える劉鶴副首相のまとめた案を拒否できるとしたら、それは中国共産党の政治局以外にない。

機関決定

これが何を意味するかというと、貿易赤字の解消以上の覇権がらみの米国側の要求を拒否することを、中国は“機関決定”したということだ。合意文書を本国で承認してもらえなかった劉鶴副首相は、5月初めワシントンでのライトハイザー通商代表部代表やムニューシン財務長官との話し合いに戻った際には、「特別代表」の肩書きを剥奪されていた。それは米国でも報じられた。

交渉は当然ながら決裂し、その結果は、残る3000億ドル余の中国の対米輸出品(第4弾、それまでの合計は5500億ドル余に達し中国の米対輸出の総額に相当)に対するトランプ大統領による手続き開始につながる。中国はそれに対して600億ドルの米国の対中輸出商品に対して関税を最大25%に引き上げる報復措置を表明した。

この機関決定は重要だ。それは中国が「この分野は米国に立ち入らせない」と国の最高機関で決めたことを意味する。これは政権のトップに座る習近平国家主席にしても、恐らくなかなか覆せないだろう。中国の政権内部の権力構造は共産党が織りなすもので、その中がどうなっているかはよく分からない。しかし中国は、金正恩が何でも一人で決められる北朝鮮とは違う。

では米国はどうか。トランプ大統領がその代表といえるかどうかは分からないが、少なくとも権力中枢は、共産党率いる中国が米国からの覇権奪取を計っていると考え、強い不信感を抱いている。もしできるなら中国という国をより西側諸国に近い(民主的で自由な)国にしようとしているに違いない。トランプ大統領が中国に巨額の対米黒字是正を求めているのに合わせて、中国における共産党の支配体制まで変えようとしているように見える。むろん、トランプ大統領は強気を崩さない。

難しい落としどころ

共産党の一党独裁体制が脅かされていると考えて拒否の姿勢に入った中国と、中国を何とか変えてやろうと考えている米国。この落としどころを探すのは至難の技だ。中国共産党が一番恐れるのはこの“外圧”と、国内での人権運動、改革を叫ぶ声などの“内圧”が合体することだ。それは中国共産党の支配体制の先行きに黄色信号を灯す。

おそらくこの両方の国の方針を大きく変えることができるとしたら、それはマーケットだ。マーケットの動揺は、政策と政権への不信を呼ぶ。加えてそれによる生活不安、雇用不安が生ずれば、それは「統治の正統性」を脅かす。だから米中両国ともマーケットへの気配りを忘れない。

5月初めに米中の話し合いが事実上決裂したときも、「話し合いは建設的だった」(ムニューシン財務長官、劉鶴副首相)、「急ぐ必要はない。話し合いは今後も続く」「私と習氏はウマが合う」(トランプ大統領)と、マーケットに合意への期待感を切らせないようにした。

この先も話し合いは続く。ムニューシン財務長官は、日時は明らかにしなかったが「近く我々が北京に行き…」と言明した。6月末の大阪でのG20には米中トップが顔を合わせるので、恐らくその際には米中会談が開かれる。しかし、来年の大統領選挙を控えたトランプ大統領は成果が欲しいだろうし、習近平国家主席は共産党の機関決定を覆す合意を結べば自分の統治も危うくなる。

米国経済は今誰が見ても強い。失業率は3.6%で、成長率も上がってきた。一方、中国経済は政治局の強気ほどには良くない。4月の小売売上高は16年ぶりの低い水準になった。しかし米中摩擦の激しさが国民に徐々に伝わる中で、「中国経済は大丈夫だ」との報道が目立ってきた。国民に安心感を与え、動揺を抑えようとしているように見える。

最初に「マーケットが織り込めない材料はない」と書いた。そして、マーケットと各国の政権は綱引きをしているようなものだ。一方的にマーケットが政権の命運を左右するわけではない。当面、両者の関係は緊迫した状態が続く。(

ご注意:本コラムは、上記掲載日から2週間程度前に伊藤洋一氏が執筆されたものです。
閲覧される時期によっては、現状に即さないことも予想されます。また、内容には仮定に基づいた記述も含まれます。ご了承ください。