1. 金融そもそも講座

第153回「各国経済の強さと弱さ PART26(中国編)」

2016年の世界マーケットは、中国市場の急落での幕開けだった。何せ取引開始初日の4日から中国市場の株価(CSI300指数)は、同日導入のサーキットブレーカー制度の限度いっぱいである7%まで下げ、取引時間を1時間半ほど残して閉まってしまったのだ。中国経済は予想以上に悪いのではと、世界中の投資家がこれに動揺した。散々な幕開けだが、中国市場がテクニカルな要因を抱えているにしても、背景としては同国経済に大きな問題があることが挙げられる。ではそれは何か。いよいよ問題の本質に入っていく。

成果を残した改革開放政策

中国経済が抱える一番の問題は、過去の成長パターンが通じ難くなっているのに新しい成長モデルへの移行ができていない、ということだと思う。過去の成長パターンとはつまり、世界経済の中で「製造工場」として機能し、原材料(石炭や鉄鉱石など)を輸入、それを世界でも圧倒的に低賃金の労働者を大量に投入して製品に変え、その製品輸出で外貨を稼ぐというもの。

この成長モデルは、改革・開放政策の初期の段階では非常にうまく機能した。なにせ文化大革命の混乱後にこの政策が採用されたのは78年12月。中国共産党第十一期中央委員会第三回全体会議だった。ベルリンの壁が崩壊する20年以上前の話だ。ソ連などの社会主義体制を取っていた国が全て、自国労働者が西側企業の下で働くことを拒否していた時代に、中国の鄧小平はその時点で自国労働者が資本主義企業の安い労働力となることを受け入れた。共産党の一党独裁制を維持しながらの、市場経済を導入するという斬新な発想だった。

これが奏功した。鄧小平は西側諸国、さらには東側諸国の疑念を振り払うように外資、海外の技術の導入の先頭に立って海外を回り、日本を含む海外の企業の誘致を進め、安い労働力を西側の企業が使える状況をつくった。その先頭に立ったのが今回巨大な土砂崩れ事故があった深センだった。その当時の中国人労働者の賃金は先進国の労働者の十分の一くらいだったから、西側企業は中国に工場を持たなければ競争力を失うという状況だった。前提は、外貨・外資導入に積極的な政府の姿勢、大量の安い労働力の存在、労働者の働く意思、ある程度整ったインフラなどだった。

それは中国の沿岸地方から始まり、その後は四川省などの内陸部からの出稼ぎ労働者を吸収する形で進み、その後は工場自体が内陸部に移るという展開で進んだ。世界中のおもちゃが中国製になり、世界中で売られる衣類の多くが「Made in China」になったのはこの頃だ。中国は世界の工場になることで貿易黒字(外貨)を稼ぎ、国の礎を築いたといえる。それがあってこその、今の北京や上海の高層ビル街だ。

通じなくなった成長パターン

しかしここ数年、中国は成長の壁に直面している。なぜなら成長の前提が崩れてきたからだ。まず労働賃金が急激に上昇した。そもそも中国の人々は、少しでも労働賃金が高い企業があったらそちらに移るといわれるほど、労働者の流動性が高い。それは米国によく似ている。例外はあるが、日本のように“我が社”的な共同体意識はあまりない。その結果、労働力の需給が徐々に逼迫するにつれて労働賃金の上昇ペースが高まってしまった。最近は毎年10%程度上がるケースも多い。世界でもっとも安い労働者を雇える国だったはずが、今の中国は世界のマーケットから見て少しも安くない労働力しか手に入らない国となった。

今の上海の労働者の一般的な賃金としては、4〜5万円相当という数字がいわれている。これは上海の労働者は「月給の2倍の値段はする高級なiPhoneを平気で買う」といわれる状況と一致する。むろん激しい格差があり、そして地域差も大きい。そしてさらに言えば民間でも賄賂が横行する社会だから、中国人は平均これだけ収入を得ているなどという数字は存在しない。しかし旅行者が日本で爆買いをする姿を見ても、中国の人々の所得は相当上がっているといえる。給与であれ賄賂であり、それを支えているのは企業だ。つまり中国はかなり割高な国になったのだ。おまけに労働者の権利意識は強く、争議は頻発する。

