1. 金融そもそも講座

第149回「各国経済の強さと弱さ PART23(中国編)」

中国の行動パターンを理解する上で何よりも必要なのは、世界のどの国よりも政治が優先する国であるということだ。「いかに大きな国を治めるのか」を中心意識として。だから統計数字の発表を含め、あらゆる決定が政治の思惑の中で決まる。そして中国の制度で一番重要な特徴は、それが“党”の国だということ。党とはもちろん中国共産党である。日本を含め世界のほとんどの国で、指導者は選挙によって国民から選ばれる。しかし中国では指導者を選ぶための全国的で、自由な選挙が行われたことは戦後の国家形成以来一度もない。今回は中国を理解するためのいくつかのキーワードを取り上げる。

喉と舌

「そもそも」的にいうと、つまり順番が逆なのだ。まず共産党ありきで、その下に国があり省庁の組織があり、そして企業がある。中国の軍隊は人民解放軍と呼ばれるが、それは政府の軍隊ではなく共産党の軍隊である。政府を構成するのは共産党一党で、あらゆる政府の最高位役職は党の中の「漠然たる総意」によって特定の個人に決まる。だから中国の人々が一番困る質問は「今の国家のトップは誰が決めたのか」というものだ。

例えば胡錦濤が国家主席の時に、私が中国に行って「なぜ彼が主席で、誰が決めたのか」と中国の人に聞くと、「さあ」とか「鄧小平が決めたのでは」といった返事だった。今の習近平に至っては、同じ質問に全く「?」しか返ってこない。それは国民にとっての秘密のベールに包まれた共産党の中で、国民が関知しないところで決まっているからだ。だから誰もなぜ彼なのかに関して答えられない。

メディア(新聞、テレビ、ネットなど)も、中国では、我々が身近で知るものと全く違う。日本では、今の安倍政権に比較的好意的なメディアも、逆に批判的なメディアもあって多様だ。しかし中国のメディアは、しばしば「党の喉と舌」と呼ばれる。その意味するところは「全て党の代弁者」ということだ。この言葉が初めて使われたのは古い。中国共産党が延安に根拠地を置いていた1940年代の初期。使ったのは中国を今の形にした毛沢東で、その時の機関紙である解放日報を「中国共産党の喉と舌」と呼んだとされる。中国の今のメディアは全てその系列の中にある。商業主義がはびこったりしているが、根っこは同じだ。

つまり中国を理解するために一番重要なのは、選挙と民主主義を基盤とする日本、米国、欧州などの国とは全く形やシステムが違う国であるということを頭に叩き入れることだ。我々は、つい自分の身の回りの原理・原則が、他の国(この場合は中国)に当てはまると考えるが、それは間違いだ。

二兎を追う

話を少し今に戻そう。前回、中国の今の成長率目標が7.0%であると書いた。第3四半期の成長率はそれとごくわずかな誤差の6.9%だったが、それから約2週間で非常に興味深い数字が出てきた。それは6.5%というものだ。その数字を使ったのは今の中国で断トツのトップである習近平国家主席(中国共産党中央委員会総書記、中国共産党中央軍事委員会主席)だ。彼はこの数字を「今後10年間でのGDP倍増計画を踏まえると、2016-20年の年平均の成長率が少なくとも6.5%である必要がある」という形で使用。つまりGDP倍増という目標がまずあって、その目標に向かうためには6.5%の成長が必要という数字の出し方だった。

前回筆者は、中国の今の成長率に関してはいろいろな意見があり「4%台の成長率に落ちている」との見方も紹介した。しかし中国のトップはそんなことはお構いなしだ。まず数字を決め、現状がどうであれその数字の方向に経済を動かそうとするし、動かなかった場合には「そう見せる」ことにやぶさかではない。それが実情だ。今は来年の春くらいには中国の成長率目標は今の7%から6.5%に引き下げられるのではないかと一般的に見られている。

この6.5%という数字も微妙だ。「成長の質にも配慮する必要がある」(習近平主席の言葉)と述べて、産業構造の転換(単純製造業から高度産業体への転換)を目指す一方で、「国民の成長と所得増加への期待」を満たすためにはどのくらいの成長率が必要かを考えた結果の数字だからだ。つまり最初から「政治的意図を持って作られた数字」ということになる。実際には産業構造の転換を優先すれば、どうしても旧来産業に痛みが出るから、その間は成長率が落ちる。それは中国も覚悟しているように見える。しかしあまり落ちると国民の期待に背くことになる。

ではどうしたら良いか。多分実際の中国の成長率が既に大きく落ちているといった事実には関係なく、「両立が可能に見える数字」を出してきたということだろう。しかし二兎を追う者は一兎をも得ず、の危険性もある。多分、「国民の支持」が必要な共産党はあまり成長率が落ちることを許容できないだろう。とすると、経済構造の転換が難しくなる、または遅れるという事態が予想される。

統治の正統性

もう一つ、そもそも的に読者の方々に中国を考える上で理解しておいてほしい言葉がある。国民の支持とも関連する。それは「統治の正統性」という言葉だ。選挙が行われる国では統治の正統性は、はっきりしている。国民が選挙で政党や個人を選び、その政党の代表者や個人が国のトップに就く。それは今の日本では自民党の総裁である安倍首相だし、米国ではオバマ大統領だ。いずれも選挙がベースで決まっている。繰り返すが、世界の先進国ではほとんどがその方式でトップが決まり、その権限は「国民が授権したもの」と理解されるし、それは広く受容される。

しかし中国には選挙がない。一般国民に投票という権限行使はできない。ではどのようにして国家主席が決まるかといえば、中国の人口(13億人)の中のごく一部(8,000万人強)で構成される中国共産党の中で、中央委員会総書記とか中央軍事委員会主席は「漠然たる総意」によって選ばれるからだ。一般国民は授権していないのに、「私がトップです。国の全てを取り仕切ります」となっている。それは考えようによっては統治の正統性が希薄だともいえる。むろん選挙で選ばれていなくても“実績”があれば国民はその政治家に統治の正統性があると見なす。例えば毛沢東は国をつくった。鄧小平はその国を発展させた。彼等の統治の正統性を疑問視する人はいない。

しかし実績のない政治家には、中国国民は選挙で授権していない分だけ「なぜ彼があそこに」「役立たないのなら辞めてしまえ」と考え、最後には「共産党にはもうこの国を任せられない」とも考える。実際に私の知り合いには今の中国政府に見切りをつけて米国国籍を選んだ人や、日本国民になった人がいる。彼らは「もうあの党は終わり」とまで言う。国民から授権されていない共産党が一番恐れるのが、実は国民からの批判、非難である。毛沢東(彼は中国の全ての紙幣に登場する)や鄧小平が過去の人になればなるほど、統治の正統性が希薄になるからだ。それを新たに持つには実績が必要で、その実績は今では「経済的豊かさ」が一番だ。むろん「汚職撲滅」などの政策も国民から支持されるが、これはしばしば権力闘争の道具であることは中国国民も知っている。

中国という国を理解するには、選挙で選ばれていない共産党が治める国だということと、今や中国の指導者は統治の正統性を世界のどの指導者よりも欲しているということが重要だ。(

ご注意:本コラムは、上記掲載日から1カ月程度前に伊藤洋一氏が執筆されたものです。
閲覧される時期によっては、現状に即さないことも予想されます。また、内容には仮定に基づいた記述も含まれます。ご了承ください。

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