1. 金融そもそも講座

第151回「各国経済の強さと弱さ PART25(中国編)」

シリーズの中で今後、中国経済が抱える問題を「そもそも」的に、しかしかなり詳細に取り上げていく予定だ。その前に強調しておきたいことがある。それは、戦後中国が置かれた環境の厳しさを考えれば、文化大革命などの混乱期はあったにせよ、今日に至るまでの中国の経済発展はやはり世界史の中で特筆すべき事だったという点だ。それは世界経済全体の発展に貢献したし、今後中国経済が行方を間違わなければ日本を含めた多くの国にとってプラスの影響力を持ちうる土台を作ったといえる。今中国が抱える問題点は数多いが、それだけでこれまでの中国の足跡を全否定するのは間違っている。

人民元 SDRの構成通貨入り

IMF(国際通貨基金)は2015年11月30日、通貨危機などに備えて加盟国に配るSDR(特別引出権)に中国の通貨・人民元を採用することを正式に決めた。実際の組み入れは16年10月からだが、これは国際金融と為替相場の安定を目的として設立されたIMFが、人民元に世界的な決済・投資に使われる国際通貨の地位を正式に与えるものだ。人民元はドルや円などに遅れ5番目の通貨としてSDRに加わるが、今回決まった構成比をみると円を上回る3位に一気に浮上。構成比率は順に、ドル(41.73%)、ユーロ(30.93%)、人民元(10.92%)、円(8.33%)、ポンド(8.09%)となった。

ではなぜ人民元はSDRを構成する世界のエリート通貨の仲間入りができたのか。まず、中国が日本を大きく上回る世界第2位の経済大国に台頭してきたことだ。中国経済は減速したといっても成長率は日本や米国よりかなり高く、日本を抜いた後は米国に接近している。その国をIMFは無視できない。次に中国が経済大国として台頭するに従って同国の貿易の量や人民元取引が広がり、人民元が世界の主要通貨の一翼を担うと判断できるに至ったことだ。実際に「中華経済圏」とも呼べる経済圏が、アジアの中国系の人々が多く住む国・地域や一帯一路(習近平政権の外交・経済政策の一つ。次回以降取り上げる)の対象となる中央・西アジア諸国を中心に広がっている。

ではここで、問題。SDRの仲間入りをできたのがなぜインドのルピーではなく中国の人民元だったのか? ――これは考えてみれば面白い設問だ。第二次世界大戦が終わったとき、両国はともに悲惨な経済環境だった。しかしそこから徐々に成長路線に戻って、共に「BRICS」と呼ばれる開発途上国仲間になった。人口が10億を超える世界の二大人口国という点も同じ。共にその巨大さ故に一目置かれる存在だ。中国のみならずインドも現在の成長率は高く、世界でもその存在感は高まっている。

「世界の工場」の道

それなのに今回、人民元だけがSDRの構成通貨になれたのはなぜか。それは中国の戦後における成長ペースがインドよりはるかに速く、国民の所得レベルを高めることに成功したからだ。中国が選んだ道は「世界の工場」になることだった。海外から資本と技術を導入し、大量に原材料を輸入してそれを加工。製品を大規模に輸出し、外貨を稼いだ。そして戦後時点からは想像できないほど豊かになった。今は中国の輸入減に右往左往している国が多い。中国経済が持つ世界経済への影響力はインドをはるかに上回る。

インドは世界の工場になる道を選ばなかった。今の米国のIT企業トップにおけるインド系の活躍を見ても分かるが、それは主に「個人の資質」で突出して成功している。世界最大の民主主義国家としてのインドの成長は、国民の権利意識の強さもあって一直線というよりはどちらかといえば、寄り道をしながらだ(もっとも今後の世界が突入する「知的生産の時代」には、インドとその国民はその特色が役立つ可能性が高い)。

対して中国は、文革後に長く実権を握った鄧小平の方針(改革開放)などもあり、共産党政府は世界の工場になる一本道を選択した。武器は13億という巨大な人口に裏打ちされた豊富な労働力と、世界のレベルから見て非常に安い賃金だった。むろん、中国の国民も政府の政策に勤勉や辛抱強さで応えて経済成長に貢献したが、やはり政府の産業政策がうまく機能したからこそ、今までの高い成長が促されたのだと思う。

もっとも中国には見習うことのできる先行組があった。それは主に戦後の高い成長率で世界を驚かせた日本であり、その後に成長路線をひた走った韓国だ。中国政府はこれらの国の経験、特に日本のそれを徹底して研究し、自国の発展に役立てた。司令塔はあくまで政府で、そういう意味ではこれまでの中国の成長における政府の役割は大きかった。

国内で忙しい国だったが

最近でこそ、南シナ海問題などに示されるように周辺の国に脅威を与える存在になったが、戦後からつい最近まで中国は基本的には国内で忙しい国であり続けた。中国の関心は大きく外に向くことはなかった。国内で忙しい国というのは政治的にも経済的にもそうだ。例えば文化大革命の時代に中国国内で生きた人々の苦しみは、映画「さらば、わが愛/覇王別姫」などでも明らかだが、外部の人間にとってはもっぱら中国国内の出来事は他人事であった。その後も中国国内の権力闘争が、外部世界に影響を大きく与えたことはない。中国はずっと内向きの国だった。

それには二つの理由があると思う。中国共産党が統治の正統性維持のためにも、経済発展とそれに伴う国民の豊かさ向上を優先したこと。その意味では文化大革命の混乱の後に鄧小平が採用した改革開放政策が、今日における人民元のSDR構成通貨入りの種をまいたともいえる。次に、中国はその歴史の大部分において、王朝は変わるが“中華世界”としての一体性は維持してきたことだ。戦後においても国内が分裂することもなく一つの国家としての一体性を維持できた。その信頼感は強い。

鄧小平はかつて「中国はいろいろ問題を抱えているが、周囲の国にとっては中国に混乱や分裂があったら大量の難民が押し寄せて大変なことになる」と述べた。中国の統治体制の異質性への批判に対して述べたものだ。彼の心の中には「周辺国は中国が一体性を維持していることに感謝すべきだ」との気持ちがあったのかもしれない。実際に戦後の中国が大きな混乱、戦乱に見舞われずに、今のシリアのように大勢の難民を出さなかったことは、日本など周囲の国にとっては幸運だったといえる。今中国が日本を含めた世界に送り出しているのは「爆買い」行動を常とする豊かな旅行者(消費者)であり、日本を始め世界経済に対する貢献度は大きい。

しかしそれは今までの、つまり過去の話だし、その過程の中でも多くの悲劇が生まれている。問題はこれからだ。次回からはそれを取り上げる。(

ご注意:本コラムは、上記掲載日から2週間程度前に伊藤洋一氏が執筆されたものです。
閲覧される時期によっては、現状に即さないことも予想されます。また、内容には仮定に基づいた記述も含まれます。ご了承ください。

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