海外の投機筋が一斉に利益確定売りへ向かった
昨秋からほぼ一本調子で上昇を続けてきた日経平均株価が、今年(2013年)の5月23日以降、相次ぐ急落に見舞われています。背景としてさまざまな要因が取り沙汰されていますが、基本的には2点に集約されると考えられます。ひとつは、海外のヘッジファンドなど短期売買を中心とした投機筋の動向であり、もうひとつは、FRB(米連邦準備理事会)が量的緩和を縮小するとの観測が市場に広がったことによる影響です。
海外ヘッジファンドについては、株価指数先物と現物株を組み合わせた「裁定取引」や、コンピューターで1秒間に何百回も自動売買を繰り返す「HFT(高頻度取引)」などが、株式相場に大きな影響をもたらす取引形態として注目されています。ただ、これらのテクニカルな話題は私たち一般個人にとっては縁遠いものなので、ここでは割愛していいでしょう。いま注意しておきたいのは、彼らがどのような方針に基づいて日本株への投資に臨んでいたかということです。
短期売買が中心の投機筋にとって重要なのは、経済成長率や企業業績といったファンダメンタルズ(経済の基礎的条件)よりも、むしろ時々の市場における「投資テーマ」だといわれています。今回の日本株市場における投資テーマは、当然のことながら「アベノミクス」になるわけですが、そうはいっても財政出動や成長戦略など、効果が現れるのに時間がかかるテーマにまで関わってはいられません。彼らが重視したのは、アベノミクスでは第1の矢にあたる「金融緩和の拡大」というただ一点だったと思われます。
中央銀行が量的緩和などの非伝統的な金融緩和策を思い切って実行すると、それに株式や為替などの資産価格が敏感に反応することは、FRBの相次ぐ量的緩和によってなかば実証されています。その経験から、海外ヘッジファンドなどは「日銀が金融緩和を強化すれば株高・円安が進む」ことに着目。日本株を買うと同時に、為替先物の円売りで為替リスクをヘッジ(回避)するなどの取引を進めて、昨秋来の日本株高・円安を主導してきたわけです。
一部の銘柄で企業の実力とかけ離れた水準まで株価が上昇するなど、日本株相場に過熱感が増すなか、投機筋は割と早い段階から適切な引き際を探っていたのではないでしょうか。今年5月22日にFRBのバーナンキ議長が量的緩和の縮小に初めて言及すると、それをきっかけに投機筋は一斉に利益確定売りへと向かいました。翌23日の日経平均株価は、終値の前日比で1,143円安と、13年ぶりの大きな下落幅を記録しています
FRBの量的緩和縮小は日本株にとって追い風にもなる
投機筋に限らず、世界中の投資家がいわゆる緩和マネーを入手する経路としては、FRBに保有資産を売却して直接的に手にするケースと、金融機関などから低金利で借り入れて間接的に手にするケースがあります。いずれの場合でも、投資家は通常より有利な条件で米ドルを入手し、それをより高いリターンが狙える投資先に振り向けてきたわけです。
FRBが量的緩和の縮小に向かうと、こうした有利な条件で投資資金を入手する経路は細っていきます。だからといって、まだ縮小のスケジュールも明確でないこの時期に「リスクオフ」の動きが広がり、新興国をはじめ世界中の株式市場から資金が足早に逃げ出すというのは、少し行き過ぎのような気がしないでもありません。市場関係者の言葉を借りるならば、長らく金融緩和の「ぬるま湯」に浸かってきたため、少しでも修正の動きが出ると過剰に反応してしまうということなのでしょう。
とにもかくにも、突如としてリスクオフとなった世界の投資マネーは、当面の滞留先として相対的にリスクが低いとされる円などの通貨に向かい、円高・ドル安が進みました。こうして円安という前提条件を一時的に失った日本株にも、まとまった売りが出ることとなったのです。
ただし前回も触れたように、FRBによる量的緩和の縮小は、実は日本経済や日本株にとって追い風の側面も持っています。米国では国債需給の悪化懸念もあって、今年5月上旬に1.6%台だった長期金利が、6月下旬には2.5%台まで急上昇しています。日米金利差の拡大は、投資魅力の違いから米ドルが買われやすくなることを意味し、中長期的には円安すなわち日本株高の要因となります。
加えて日本では、今年1~3月期の実質GDP(国内総生産)が年率換算で前期比4.1%増となるなど、景気の回復基調が鮮明になりつつあります。東証1部上場銘柄の平均PER(株価収益率)も6月25日現在で15.04倍となっており、世界的に見て日本株市場の割高感は解消されてきました。
FRBによる量的緩和の縮小観測をめぐって投資家心理が揺れるなか、今後も断続的に日本株への影響が及ぶことは避けられないかもしれません。しかしながら、日本株を取り巻く環境に好材料が目立つことを考えると、こうした外部要因による相場の乱高下については、さほど深刻に捉える必要はないように思われます。