金融そもそも講座

課題が鮮明になった日本のマーケットと日銀②

第356回 メインビジュアル

前回「軸のある相場」としてのニューヨークに対して、日本のマーケットを『「軸」がどこにあるのか分からないのが現状だ』と書いたので、そもそも的に筆者として「(日本が)これらが出来たら」と考える事をいくつか指摘したい。

今のニューヨーク市場には「先行き政策金利の引き下げありやなしや」という軸がある。前提は、経済が強いというもの。この軸を中心にマーケットが動いている。しかし今の日本のマーケットでは「円安が進めば輸出株に買い」といった従来の方程式が消えてしまって、「今後何を手がかりに持続的な上げに移るのだろう」という不安感がある。その不安感故に「日本のマーケットの先行きには強気」という見方(海外筋にも)が多い中でも、「案外弱いのでは」という印象が残る。では何をすれば、というのが今回の文章だ。

もちろん株式市場はあらゆる事象を映す鏡であるからして、株価の背景となる企業の動向(現状と将来)、それを取り巻く社会的環境、政府と日銀の政策などが複雑に絡み合う。複雑なのだが、その中でも筆者が重要だと考え、「それが整えば(進めば)日本のマーケットにも軸が出来る」と考えている諸条件がある。

今年年初に上げ潮だった日本のマーケットの軸は、新しい少額投資非課税制度(NISA)など日本国内での投資資金の活発化と円安だった。しかし今はその両方とも一時の勢いを欠いている。

企業活動そのものの活性化を

日本のマーケットの活力回復に最も必要なのは、そのベースとなっている日本経済・企業そのものに活力が戻ることだ。それが最も重要だ。

日本経済はデフレの恐怖から抜け出し、物価は基調として上げている。しかしそれは円安を大きな要因とするもので、内需が大きく盛り上がる理想的な形で達成されようとしているわけではない。日本の内需はこれだけ貯蓄率が高くても、さらに多少賃金が上がっても盛り上がりに欠く。日本の消費者の行動活発化の兆しはまだ見えない。

それは一つには、日本企業の国内経済波及力が、グローバリゼーションの中で落ちているからだ。以前なら日本企業の隆盛は、直ちに日本の経済・社会の活力となった。しかし今は日本企業の多くが海外での事業を増やした。利益を国内に還流する仕組み(ニーズ)が以前より希薄なので、企業がもうかっても、それが日本という国の経済や社会の活性化にはすぐには結び付かない。消費者の気持ちに疑念が残ってしまう。

日本企業が円安や中国経済・政治の変調でかなり国内に工場などを戻し、台湾の企業などが半導体工場を日本に作ろうとしている状況は歓迎できる。熊本では地域社会全体が活性化している。重要なのは、成長分野(IT、生成AIなど)に加えて、当面日本が魅力を発信できそうな分野(例えば国際観光)で新しい企業群を育てることだ。既存企業を守るのが異次元緩和だったが、それは新しい企業を育てるのに役立たなかった。

日本政府もいろいろやってはいるが、社会全体として新しい企業を応援しようという姿勢・体制を作る必要がある。魅力的な新しい企業の誕生は、資金と人材を呼び込むのに一番の近道だ。円安の今はそこを政府も社会も後押しする必要がある。

通用しない“日本型”

前回の原稿で、「なぜ米国経済は強いのか、生産性が高いのか」に関するパウエル米連邦縦鼻理事会(FRB)議長の解釈を引用した。彼の発言は、

  • ①転職が容易な米国の労働市場の柔軟さと、新興企業が資金を調達しやすいこと
  • ②成長分野に人材が集まる仕組みが技術革新を生み出す素地となっている

というもの。別に他国を羨ましがるのではないが、グローバルな市場経済の競争条件は世界でほぼほぼ同一だから、やはり米国の成功には学ぶ必要があるし、日本の社会を可能な形で時代にふさわしい方向に変える必要がある。明治維新はそうだった。

戦後の高度成長をけん引した日本的企業システムは、その時代にはよくマッチしていた。技術革新は今のデジタル・AI時代ほど素早くはなかった。一社懸命の働き方で改善を積み重ねれば、世界で十分通用したし、実際に多くの商品で日本は世界を席巻した。しかし今は技術革新が激しい。生成AIを見れば良く分かる。次々に新技術が生まれる。

