金融そもそも講座

課題が鮮明になった日本のマーケットと日銀①

第355回 メインビジュアル

端的に言えば、「軸のある相場」と「軸のない相場」の差と言えるだろうか。前者がニューヨーク市場の株価、後者が日本のそれ。

ニューヨーク市場の「軸」は、前からかなりはっきりしている。それは「利下げがあるかないか。あるとしたら何時か」だ。4月の米消費者物価が予想より落ち着いたことが分かった5月15日、その「軸」に関するニュースが大きくニューヨーク市場を押し上げた。一時消えかけていた「年内利下げ」観測が再台頭し、同市場の代表的3指数(ダウ工業株30種平均、S&P500種株価指数、ナスダック総合株価指数)は、そろって史上最高値を記録した。ダウは4万ドルに接近した。

対して今の日本の株価は、一体「軸」がどこにあるのか分からない。円安が進むと輸出株が買われていたのはちょっと前までの話。その構図は今ではなくなっている。一時は1ドル=160円まで行った円安環境の中では、日本市場はむしろ円安を嫌気し始めているように見える。メディアでの風評もそうだし、経済界のトップも警鐘を鳴らす。では円高で株価が上がるかと言えば、そうでもない。

「前日のニューヨーク市場の引け動向」が翌朝の日本市場のトーンをまず決めるのは、ずっと以前からだ。日本経済はかなり米経済に依存しているから、「やむを得ない宿命」とも言える。しかし最近はニューヨーク高を受けて高寄りしても、国内要因(例えば日銀の金融政策正常化観測)や業績悪化懸念などで簡単に日中に腰折れして終わってしまう。日本市場は実につかみ所のない、安心感の持てない展開となっている。

なぜ日本の株はそうなのか。多分読者の中にも最近の日本株の動きに失望している方もおられるだろう。「Sell in May」(5月は売り)は米国株投資のアノマリーとして有名だが、それが米国ではなく日本で顕現化している。「軸」のなさは日本の金融政策にも見える。円安を気にしながらも緩和政策を継続。「軸のなさ」は日銀の政策にも、マーケットにも共通しているように見える。

NY、間隔を空けては高値更新

「軸」ある故に、ニューヨークの株価は材料への反応が鮮烈だ。5月15日の市場では寄り前の発表で4月の消費者物価上昇率が3.4%と3月(3.5%)より低下したことが判明。加えて同月の小売売上高がほぼ横ばいと3月の0.6%増を大きく下回った。この2つの数字は、「FRB(米連邦準備理事会)による年内利下げ」を想起させるもので、15日のニューヨーク市場は3指数がこぞって史上最高値を記録した。ナスダック総合株価指数は2日連続の高値更新、S&P500種株価指数は初めて5300の大台に乗り、ダウ工業株30種平均は4万ドルに限りなく接近。「軸」のある相場は分かりやすい。

ニューヨーク市場は1カ月ほど、政策金利の「引き下げが先延ばしされそう」「年内はないかも」と弱かった局面があった。その後は企業活動の強さを評価しようという動きも出ていた中で、「年内、多分2回(9月と12月)利下げあり」との観測で一気に大幅上昇となった。少し間隔が開いたが、ニューヨーク市場はまたしても高値更新となった。

これに対して、両市場を毎日比較して見ている私のような人間には、最近の日本の株価は実に不可解で分かりにくい。ニューヨーク高から朝高で始まり「今日はそういう動きか」と思っていても、午後相場をチェックすると大きく上げ幅を減らし、時には下がっていることもある。ニューヨークが下がっても東京が上がることがあっても良いように思うが、それは今年初めの頃(日本株は強かった)の話。最近はほとんどない。

それは多分、「同じ資本主義体制をとっていても日本と米国の経済が基本的には違うフェーズ(局面)にあるから」だと最近思うようになった。どういうことか。これまで3回の原稿を筆者は「ドジャースと米国経済は強い」というタイトルで書いてきた。実際に両方とも強い。ドジャースは「1対29」で敵は多いが、それをはねのけて強い。大谷も活躍。米国経済は、なかなかインフレが収まらないくらい強い。だからインフレ沈静化のニュースが出ると相場は沸く。

対して残念ながら、日本の経済は基本的には弱いのだと思う。むろん輝く企業・銘柄は多い。しかし日本経済全体を見ると、成長率は低いし、中央銀行の政策金利には日米で5%以上の差がある。日本のそれは0%ちょっと、米国のそれは5%台。人口は米国が依然として増加しているのに、日本は年間80万人のペースで減少している。生産性も米国の方が高く、新しく登場する有望企業の数も米国の方がはるかに多い。

