金融そもそも講座

“スガノミクス”への期待織り込む市場

第267回

9月に入って日米の株価に明らかな乖離(かいり)が見られる。欧米、特に米国の株が下方を向いて展開しているのに、日本の株は指数で見る限り「持ちこたえている」「むしろ上げている」といえる展開なのだ。1カ月チャートでもよいが、違いが分かるのは3カ月チャートだ。米国の株は明らかに9月は下げトレンドで、欧州の株もコロナ禍拡大の中で直近は下げを演じている。

対して日本の株は底堅い。4連休中に大きく下げた欧米株を受けて連休(19~22日)後の東京マーケットの展開を懸念する声もあったが、小幅な下げにとどまった。このままの展開となるかは分からない。ニューヨーク市場の動きは前回予想した通り不安定だ。東京市場もそれに最後は大きく足を引っ張られる可能性もある。

しかし9月に入ってからこれまでの東京市場の底堅さに関して「なぜか?」を考えておくことは必要だ。今後の日本株の展開を見る上で重要だからだ。

新政権への期待

そこには菅新政権への期待が感じられる。米国では「次の大統領」をめぐる混迷が深まっていて、それが株価の足を引っ張っているが、日本では予想外の展開ながら、7年8カ月にわたって政権を担当してきた安倍首相が病気で退陣し、安倍政権を支え続けた菅官房長官が新首相に就任した。つまり日本では「次の政治」が既に始まった。日米ではかなり政治環境が違う。

安倍政権の8年弱を総括するのはまたの機会にしたいが、ここ数年は“アベノミクス”という言葉は使われても、それがマーケットで期待感を醸し出すことはなかった。むしろ聞き飽きた言葉となっていた。政権も数々のスキャンダルに見舞われ、国民の支持率も下がり続けていた。安倍政権は出足の、日銀と歩調を合わせた積極的な金融・財政政策でのスタートダッシュは良かったが、その後は鳴かず飛ばずだった。日本のマーケットが米国などにラグ(遅れ)した大きな要因だ。

菅政権は政策を鮮明にする中で、そうした閉息感を振り払いつつある。筆者は前回の第266回で「菅長官の最近の姿勢や言動、それに生い立ちから案外調整型ではない政治を行う可能性があると見る。派閥を早い時期に離れても現在の地位にいるということは、しっかりした存在感を持っているということだ」と書いたが、マーケット、それに国民の多くも賛同し始めたように見える。

課題への取り組み姿勢

首相就任会見から始まった菅新首相の一連の発言などから、政策の柱は明らかである。それは「デジタル庁」を中核に据えた日本の行政・社会のデジタル化、地方活性化、少子化対策の側面も持つ不妊治療の公費負担分増額など。日本が直面している課題をうまく拾い上げている。一貫して強調している政治スタンスは「既得権益の打破」であり、具体的には規制改革、行政改革、縦割り行政打破などだ。これらはとても重要だ。

見ていて分かるのは菅首相の動きが機敏で、担当閣僚に対する指示が具体的なこと。携帯電話料金引き下げ、行政のデジタル化、それに不妊治療の公的負担増など一つ一つの政策に関して担当大臣をすぐに呼んで、極めて具体的かつ強い指示を与える。さすがに昼飯では蕎麦をぶっかけでしか食べないスピード感だ。

菅新首相が打ち出している主な政策は、安倍首相の下ではいかんともしがたく動かなかったものばかりだ。安倍首相も「規制改革」をよく口にした。しかし政権の後期においての実績はほぼなかった。それゆえにマーケットも動きを鈍くしたといえる。米国ではそもそも規制が緩いこともあるし、起業意識が高いこともあって株式市場で評価される会社も入れ替わる。しかし日本では時価総額で見た企業の序列はほとんど変わらない。

善しあしの問題は別にして、日本では長い間トヨタが株式市場でぶっちぎりの時価総額トップだ。トヨタの強さは筆者もよく知っているし、同社の燃料電池車MIRAIに乗っていたので、その評価は妥当だと思う。

しかし時価総額トップが頻繁に入れ替わる米国を見ると、「日本もあの種の国になってほしい」と思う。そのトヨタは年間50万台程度しかクルマを生産しないテスラに、時価総額ではるかに引き離されている。とても残念だ。

鍵はデジタル化

菅政策(それをスガノミクスと呼ぶ人もいる)で筆者が一番注目しているのは、デジタル庁創設を核とするデジタル化だ。いかにスピーディーに進めるか。なぜならそれは菅政権が掲げる「役所の縦割り、既得権益、あしき前例を打破して、規制改革を進めていく」という大方針と直接的に大きく関わるからだ。

日本でもデジタル化を叫ぶ声は強い。しかし筆者は今までの日本のデジタル化には大きな問題があると思っている。それは日本では製品の中で生かすデジタル、組織の中に取り入れるデジタルが“デジタル化”の中心だった。しかしこれは違う。そもそもデジタルは壁崩しの技術なので、製品や組織の枠組みの中で(デジタル技術を)生かそうとするのは本末転倒。筋違いで、効果が著しく限られる。

そうではなく、デジタル技術をベースに製品を構想し、そしてつなげなければならない。さらにデジタル技術で可能なことを見定めた上で組織(行政組織、企業組織など)を作り直さなければ意味がない。それができれば役所の縦割りはそもそもなくなるし、そこに巣くっていた既得権益は少なくなり、あしき前例は打破される。つまりデジタルという技術をどのようなコンセプトで使うかが一番重要な問題なのだ。菅首相や担当する平井卓也デジタル改革相がどの程度まで分かっているのか、初期の方針をどの程度貫徹するつもりなのかは分からない。それを見ようと筆者は思うし、マーケットもそれに期待を持って見守る。

しかし菅首相は「おかしいと感じる部分は徹底して見直し、改革を進める」と繰り返し述べている。その中でデジタル庁の設置構想が進む。コロナショックの発生によってわが国が真剣にデジタル化に対応してこなかったことが鮮明になった。最後は紙依存だった。あれはおかしい。日本の発想は世界から遅れている。

問題は菅新政権が「日本のデジタル化」をどの程度の規模で構想し、そしてどの程度のスピードで実現する意思と巧みさを持つのか。多分抵抗は大きい。しかし菅新首相には「もしかしたらそれができるかもしれない」という期待感はある。ちなみに筆者はつい最近、引っ越しを機に家からプリンターを放逐した。考えたら要らないことに気が付いた。10年以上前に家の固定電話を放逐して以来の、この手の決断だった。

ご注意:本コラムは、上記掲載日から2週間程度前に伊藤洋一氏が執筆されたものです。
閲覧される時期によっては、現状に即さないことも予想されます。また、内容には仮定に基づいた記述も含まれます。ご了承ください。