1. 金融そもそも講座

第141回「各国経済の強さと弱さ PART17(欧州編)」英国 : 世論調査は連敗 / キャメロンの苦悩

EUの財政支援策・条件に対する「NO」というギリシャの国民投票の結果を一番驚愕(きょうがく)しながら、しかし静かに見守ったのは英国のキャメロン首相かもしれない。なぜなら同首相は2017年までに「EU離脱の是非を問う国民投票」を先の選挙で約束しているからだ。本心は残留派とされるキャメロン首相にとって、NOの現実味は重い。そして先の英国総選挙と今回のギリシャの国民投票には、実は大きな共通点がある。それは「世論調査が全く当てにならなかった」「予想外だった」ということだ。なぜそうのなのか。そもそも英国をはじめ、欧州では何が起きているのか。そこから見えてくるのは、国を結びつけたEUだが、そのシステムが“社会の分断”を生んでいるという現実だ。

世論調査は連敗

第137回(欧州編シリーズPART14)で、5月初めに行われた英国の総選挙が「史上まれに見る接戦」「単独過半数を取る政党は出ない」という事前の予想に反してキャメロン首相率いる保守党が大勝したことを取り上げ、その背景を分析した。

それから2カ月。今度はギリシャで行われた国民投票でも大外れの予測となった。ギリシャの国民投票日を前にした日本や世界での報道では、まず「YES票が増えている」という見方が強かった。その後ぎりぎりになって「賛否拮抗」といわれた。それでも伯仲どまりの予測だった。しかし、蓋を開けてみると結果は圧倒的に「NO」。投票したギリシャ国民の6割以上が、EUの融資条件をのむことを拒否したのだ。「拒否はユーロへの拒否、EUへの拒否に相当する」とEUがギリシャ国民に警告したにも関わらず、である。つまりこの2カ月で、欧州における投票結果予測、世論調査は連敗を喫したということになる。

英国総選挙での保守党勝利の背景として、この連載で「シャイ・トーリーの存在」「王女誕生」「強い英国への願望」「キャメロンの経済再生・復興にかける努力」などと紹介した。その時に一つ紹介し忘れたことがある。それは、キャメロン首相が徹底的に労働者階級に寄り添ったことだ。これは「保守党が労働党になった」ともいわれたものだ。実際に彼は「保守党は労働者の味方」とまで言った。少なくとも彼は、春の総選挙では「弱いものの味方」をしたのだ。そこを世論調査では見誤ったと思う。

尊厳の回復?

ではギリシャでなぜ「拮抗予想」が「NOの大勝」に化けたのか。投票後の調査が理由を鮮明に示している。それは若者と老人、そして地方で「NO」を投じた人が多かったということだ。

多分ギリシャ各紙の世論調査は、比較的豊かな首都アテネでの人々の感触を伝え、かつ「まさかギリシャ国民がそんな非合理な選択はしないだろう」との楽観的・希望的、そして常識的な観測を背景としたものだったと思われる。世界もそれを信じた。常識的に考えれば、ギリシャ国民は「YES」を選択するはずだった。条件はやや厳しくなるがEUがまた支援してくれて銀行は再開、観光客も増えて経済は回る。「NO」なら先が見えない。今に至るギリシャのさらなる窮状は投票時点で見えていた。

しかし、ギリシャ国民が選択した道は「NO」だった。それは、もう失うものが何もない人が多かったからだと思われる。ギリシャの地方においては「5年間の緊縮政策で得たものは何もない」「EUがギリシャに提供した巨額の資金は、ほぼすべて独仏の銀行への返済に回っただけ」「ギリシャ国民の生活は良くならなかった」という意見が強かった。恐らくは観光客も行かないギリシャの地方は疲弊しきっていたはずだ。失うものが何もない状況では、NOを投じて何かを変えたいという人が多かったのではないだろうか。

若者もそうだ。ギリシャの若者の失業率は50%に達する。全国平均の25%も飛び抜けて高いが、それでも若者の二人に一人が失業というのは常軌を逸している。このような状況では常識は忘れ去られる。老人も年金を厳しく削られていた。「YES」を投じた人は全体の4割に満たなかったが、多くは商売をしている人、比較的裕福な暮らしをしている人、政府の役職に就いている人だったといわれる。そうした人々も世界も“常識が勝つ”と思った。しかし今の生活に怒った人々は、尊厳の回復を訴えたチプラス首相の言葉に乗った。彼らは怒っていたのだ。

キャメロンの苦悩

ギリシャでの結果は17年までに行われる英国のEU是非の国民投票、そして各国で行われる各種選挙での大きなうねりの発生を予感させる。難しい問題は怒った人々にどう寄り添うかということだ。政治とは選挙であり、選挙とは数だ。キャメロン首相はそれがよく分かっていたから春の選挙では労働者に寄り添った。チプラスは「ばくちを打った」といわれながら、恐らくその政治的嗅覚で国民のEUに対する、現状に対する怒りを知っていたのだろう。大枠のところでは彼は方向性を間違っていると思うが、確かに国民投票の結果では勝った。世論調査も世界の常識も、彼に負けたのだ。

英国、ギリシャのみならず、欧州の多くの国でなぜ国と国の経済を結びつけたEUや共同体という発想に異を唱える人が増えているのか。それは受益できないか、実際には受益していてもできていないと考えている人が多くなっているからだと思う。例えば移動の自由がある故に、東欧から出稼ぎに来る労働者との競争にさらされる英国の労働者階級にしてみれば、EUのメリットなどどこにあるのかと考えるのが自然だ。EUによって域内の経済・企業活動が活発になるとか、中国や米国とも競争できるといったEUの大市場としてのメリットなどは、自分の身の回りのデメリットによって消されてしまう。

経済を頭で考えがちの我々は、すぐにEUの理想だとかドイツを突出させないための欧州での平和の枠組みといったことを考えがちだ。しかし欧州で暮らす庶民の考え方は多分違う。自分の職や給与が維持されるかが重要なのだ。そして彼らを味方にした政治勢力が選挙では勝つ。キャメロンがそうであり、チプラスがそうだった。恐らく反EU勢力が強まる各国でも似たような状況がある。

ということは、今後進むかもしれない政治的危機を避けるためには、受益できる人をいかに増やすかが重要ということになる。過去5年間のギリシャの緊縮策は、あまりにも理屈が先立って受益する人が少なかった。よって国民から拒否された。

EUを「地域的グローバリズム」と考えれば、英国にもギリシャにもグローバリズムの短所が出てきたといえる。競争させられるのは比較的弱き人々であり、受益にあずかるのは企業家・資産家と考えられがちだ。しかし実際には皆消費者でもあって、受益と損失を同時にしている面もあるし、何よりも経済活動の活発化はグローバリズムのメリットだ。しかしあくまで政治は数だ。人間が常に理性の道を選ぶとは限らない。

恐らくキャメロン首相は、EUという制度そのものが社会の分断を生んでいることを知っている。だとしたら彼は17年までに約束した国民投票をどう展開するつもりなのか。少なくともその時点で景気は良くなければならない。深く悩んでいるに違いない。(

ご注意:本コラムは、上記掲載日から1ヵ月程度前に伊藤洋一氏が執筆されたものです。
閲覧される時期によっては、現状に即さないことも予想されます。また、内容には仮定に基づいた記述も含まれます。ご了承ください。

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