金融そもそも講座

見えてきた新しいトレンド

第343回 メインビジュアル

2週間前の前回原稿で「不安定化した」と書いたニューヨーク、東京などのマーケット環境は、かなり落ち着いてきた。この原稿を書いている11月9日の早朝現在のVIX指数(シカゴ商品取引所発表の、いわゆる“恐怖指数”)は14.38と、一応の目安である15(以下は“安定”)を下回った。「52週安値」と記載(iPhoneの株価ページ)されている14.30に極めて近い数字。それだけ市場では恐怖心(何が起きる変わらないという不安感)が低下したことになる。

それを裏書きするように、ニューヨークの株価は強い。S&P500種株価指数で見ると「過去8営業日連続の上げ」で9日の取引を終えた。それほどの上げが続くのは2年ぶり。この間に同指数は265ポイント、6.5%ほど上がった。市場全体が非常に強いことを示している。ナスダック総合株価指数ではこの間の上げ幅は8.3%に達する。ダウ工業株30種平均もかなり強い。

パレスチナのガザ地区を実効支配するハマスがイスラエルに越境攻撃(230人近い人質が出た)してからほぼ1カ月。戦争はイスラエルがガザ市中心部(ハマスが巨大な地下司令部を置く)での市街戦、地下トンネル戦へと移っている。マーケットがそれを材料としていないのは、今のところこの紛争が中東全体を巻き込んだ大規模な戦争に発展する兆しを見せていないことが大きい。

加えて、強かった米国経済にさすがのクーリングの兆しが出てきたことや、中国経済の不調継続もあって、世界経済全体のペースダウンとインフレのピーク経過感も出てきている。

VIX指数が大幅低下

前回の最後に「株価のベースである企業活動は多くのケースにおいて、ウクライナ、中東の戦火にもかかわらず継続し、その価値を高めているケースも多い。世界が不安定だからと言って、株価が全体として下げ続けると言うことはない」と書いた。今現在の株価が強い基調で推移しているのは、結局はこの二つが世界経済全体を揺り動かし、企業活動を阻害する紛争には発展していないからだ。

特に発生1カ月のガザ紛争は、世界の石油価格を大幅に押し上げる要因とも懸念されたが、9日現在の国債指標であるWTI原油先物(23年12月物)は75.58と前日よりも1.80ドル、2.33%も下がった。ガザ紛争勃発もあって10月19日には89ドルを超える高値があったことを考えると、あたかも「サウジ、ロシア協調の原油高値維持作戦」が失敗したかのような印象も受ける。

この2カ国の協調路線に揺らぎがあった訳ではない。まだ固い。そうではなく、世界経済への見通しが、「原油需要を抑える方向で進むだろう」という見方に傾いたのが原因だ。中国経済が構造的弱さに陥っていることは何回もこのコメンタリーで取り上げている。世界第2位のGDPの国の経済が弱い。第1位の米国の経済にも、徐々に弱さが見えてきた。つまり世界経済全体が高い原油価格を維持できそうにない状況になってきている。

その結果、10月19日にはほぼほぼ5%の水準にあった米国の指標30年債利回りは、9日には4.492%と4.5%を切るところまで落ちてきた。原油安だけが背景ではない。今までGDPの7割を占める消費を中心にすこぶる強かった米国経済に、ついに「高金利の負荷」が掛かってきたと思える現象が顕在化したのだ。

米、クレカ延滞率の上昇

具体的な統計がある。それは「クレジットカードの延滞率」だ。2011年以来12年ぶりの高水準になった。若年層を中心に発生しており、金利高と物価高がこれらの層の家計を圧迫している事実が明らかで、これが個人消費の鈍化につながれば、将来の米企業業績などにも影響が出る可能性がある。

具体的に見よう。今年7〜9月に米国でクレジットカードの支払いができずに延滞した人・家計の割合は8.01%となった。ニューヨーク連銀が7日発表したこの率は、「クレジットカード債務残高のうち7〜9月に新たに30日以上の滞納に陥った残高の割合」を示している。より深刻な90日以上の新規延滞の割合も5.78%と、ほぼ12年ぶりの高さになったという。

