金融そもそも講座

選択を迫られる中国(4)

第232回

中国と米国との関係について連載を続けている間に「貿易摩擦に何らかのめどがつくかもしれない」というかすかな期待もあったが、やはり立場の違いが大きいようで、閣僚レベルを含めて実務者の協議が続行中。今回は、その協議難航の理由を考える上でも重要な「そもそも今、中国はどのような国になろうとしているのか」という点を取り上げようと思う。

何事も大枠を頭に置いておくことは重要だ。今後の米中がらみの材料をマーケットの視点で考える上でも、両プレーヤーが基本的に目指す方向を頭に入れておく必要がある。それがあってこその大局判断だ。

転換した中国

筆者は2019年3月末に東京財団政策研究所が主催した「第115回政策研究所フォーラム」でモデレーターを務めた。外交ジャーナリストの手嶋龍一さん、双日総合研究所チーフエコノミストの吉崎達彦さん、東京財団政策研究所主席研究員の柯隆さんのお三方が各30分のプレゼンをして、それを受けてディスカッション、そして質疑応答を行うというもの。私は登壇者のプレゼン終了後にお三方と登壇して、その後の1時間半をモデレートするという役割。

フォーラムのタイトルは「米中覇権争いの政治経済学」というもので、実は筆者はこのタイトルを見た時に「中国が米国と覇権を争っていることが当然視されている。これは興味深い」と思った。なぜなら中国は鄧小平の頃は韜光養晦(とうこうようかい=爪を隠し、才能を覆い隠し、内に力を蓄える)が基本戦略だったし、その後の指導者も国の正式文書も、一貫して「中国は覇権国にはならない」と繰り返してきたからだ。

しかし胡錦濤のあとを受けて習近平が2012年から最高指導者になって徐々にこの基本方針(または認識)が変化し、今ではフォーラムのタイトルに「当然でしょ」とでもいわんばかりに「米中覇権争い」という単語が登場するようになった。これは中国という国の「世界における立ち位置」を大きく変えるし、マーケットでの中国の受け止め方も大きく変わる。つまり「中国は既に過去の中国ではない」という事実を我々マーケット関係者もしっかりと受け止めなければならないということだ。

それは、第2次世界大戦後に世界の覇権を握り今も国家戦略として覇権維持を自然体で追い求める米国と“事あるごとにぶつかる構図”ができ上がってしまって、それはしばらく変わらないことを意味する。中国が(戦後の長い期間そうであったように)覇権に無縁の国だったら起きない問題が、今後次々に起こることを意味するからだ。

統治の正統性

なぜ中国は「覇権を求めている国」と認識されるようになったのか。当然ながらGDPで日本をはるかに追い抜き、米国に次ぐ世界第2位の経済大国になったことが大きい。歴史を振り返っても、中国はいつでも「中華」の国であって、ある意味世界の一つの中心を形成してきた経緯もある。そして14億に達する膨大な人口、増える軍事費、さらに米国も侮れなくなったハイテク技術。

しかし、歴代の中国トップがあえて避けてきた覇権国の地位を習近平国家主席が自らの時代になって求め始めたと見なされるようになったのは、筆者は「国内政治要因」が大きいと思う。それは「統治の正統性」に絡む。国民の選挙によって選ばれる民主国家の指導者と違って、中国ではトップの選任に国民は関与していない。共産党のトップが自然と国のトップになる仕組みで、中国の共産党員は推定で9000万人近いとされるが、それでも国民の10人に1人にも満たない。そのトップが国を率いるには、国民を納得させる理由が必要になる。

今の共産党は1949年の中華人民共和国の建国以来、国を率いている。その当時は、対日戦争で勝ち、蒋介石を台湾に追い出し、経済を立て直し、1つの国にまとめ上げたという“実績”があったから、統治の正統性は十分だった。しかしそれも経年劣化する。筆者はよく中国に行っていた10年ほど前に「胡錦濤さんはなぜ中国のトップに選ばれたのですか」と聞いたが、誰もその理由は答えてくれなかった。一般国民はあずかり知らぬことなのだ。

習近平も事情は同じだ。なぜ彼がトップかという疑問は、放っておけば政治的自由を取り上げられている中国国民の間で疑問として広がる。それを避けるためには、国民には「良い生活」と「夢」を与え続けなければならない。つまり国を作った時代と違って、今の中国共産党は統治の正統性を自ら作り出す必要がある。

中国の夢

中国はこれまでも様々なスローガンで国民の夢を満たしてきたし、そのいくつかは成功した。一番大きな成果を生んだのは鄧小平の「改革開放」だが、その後は「小康社会」(やや、ゆとりのある社会)など。習近平は就任してしばらくして「中国の夢」を言い出した。具体的には中華民族の偉大なる復興を指し、それは「かつて東は中国から西はローマ帝国に及ぶ広大なシルクロードを勢力下に置き、鄭和(ていわ)の艦隊がアフリカの隅にまで進出して文化や経済と科学技術をリードした中国の栄光を取り戻す」という意味だ。

それを担保する地政学的な政策が「一帯一路」であり、産業的な政策が「中国製造2025」だが、それは今の覇権国である米国から見れば明らかに「挑戦している」と映る。米国は旧宗主国である英国と戦って独立を勝ち取った非自然国家で、そもそも皮膚感覚は鋭い。挑戦を受けると鋭く反応する。日本が戦後に産業力を付けてコンピューターの世界で米国を脅かそうとしたときにもそれを叩きにきた。今米国はそのターゲットを明らかに中国に置いている。

中国はそのことを分かっているが、恐らく国内での統治の正統性を維持するためにも、中国の夢を追うことはやめられない。それは一党独裁という中国共産党が今後も続けたい進路の挫折を意味するし、共産党が一番嫌う「中国の春」(アラブの春的な民主革命)を招来しかねないからだ。マーケットに携わる人間としてもこの点を理解しておくことが非常に重要だ。

確かに李克強首相は先の全人代(全国人民代表大会)で中国製造2025という語を1度も使わなかった。米国への配慮とされるが、一方で中国はボーイング737MAXの2度目の大きな事故後、世界で真っ先に、同機(70機近くを保有)の運航停止を決めた。さらに、欧州を訪問した習近平はボーイングとはライバルの欧州エアバス機を300機も買う方針を示した。欧州を抱き込み、そしてあからさまに米国に嫌がらせをしているのだ。つまり戦闘意欲は全く落ちていない。

台湾海峡や南沙諸島を巡るリアルな戦いになるのか、サイバー空間の戦いになるのか、それはわからないが、米中衝突はそこにある現実的なリスクとなった。

ご注意:本コラムは、上記掲載日から2週間程度前に伊藤洋一氏が執筆されたものです。
閲覧される時期によっては、現状に即さないことも予想されます。また、内容には仮定に基づいた記述も含まれます。ご了承ください。