金融そもそも講座

高インフレ、やや長期化か

第311回 メインビジュアル

世界のマーケットでは一部で「底打ち感」が出ている。日本でもそうなのだが、確かに直近の株価の動きは各種指標で見ても底堅く、ニューヨーク市場のVIX指数は原稿執筆時点で23.88。目安とされる30のレベルを大きく下回っている。

一方で注意しておかねばならないのは、世界のインフレ率が指標で見ると引き続き上昇を続けていることだ。米国や英国などでは、インフレ率は直近で9%の大台に乗ってきた。二桁も目の前だ。これまでの「もうピークではないのか」という見方は、何回も修正を余儀なくされ、「今の世界のインフレは長期化の懸念がある」との見方も台頭。

このコーナーで書いている通り、債券はインフレに基本的に弱いが、株価は局面によってインフレを味方にできる。株価は6カ月もの先の経済を見通すとも言われているので、現状との「違和感」が生じることもある。しかし一方で、6カ月先にはもっと政策金利は大幅に上がっているかもしれない。

今が一番投資家の投資スタンスが一番割れる局面だ。早めにマーケットに再参入する投資家も居れば、「もう少しエビデンスが欲しい」と思っている人も多い。それぞれの投資スタンスの違いが出る局面だ。今回は世界のインフレの現状を中心に書く。

英米を中心に急上昇

世界を驚かすインフレ率は何と言っても英国の9.4%だ。政府統計局が20日発表した直近6月の消費者物価指数(CPI)は、前年同月比9.4%上昇した。二桁が間近の数字で、これは1982年2月以来というから、なんと40年ぶりの高い伸び率だ。

5月は9.1%上昇だった。そこからさらに加速したことになるが、これはマーケットでも衝撃として伝わった。ガソリンなど自動車燃料が大きく値上がりしたことが背景で、国民の生活費は一段と上昇し、庶民の悲鳴はBBCの報道などで伝わってくる。イングランド銀行のベイリー総裁は講演で、「8月に0.5ポイントの利上げを行う可能性」を示唆した。実は1997年の同中銀の独立性強化後に、政策金利を一度に0.5ポイント引き上げたことはなかった。8月は例外になる可能性が高い。

英国では辞任を発表したジョンソン首相(保守党党首)の後任を選ぶ党内選挙が進行中で、最終候補としてスナク元財務相とトラス外相が残った。大きな争点の一つは「高インフレとどう戦うか」だ。国民の関心が一番高い。

世界的関心を呼んだのは米国の6月のインフレ率だ。率は9.1%と英国よりも低いが9%台乗せ。これも40年半ぶりだ。3カ月連続で同8%台の上昇が続いて、一部で「もうそろそろピーク」との見方も出ていたが、マーケットの期待は裏切られた。事前の市場予想は8.8%の上昇だった。エネルギーや食品を中心に値上がりが続いた。

中身を見るとガソリン代は前年同月比59.9%増、ガス代は38.4%増と突出。食料品は10.4%増、住居費は5.6%増となっている。家計で切り詰めが難しい項目の上昇が目立ち、これが米国民の生活を圧迫している。筆者も4年米国に生活して、米国人の「貯蓄軽視」の生活ぶりを見ているだけに、「不満は高まっている」と予想できる。供給網の途絶による品薄や、ウクライナ危機などが背景。

政治家まで動かす

国民の不満は政治家まで動かしている。バイデン大統領は7月中旬に自分では気が進まないのに中東を歴訪して、イスラエルやサウジアラビアのトップと会談した。特に注目されたのはサウジのムハンマド皇太子との会談。米国はワシントン・ポストに寄港していたサウジアラビアのジャーナリストであるカショギ氏の暗殺について、「同皇太子が関わった」との見方を以前から表明しており、本来なら人権重視を標榜する同大統領が会談相手に選べないような人物だ。

しかしバイデン大統領はあえて実力者のファハド皇太子をサウジ訪問の会談相手に選び、「原油の増産」を働きかけた。重要なのは、同大統領が「将来における(増産の)可能性」をサウジ側から示唆されただけ。以前の米国大統領なら確実に「増産の確約」をもらえただろう。大統領としては、「高いインフレ率が自分の支持率の一段低下につながっている」ことは承知している。ぜひとも確約が欲しかった。しかし「手玉に取られた」印象だ。力関係が逆転している。

注目されるのは、原油・天然ガスばかりでなく実に多くの商品で世界的に「供給サイド」の力が強まっていることだ。それはウラン、ダイヤモンド、肥料、小麦など農産物など多くの商品に及ぶ。第一は「需要の盛り上がり」。BA.5を中心に新型コロナウイルスのオミクロン型は世界的に猛威を振るっているが、各国での「行動制限」にはつながっていない。なので、コロナでの行動制限がかかっていた時期からのリバウンドもあり需要は旺盛。

第二は、ロジスティックがうまく回転していない。今の世界は「制裁の応酬」となっていて、物流が法的にも政治的にも彼方此方(かなたこなた)で寸断されている。これを解消するためには相当な外交的、軍事的努力が必要だ。しかし難しい。ウクライナ産の小麦輸出一つとっても、ロシア、ウクライナ、国連、トルコのトップが話し合わねばならない状況だ。それでも状況の劇的進展はない。過去にこんなことがあっただろうか。

日本も安心は出来ず

筆者が最近一番驚いたのは、「パナソニック、8月に家電製品75品目値上げ」という直近のニュースだ。それによると、同社は同月に家庭用電化製品75品目を値上げする。対象商品は食器洗い乾燥機や冷蔵庫、電気カーペットなどとしており、幅広い。8月1日以降に出荷価格を順次値上げし、その値上げ幅はおよそ3%から23%としている。

「ついに日本でも」というのが筆者の実感だった。今まで「家電製品」と言えば日本では「安くなるのが当然」という印象。テレビがその代表例で、性能対価格比では消費者にとって「時間の経過は味方」という状況だった。これからはそういかなくなると言うことだ。同社は一連の値上げに関して6月末に既に、

「昨今、金属製材料および樹脂製材料などの原材料価格、物流コストの上昇が続いています。当社では生産性の向上や合理化による経費の削減などにより、価格の維持に取り組んできましたが、企業努力だけでは、製品価格を維持することが困難な状況となり、商品の安定供給およびサービスの向上を図るため」

として値上げ方針を表明。恐らく原材料価格の高騰に加え半導体などの供給逼迫での調達費用増加が背景にある。為替の変動も大きいだろう。つまり、それは今回の同社の値上げが、「同社限りのものではない」ことを示唆している。内部努力だけではコストの増加分を吸収できない状況は、日本の企業全体の問題だ。パナソニックは9月以降も電子レンジや洗濯機、ドライヤーなど幅広い商品で値上げを続ける見通し。

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日本経済新聞は7月末、有料記事で「(世界経済の)後退懸念強まる」としたIMFゲオルギエバ専務理事との共同(テレビ東京参加)インタビュー記事を掲載した。直近の株価上昇や「底打ち感」と、このタイトルの違和感は明らかだが、それを投資家としてどう考えるか。次回以降取り上げたい。

ご注意:本コラムは、上記掲載日から2週間程度前に伊藤洋一氏が執筆されたものです。
閲覧される時期によっては、現状に即さないことも予想されます。また、内容には仮定に基づいた記述も含まれます。ご了承ください。