金融そもそも講座

2つの「相場都市伝説」

第205回

年明けから動意づき、2月の初めからは荒れに荒れた世界のマーケットは、この原稿を書いている2月中旬時点では大分落ち着いてきた。ニューヨークの株式市場などは連日の上げとなる局面も出てきたし、マーケット全体が安定した印象を受ける。今回は年明けの荒れ相場に関連して、「マーケット都市伝説」を紹介しよう。

都市伝説というと「怪しい話だが、信じる信じないはあなた次第」というもの。しかし今回紹介する2つのマーケット都市伝説は、筆者の中ではかなり確率の高いものとの意識がある。しかし、信じる信じないはあなた次第という意味において「都市伝説」と呼ぶことにする。

少し落ち着いた?

マーケットの落ち着きを示す最も良い指標は、恐怖指数とも呼ばれる米国市場のVIX(ビックス)指数だ。この原稿を書いている2月15日の朝(日本時間)現在、同指数は19.26と、久しぶりに20を切ってきた。2月第2週から始まった波乱局面以降、同指数が引値で20を切ったのは初めてだ。この水準は前日に比べて22.87%の下落。マーケットの恐怖感はかなり急速に低下している。

筆者の持論である「マーケットはそれ自身が重さを持つ存在だ」という観点から、前回も「最近のマーケット動向を見ていると『やはりその体重にマーケット自身が気付き始めたのかもしれない。ちょっと体重調整を図っているのだろう』という印象がする。材料は別として、自律調整的な動きが背後にあるということだ」と述べてきた。

この点を強調した理由は、マーケットが荒れると世のメディアはすぐに「材料探し」を始め「○○○だから下げた」と、理由を理路整然と解説したがる。「自律調整」と説明するだけでは報道になりにくいからだ。世の中の出来事との関連を語ることが、「もっともらしさ」を上げることにもなる。むろんそれら(出来事)はそれぞれに意味があるし、調整のきっかけにはなっているが、マーケットが自ら体重調整の時期に来ているときに材料視されているケースが多いように思う。

今回も2月中旬になってマーケットは急速に落ち着いたが、環境的には、月初めからのマーケット波乱のきっかけと報道された「材料」はそのまま残っている。米10年債の利回りはじわりと3%に接近しているし(ニューヨーク市場14日の引値は2.907%)、1月の米消費者物価指数は0.5%の上昇と、マーケット予想を上回った。むろんこの物価統計と債券の動きとはリンクしている。

12日に発表されたトランプ政権の2019会計年度の予算教書では、法人税減税の一方、インフラ投資などで歳出が増える。秋の中間選挙をにらんだ政治色の強いもので、月前半のマーケットなら、大きな弱材料となったはずだ。しかし体重調整が終わった後なので、特に相場にとっての弱材料にもならなかった。ニューヨークの株価は堅調だった。つまりマーケットに参加している者は、メディアの報道の論理とマーケットの論理とが乖離(かいり)していることを、常に頭に置かないといけない。

標語はすぐに陳腐化する

マーケットの状況は常に変化するので、ここまで書いた状況も皆さんが読まれる頃には変わっているかもしれない。しかし本講座の読者には、筆者の中にある「マーケット都市伝説」をぜひ覚えてほしい。後々思い出していただければうれしい。2つある。

1つは「マーケットに対する標語・レッテルは、それが広く使われる頃には陳腐化している」というもの。直近の例で言うと「適温相場」だ。この言葉が出始めたとき、どこから出てきた言葉だろうと思った。考えたらそれはゴルディロックスからきているのだろう。暑くもなく、寒くもなく。もともとは経済活動に関して使われる用語で、「経済成長はそこそこ、よってインフレ率は高まらず…なので、中央銀行の金融政策も大筋では緩和気味で、相場も適度な温度の中で上昇する」といった意味合いだ。たしかにそういう時期もあった。しかし重要なのは、経済やマーケットは日々刻々と体重を変えている、ということだ。我々の体重でさえその日その日によって違っているのに、経済や市場の体重が「しばらく動かない」なんてことは絶対にない。

だから筆者は日本経済についてよく使われた「失われた10年(20年)」という標語も大嫌いだった。完全に失われた10年(20年)なんてあるはずがない。標語はしばしば現実を覆い隠し、人々の思考を曖昧にする。

「適温相場」も怪しい単語だと思っていた、その単語を一般紙まで盛んに使い始めたとき、これは危ないと思った。なぜなら株価は着実に重くなっていたからだ。なのに「ずっと適温」なんてことがあるはずがない。実際には、その標語が使われている間には経済も市場も変わる。使われる期間が長いほど、それとは相いれない現実がたまる。それが圧力となって噴火する。その時は刻々と接近する、というわけだ。標語は使い勝手が良い。だがそれを皆が使うようになったら、経済も相場も「次への助走」をとっくに始めていると考えた方がよい。

年明けは危ない

2つ目は「年明けは危ない」だ。マーケットに長く付き合ってきた筆者の感覚だと、1年で最も「マーケットを取り巻く環境」ががらりと変わるのは年明けだ。一番鮮明だったのは1990年か。いわゆるバブル崩壊の時だ。それまでは日本の株価はうなぎ登り。日経平均株価の4万円はおろか10万円説まで横行していた。その時に筆者は為替の担当だったが、株の担当者がやって来て、「年明けは危ないと思う」と一言。あらゆる指標が東京市場の体重過多(今の筆者の表現を使えば)を示しているというのだ。大方の見方とあまりにも違うので、にわかには信じられなかったが、結果はその通りだった。

それもあるので今回は危ないと思い「年明けは注意。年を越すことで相場が一変する可能性がある」とあちこちに書いてきた。ではなぜそうなのか。いろいろな説があると思う。第一に1月1日は世界的に休みだ。マーケットはない。市場関係者もマーケットからは離れる。そこで考える。今までの相場で良かったのか。反省する時間が一日、強制的に設けられているようなものだ。今までの「勢いでGO」を反省し、「これでいいのか」と考え直す。

重要なのは、12月までは「来年のことを話すと鬼が笑う」の言葉通り、次の年のことはやや遠いし、あまり深く考えない。しかし1月1日になると来年だったものが現実の「今年」になって、「2018年はいかがな年か」を案じる。そこで考えるのだろう。「去年までのあの勢いで株価は上値を追えるのか……そうじゃないだろう」と。相場は「先取り」が原則だから、「あの勢いは続かない。年内いつかの時点で相場は大きく調整する」と考えると、不安心理の先取りが始まる。

今年に入ってからの相場を見ていて、実は1月から非常に動意づいているという印象を持っていた。マーケットに、昨年には見られない胎動が感じられたのだ。そして2月初めの波乱。年明け早々からという訳ではないが、やはり「年初ファクター」が働いていたと思う。「年初には気を付けろ」というのを覚えておいてほしい。

ご注意:本コラムは、上記掲載日から2週間程度前に伊藤洋一氏が執筆されたものです。
閲覧される時期によっては、現状に即さないことも予想されます。また、内容には仮定に基づいた記述も含まれます。ご了承ください。