日米、中銀の仕事は別物

日米経済のフェーズの違いは、中央銀行の仕事を別物にしている。強すぎる米国の中央銀行の仕事は、「いかに景気の強さをバランス良くコントロールするか」という選択余地の多い作業になっている。強過ぎたので政策金利を急ぎ上げたが、今は様子見。政策金利が5%台だから、状況次第で「利下げ」という明確な選択肢がある。

対して日本の中央銀行である日銀の作業は、なかなか難しい。大体がFRBには日銀幹部が良く使う「第一の力」「第二の力」なんて考え方はない。物価がそもそも全般に高いのだから、ドルは強い方が良い程度だ。日銀は物価を思案し、賃上げのレベルに目配りと忙しい。何を軸に考えて良いのか分からない面がある。一番頭の痛い問題は“円安”だ。通貨の下落は当該国の輸入品物価を上げる。日本の場合はエネルギーなど基礎資材を輸入に頼るケースが多いので、円安はすぐに国内物価情勢を悪化させる。日銀の言う「第一の力」だ。

以前日銀の総裁は黒田さんの頃から、「円安は基本的には日本にとって有利」と言っていたが、今はそんなことを言う人はいない。ドル・円が160円になった中で、主要な国内企業や団体のトップからもクレームが出るようになっている。しかし4月の米消費者物価の小幅低下を見ても、日米金利差は指標10年債の利回りで依然として3%台の半ば前後ある。これはデカイ。ほぼ金利がない円に比べると、まだまだドルは魅力的な通貨だ。

円安阻止の為には日銀は金融政策を引き締めれば良いのだが、そこには問題が山積している。日本経済が脆弱な中で、大幅に政策金利を上げると日本経済が腰折れする危険性がある。弱い経済・景気に配慮すれば、「日銀の政策は引き続き緩和的」と言わざるをえない。

別の理由もある。政府が多額の借金を積み上げ、企業も家計も低金利での借り入れに長く慣れてきた。円安阻止の為とは言え大幅な利上げへの副作用は大きいし、変動金利でローンを組んでいる家計からも悲鳴が聞こえそうだ。今でも日本の家計は物価高で悲鳴を上げている。簡単に利上げが出来ないので、円からドルへの資金移動の傾向は続く。

過去四半世紀の例を見ると、日銀は0.5%を上回る水準への政策金利の引き上げをそもそも試みることが出来ないでいる。

的を外した超緩和

多分日本経済がこれほどまでにひ弱になった一つの原因は、日本経済を救うと喧伝(けんでん)された「異次元の金融緩和措置」が、ゾンビ企業の生き残りを可能にして新陳代謝を阻害し、新しい力(企業)を生み出す環境を整えないままに来たからだ。日本経済はどっぷりとぬるま湯につかった。新型コロナウイルス禍という非常事態の中で、財政が大盤振る舞いとなった中で、抜き差しならぬものになった。

「人口の減少」という厳然たる事実は、明らかに日本経済の成長力をそいでいる。経済成長は一般的には「労働投与」「投下資本」「全要素生産性」からもたらされるとされているが、日本はこの3つとも進捗していないし、異次元の金融緩和がこれらの改善を助けた兆しもない。労働力不足は深刻で、企業はうまく資本を稼働できていない。生産性もAIの開発で日本企業の名前が出てこないことでも分かる通り、世界に劣後している。

「異次元緩和」の意義についてはいろいろ議論がある。少なくとも言えるのは、「日本は他に優先してやることがあった。しかししなかった」ということだろう。“生産性”に関しては、最近の日経の記事に次のような文章があった。「パウエル氏は米経済の生産性がほかの地域より高い理由について、転職が容易な米国の労働市場の柔軟さと新興企業が資金を調達しやすい環境を挙げた。成長分野に人材が集まる仕組みが、技術革新を生み出す素地になっている」と。記事が言うパウエル氏とはFRBの議長だ。その通りだと思う。

今の時代にマッチした経済・社会環境の中で仕事をしているFRBは、ある意味恵まれている。対して日銀の苦境は深い。日銀は政府と連携しながら、それこそ「骨太な政策」を今こそ打ち出すべきだと思う。そうしないと、日本のマーケットの「軸のなさ」が今後一段と顕著になる危険性がある。多分日本に必要なのは、日本企業を強くし、経済を底上げする段取りだ。次回はこうした点を取り上げたい。

ご注意:本コラムは、上記掲載日から2週間程度前に伊藤洋一氏が執筆されたものです。
閲覧される時期によっては、現状に即さないことも予想されます。また、内容には仮定に基づいた記述も含まれます。ご了承ください。