「人が容易に動ける環境作り」は非常に重要だ。コンピューターの知識はメインフレームの時代と分散処理の時代でも違ったが、今は完全にネットワークと生成AIの時代だ。年々全く新しい知識が必要。よって次々と新しい人材(知識、技能など)が必要な時代で、大学を出た学生を大事に長く育てる日本企業のシステムの完全維持は無理だ。最近は日本企業の間でもインドで理系の最高峰とされるインド工科大学(IIT)から人を採用しようという動きが出てきている。良いことだ。

政府の役割は、景気が悪いから良くしてもらおうと日銀に金融緩和を働きかけることではなく、まさに年金から退職金制度まで「一人が生涯一つの会社で働く事」をよしとして作られた日本の戦後制度を丁寧に作り替える事だ。つまり「改革」が必要で、日本の政党の中で今でもこの単語を政策に使っている政党にかなり支持が集まっていることは、実は国民もそれをよく知っていることの証左だと思う。

重要なリスキリング

もっとも米国のように転職が頻繁、かつ当然にように日本で行われるようになるには時間がかかる。社会全体が持つ価値観(特に両親レベルの)はそう簡単には変わらないし、年金・退職金のシステムもまだ一つの会社に長く居た方が有利だ。そこで重要なのは、企業に勤める一人一人が行うリスキリング(Re-skilling)だ。それがとっても重要。

リスキリングとは「市場ニーズに適合するため、保有している専門性に、新しい取り組みにも順応できるスキルを意図的に獲得し、自信の専門性を太く、変化に対応できるようにする取り組み」と日本IBMは定義しているという(柿内秀賢「リスキリング 最強チームをつくる」から)。筆者はこの中で「意図的に」というのが重要だと思っている。まず本人がその気になり、企業はその環境を整えるという体制構築が重要だ。

変化の激しい今の時代に、「大学で得た知識で生涯暮らせる」などということはあり得ない。当たり前だが、今の時代は常に新しいことを学ぶことが必要だし、それはまた楽しい。時代と同時に走るか、むしろ先に「自分の専門性を太く、変化に対応できる取り組み」をした社会人や、それを支援する企業が増えた方が日本企業は強くなれるし、海外から見ても「この国(企業)には興味が持てる」となるだろう。人も技術も資本も入ってくる。ポイントは

  • 1.国もマーケットも新しい企業がより多く登場するように環境を整え、そこに資本の流入を促す。そして海外からの人材をもっと入りやすくする。そのための制度改革
  • 2.既存企業も時代の先を走る意図を持って自己改革し、企業内活力を高め、賃金を上げて海外からも投資を集められる体質にして、日本経済の成長力を高める
  • 3.個々人は自らの技量を高めるために意図をもって自らの改革(リスキリング)を進めて、産業、経済・社会の大きな変化としっかり併走する

ということだと思う。今の日本では「賃上げ」が大きなテーマだ。しかしそれは企業の業績の成果、働く人への対価として存在しており、本来は経済政策の目標などにすべきものではない。政策はあくまでも企業が活動する環境を整えることに置くべきだ。その中で日銀は少しでも早く「現状温存型の金融政策」から脱して、企業社会の変革を促す形での金融政策に切り替えるべきだと思う。それは「ナロウパス」(狭い道)だと思うが、ただただ緩和を続けるよりは日本の将来に役立つ。

新しい動きが多く起きて経済が活性化すれば、マーケットの「軸」が出来てくる。難しい道かもしれないが、一つ一つ地道に重ねれば今のように日本の資金が海外に大規模に出て行くような事態は避けられるようになるし、逆に今以上に海外からの資金も入ってくるだろう。筆者は日本の市場を見つめる視線をその辺に置いている。

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ところで筆者の最近の朝の楽しみは、スマホに入れたオープンAIのChatGPT4oとグーグルのGemini1.5に話しかけてどちらの方が面白く、かつ適切で私が必要とする回答を紡ぎ出すかを比べることだが、そこから見えてきたものに関して次回以降に書きたい。今までの日本企業の不利がかなり緩和されるかもしれないので。

ご注意:本コラムは、上記掲載日から2週間程度前に伊藤洋一氏が執筆されたものです。
閲覧される時期によっては、現状に即さないことも予想されます。また、内容には仮定に基づいた記述も含まれます。ご了承ください。