結局はマーケットに配慮---固まってきたトランプ関税
第385回
トランプ米大統領の「関税を武器とした世界戦略」はまだまだ続いている。彼はブラジルの政治体制に介入するために“関税”を武器とし、またロシアに対ウクライナ和平への道を歩ませるために“2次関税”を使おうとしている。ロシア産エネルギー輸入国であるインドや中国に関税賦課を検討。タイ・カンボジア紛争では“関税”で国境紛争の両国を和平に追い込んだ。「主要製品での米国国内生産を取り戻す」という本来の関税政策でも、「半導体や医薬品」への輸入関税引き上げを検討している。
しかし欧州連合(EU)や日本、それに韓国など西側主要貿易相手国とは、鉄鋼・アルミを除く多くの商品に関して15%という関税率を設定し終えた。日本にとっては自動車関税などまだ実際に引き下げられていないものもあるが、その他大部分の商品は8月8日から実施に移された。つまりマーケット視点で見て、「トランプ関税の大筋」は既に見える形になっている。
恩恵を受けているのはマーケットだ。安定を保てる状態になった。顕著なのは4月の「解放の日(Liberation Day 大規模関税の発表)」からしばらく、大きくかつ危険な上昇圧力を受けた指標10年債の利回りが、このところずっと4.2%前後の低い水準で安定していることだ。それは8月最初の金曜日における「米雇用統計ショック」の際も変わらなかった。
このショックは、米雇用統計で5月と6月の非農業部門就業者数が25万8000人も下方修正され、トランプ米大統領が労働省労働統計局のトップを解任したことによるもの。株価は大きく落ちた。しかしそれを横目に米国の長期金利は動かなかった。金融市場の中心は株式ではなく債券市場なので、債券市場が落ち着いているというのはマーケットにとって朗報だ。
今後もいろいろな動きが予想される。肝心の中国との関税交渉は、米国の対ロシア政策の行方次第で大きく変わりうる。「ロシアの敗北は見たくない」という今でもその意味を巡って大きな議論になっている王毅(ワン・イー)共産党政治局員兼外相の7月中旬の発言もある。米中露の関係は複雑だ。常にある大きな波乱のリスクを念頭に置きながら、8月初めの段階での「トランプ関税の現状」を見たい。
主要国で固まった関税率
8月初旬現在で公表されている米国の主要貿易相手国への関税率は以下の通り。
国・地域 | 関税率 | 備考 |
---|---|---|
カナダ | 35% | USMCA非準拠品が対象。 |
ブラジル | 50% | 10% 基本 + 40% 特別徴収。 |
インド | 25% | 合意未成立なら大幅上昇の可能性。 |
台湾 | 20% | 一時的措置とされる。 |
スイス | 39% | 高級品主力。スイスは急ぎ協議中 |
欧州連合(EU) | 15% | 交渉により車・一般品とも15%。 |
日本 | 15% | 車含む多数品目対象。 |
韓国 | 15% | 車含む、交渉による引き下げ。 |
中国 | 30%(暫定) |
いくつかの注釈が必要だ。ブラジルに対する異常に高い50%という関税は、盟友であるボルソナロ前大統領が現ルラ大統領に抑圧されているとの判断から、トランプ米大統領が政治的・懲罰的に決めた税率と見るのが自然だ。なぜなら米国は対ブラジル貿易が黒字であり、「貿易赤字を減らす」ことを目的としているトランプ関税の趣旨から外れている。
カナダとスイスに対する関税に関しても、「好き嫌い」が出ている。カナダについては「USMCA非準拠品が対象」となっている。「USMCA」とは米国、メキシコ、カナダの国名を連ねた単語で、端的に言えば「北米貿易協定」と呼ばれるもの。その対象になっていないものに関して35%を課すというもの。しかしマーケットとしては、「米国が対カナダで35%」というのはややアラーミングだ。
スイスの39%も驚きだ。対EUが15%なので、スイスが異常に嫌われているように思える。米国とスイスの意思疎通のまずさが指摘されていて、筆者がこの原稿を書いている時点では、スイスは米国に代表団を送って米国との話し合いを試みている。スイスは米国の富裕層が好む多くの商品(時計などを含む)の輸出国であり、両国は最終的には引き下げで合意の可能性がある。