クレジットカードは米国のキャッシュレス決済のうちデビットカードに次いで支払い回数が多いが、内訳をみると18〜29歳、30〜39歳の若年層で90日以上の深刻な延滞が急増した。ニューヨーク連銀は「多額の学生ローンや自動車ローンを抱えており、より滞納に陥りやすい」と分析している。若年層は持ち家の割合が低い。大部分は賃貸物件で暮らす。家賃高騰がさらに家計を圧迫している。カードローンの高金利化も影響している。FRB(米連邦準備理事会)によると、8月時点でカードローン金利は年率21.19%と過去最高だ。これは負担だろう。

米国経済の弱さを示す統計は他にも増えている。11月第1週末に発表された10月雇用統計では、非農業部門の新規就業者数が予想(18万人)を下回る15万人にとどまったし、失業率も3.9%(前月は3.8%)に上昇した。もっとも米国の消費全体は堅調さが続いていて、小売売上高は9月まで6カ月連続で前月を上回った。この消費好調が7〜9月期の予想以上の実質GDP成長率の背景だ。

米国でのカードの延滞率は、08年の金融危機後には10%を超えていた。「まだ8.01%は危機的な水準ではない」との声もある。「消費も雇用も強すぎて、また金利が上がるかもしれない」という懸念が強かった今までの米国経済。それは変わりつつある。そこに弱さが見えてきた。

その意味では今の米国市場には、「Goldilocks(熱すぎず、冷めすぎず)なマーケット」に似た雰囲気もある。

日米金融政策のクロスの可能性

しかし低インフレ下で長く続いた「Goldilocks相場」と今回は多分違う。それは環境が依然としてかなり不安定だからだ。ウクライナ情勢は膠着の気配濃厚だが、中東情勢は世界的な関心を集め、特にイスラエルがガザ地区で行っているハマス壊滅作戦によって多数のガザ市民、子供たちが犠牲になっていることは世界中で反イスラエル感情を高めている。

米国はその歴史的経緯から「イスラエル支持」の姿勢を変えていないが、米国国民の間でも「イスラエルはやり過ぎ」「パレスチナに同情する」との意見も台頭し、来年に大統領選挙を控えたバイデン大統領の支持率を押し下げている。既にスイング州(大統領選挙ごとに民主党と共和党の間で揺れる)とされる6州のうち5州では予想される共和党候補トランプ氏の方が、支持率が高くなった。つまり中東での紛争が、来年の米大統領選挙の行方も決めかねないのだ。

むろん、中絶の権利、移民問題など他の論点もあって、今の段階で1年先の大統領選挙の結果を予想するのは難しいが、選挙の推移は米国の株価にも影響を与える。両候補がともに高齢であって、市民の間では来年の大統領選挙はあまり「選挙自体としての人気」がない。民主党員の間では、「バイデンに代わる人」を探す動きもあるようだ。この大統領選挙と株価については、またの機会に取り上げたい。

ただし今現在で明らかになりつつある事がある。米国経済の鈍化傾向の兆しとインフレ沈静化の中では、「もう年内はむろん来年前半の利上げはなく、米国は来年の夏前には利下げもあるかもしれない」という見方も出てきた。それもあってのVIX指数の大幅な低下だ。金利の上昇はいつでもマーケットを不安定にするが、その可能性がなくなりつつある。

対して、日本の金融政策は今の賃上げ傾向が続けば、来年の春からは「ゼロ金利解除」がありそうだ。それによって日本の金利がどのくらい大きく上がるかはまだ予測が難しい。しかし一つ言えるのは、来年のいつかの時点で日米の金融政策がクロス(日本が引き締め、米国が緩和)する可能性があるということだ。これは金融市場に大きな波紋となる。この問題についてもまた取り上げたい。

ご注意:本コラムは、上記掲載日から2週間程度前に伊藤洋一氏が執筆されたものです。
閲覧される時期によっては、現状に即さないことも予想されます。また、内容には仮定に基づいた記述も含まれます。ご了承ください。