筆者が2年前に行ったミャンマーの農村では、若い女性が一日田植えのために働いて、手にできるお金が400円相当だった。つまり一カ月20日間働いて月の手取りは8,000円ということだ。ミャンマーの人々は中国の人々より物静かに働き、手先もものすごく器用だ。彼女らがもし世界の企業にとっての労働力になれば、コストという面では中国の労働者は確実に旗色が悪くなる。そうした状況はベトナム、バングラデシュなど多くの新興開発途上国に存在する。ただ、それらの国が一気に世界の工場の地位に移れないのは、それぞれの国が問題を抱えているからだ。例えばミャンマーでは電力が足りない。筆者はミャンマーの田舎で「伊藤さん、ミャンマーでは一日3回停電します。一回の停電時間は8時間です」と冗談ぽく言われたことがあった。

しかしそうした国も、中国に代わる世界の工場になる資格を徐々に得ている。今回のミャンマーの総選挙の結果を見ても、世界経済の一翼を担う存在に国全体が変化しつつあるのは明らかだ。中国の労働賃金水準が高くなったことで、これらの新興開発途上国が「工場」として台頭できる環境は整いつつある。

中所得国の罠

考えてみればこれは自然なことで、労働賃金が高くなった中国は付加価値の高い独自製品を作って今度は安さではなく品質、安全・安心を売りにすれば良い。しかしこれは言うのは簡単だが、実際に移行するのは難しい。多くの途上国が乗り越えに失敗するので「中所得国の罠」(Trap of middle-income countries)という言葉も以前から使われている。世界銀行が07年にまとめた報告「東アジアのルネサンス-経済成長の理念」に登場した言葉で、中南米やアジアの多くの国が発展途上国から抜け出して中所得国まできたところで貧富差拡大や汚職、都市のスラム化など難題に直面し、長期停滞に陥る傾向がみられることを指したものだ。

筆者は、都市のスラム化は中国には当てはまらないと思う。しかしその他の状況はあると思う。ただ、汚職に対しては習近平政権の大きな政策として一応の取り組みがなされている。あとは貧富の格差を縮小し、既に世界的には高くなってしまった中国の労働者の賃金に見合った高付加価値、高品質の製品を作ることができれば、中国は今の壁を抜けられる可能性が高い。しかしそれができない。その理由は次回から取り上げるが、その前に今の中国の製造国家としての成長率はどのくらいか見ておく。

中国についての連載初回に、「中国のGDP統計は信頼できない。私は鉄道貨物輸送量、電力使用量、それに銀行融資の三つを参考にしている」という李克強首相の若い頃の言葉を紹介した。実はこの3指標を元に「李克強指数」というものが存在する。主に製造業を対象としたこの指数が今何%の成長率になっているかを見ると衝撃的だ。ある有力な調査会社の推計によると、同指数で見た中国の成長率は去年11月末の時点で年率2.38%にとどまっているという。これは中国政府の最新のGDP統計+6.9%と大きな乖離がある。

もっともGDPは財ばかりでなくサービスの部門も大きい。多分この分野は中国で今かなり伸びている。都市の構造を見てもサービスに関するお店が増えているし、高齢化が進む中国では人々が求めるものは徐々にサービスに移っていくはずだ。しかしあの大きな中国全体をカバーするようなサービスに関する経済統計が少ない。そこが中国の経済統計の欠点だ。サービス産業が製造業の落ち込みをカバーしたとするならば、中国の成長率は李克強指数が示す以上に高い可能性がある。しかしそれでも、7%に近い成長は信じ難いというのがマーケットの見方であり、年初に発表された「財新PMI」(12月は48.2、10カ月連続の節目となる50割れ)も、その見方を裏付けたといえる。

問題は世界の工場の地位を失いつつあるのに、高付加価値、独自製品を作れる国に脱皮できないことだ。それはなぜか……。(

ご注意:本コラムは、上記掲載日から2週間程度前に伊藤洋一氏が執筆されたものです。
閲覧される時期によっては、現状に即さないことも予想されます。また、内容には仮定に基づいた記述も含まれます。ご了承ください。

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