まだあやふやな状態なのが、インドと中国だ。中国は7月下旬のストックホルム米中関税協議で、「現行税率での90日間延長合意」となっているので、決着はまだ先だろう。問題はインドで、トランプ米大統領はインドに対して25%の新たな関税を課し、合計を50%とするとの方針だ。インドの反発は必至だ。インドは歴史的に武器の大部分をロシア(以前はソ連)に依存するなどロシアとの関係が深く、米国の一方的な関税措置にも明白に拒否反応を示している。こじれも予想される。
結局は市場に配慮
まだまだ漏れている国は一杯ある。「トランプ関税」の全容が固まったわけでも、今後の形が確として見えているわけでもない。多分ずっと見えない。なぜなら関税率を国によって変更し、時にそれを外交の武器として使うのは今後3年半のトランプ任期でずっと続くだろうからだ。
しかし「マーケットに影響を与える存在感の大きな国々に対する関税」という意味では、日本とEUの15%が確定したことで、大きな骨格は固まったと言える。今後のトランプ米政権の関税交渉での出方を占う上でのポイントともなる点は以下の通り。
- ①トランプ米大統領も市場には勝てない
- ②その上で、同大統領はマーケットの許容範囲で、時にわがままな振る舞いをしている
- ③医薬品、半導体など分野別に今後関税率が決まってくるものもあるが、関税戦争のピークは越えた
最初のポイントが重要だ。確かに米国は世界最大の経済大国で、かつ軍事・政治大国。しかしその大きな図体のファイナンスをしているのは日本であり中国、英国、EUなどだ。これらの国が米国の国債などを買ってファイナンスしている。
数カ月前から世界的に知られるようになった言葉に「TACO」がある。「Trump Always Chickens Out」(トランプ氏はいつも最後はビビる)の略だが、これは少々トランプ米大統領には可愛そうな単語だ。実は誰が米国の大統領をやっても、マーケットを無視する政策などとれはしない。米国という国が置かれている環境が、市場を無視できない構造を作っているからだ。トランプ氏が「何ものをも恐れない」といった風情を出しているから、逆に「トランプ氏はマーケットが荒れると直ぐに折れる」という意味で、面白おかしく世界のマスコミに使われているだけだ。
中国:最後に残ったピース
西側諸国との大きな流れが出来たとして、やはり気になるのは中国だ。米国の国債市場で依然として大きな存在感があるし、一時の勢いはなくなったにせよ世界第2位のGDPの規模を誇り、国力は高い。中国は米国にとって「最大のライバル」(バイデン大統領)であり、現トランプ米政権は米国中心の今の世界システムを維持するためには「中国の制御」が一番重要だと考えている。
米国が中国を「生かさず殺さず」に制御するにはどうしたらよいか。それは今までのように「米国で、もうける」という環境を変えていくことだ。今までよりは高い「米国市場への参入の壁」が必要だと米国は考えている。関税もそうだし、最新技術の流出制御など。しかし「殺さず」も重要で、露骨に中国を追い込むことは得策ではない。米国にとって時に14億の消費者を抱える大きなマーケットだからだ。
多分その仕組み作りには長い時間がかかる。実際に米中の間では8月8日が期限だった交渉期限を90日間延長する合意が成立した。繰り返すが、米中の関係は複雑だ。中国はロシアが国力的には米中に比べ大きく劣っていることを知っているし、内心では「プライドばかりが高く、結局は中国に依存してくる存在」と映っているだろう。しかし愛憎はあっても、ロシアは国際舞台(国連などを含めて)においては中国の仲間であり、「ロシアの敗北は見たくない」(王毅外相)というのが本音だ。
米中関係が複雑な故に、その関税交渉がどのような決着を見せるかは分からない。しかし一つの視点は、今の中国経済が非常に状況として苦しいということだ。物価はデフレ気味で、若者の失業率は高い。中国の存立基盤は「俺たち(共産党)に付いてきたら豊かにしてやる」という国民との一種の社会契約だ。豊かになるためには、中国にとって大きな輸出市場である米国と本格対立することはできない。中国は東南アジアを市場として育てようとしているが、それも容易な話ではない。
しかし最後に繰り返すが、筆者はマーケット的に見ると「トランプ関税のヤマ場は越えた」という理解をしている。トランプ氏は今後も「マーケットへの配慮」を続けるだろう。