マーケット、時に米政権を追い込む=債券利回りを常に注視を
第377回
筆者が今回読者の方々にお伝えしたいのは、「実は政権を動揺させ、政策の転換を迫っているのはマーケットだ」ということだ。日頃「マーケットは、トランプ米政権の一挙手一投足に振り回されている」というテレビ・ラジオの説明を聞いている。だから、私が逆の事を言うと、「え、そうなんですか」と思うかもしれない。しかしそれがマーケットに携わっている人間、これから携わる人がしっかりと認識しておくべき事実だ。
実は日本のメディアのマーケット報道には、大きな問題がある。時代遅れなのだ。日経平均225は225銘柄から算出している。かなり幅広い。対して日本で一番有名なニューヨークのマーケット指標であるニューヨーク・ダウは、正式名称は「ダウ工業株30種平均」と言う。つまり数多い米国(実質的にはニューヨーク)市場上場の銘柄の中から、たったの30銘柄を選んで指標としているだけだ。もちろん頻繁な銘柄入れ替えをやっているが、とりあえず「ダウはたった30銘柄の指数」と覚えて欲しい。
米国で「市場を最も良く表彰する株価指標」と広く認識されているのは、ダウではない。「S&P500種株価指数」だ。その数字の通り500の銘柄から算出している。ニューヨークの経済・市況記事でもっとも「信頼出来る指標」と使われているのは「S&P500」だ。ところが日本はこの指数を飛ばして、ダウとナスダックで市況報道を終わりにしている。記者からデスクに至るまで「S&P500が一番重要な指標」との認識がないからだ。
株と為替は報じるが債券相場、その利回りには触れないというのは、日本のマーケット報道の現実だ。これもおかしい。株式市場の取引高は、債券市場のそれを大きく下回る。世界中のお金が米国の国債を中心とする債券市場に集まり、市場の先行きを決めている。実は株価よりはるかに重要な「マーケット指標」なのだ。債券の利回りは、住宅金融や企業金融のベースとなり、米国の経済活動の体温そのものだ。その上昇は、確実に米国経済の先行きに警鐘となる。
相互関税延期に追い込まれる
実は「マーケットが政権とその政策を動かしている」ことが一番明瞭に示されたのは、4月9日に日本に対して24%、東南アジア諸国に対して50%近く、そしてEU(欧州連合)に対して20%の相互関税を課したものの、たった13時間あまり後に「この相互関税は90日間の実施延期」とトランプ米政権が発表した際だ。世界を唖然とさせた政策の先延ばし。もちろん対中国相互関税は引き上げとなったので、トランプ米政権の全面撤退ではない。しかし米国たる世界の大国の政権がたった半日余で政策を大きく転換したのだ。
筆者はその間のマーケットの動きを「債券市場」を中心に詳しく見ていた。6日の週明けに自分のnote(https://note.com/ycaster/)に、今週の注目は大きく動くことが分かっている株式市場ではなく、それよりはるかに規模が大きく世界経済全体に大きな影響を与え、かつ「マーケットの緊張度が如実に表れる債券市場(日、米、欧)だ」と宣言していたからだ。
その時起きたことを書くと、米国の物価統計の落ち着きなどを受けて、確か米国の指標10年債の利回りはその前の週末に3.9%近くだった。それが週明けと同時にジリジリと上げ、相互関税大幅引き上げと発表の後は、上げ足を著しく高めて(しかも神経質に)確か4.592%に上昇した。この時、前財務長官だったローレンス・サマーズ氏は自らのXのアカウントに、「この24時間の出来事は、米国の関税政策によって我々が深刻な金融危機に向かっている可能性を示唆している」と繰り返し警告した。
発表から13時間余。ホワイトハウスの庭に出てきて「相互関税の90日間実施延期」を発表したのは、ベッセント財務長官とレビット大統領報道官だった。トランプ大統領はさすがに恥ずかしかったのか、記者から質問されるのが嫌だったのか会見には現れなかった。その日のワシントンの天候が抜けるような晴天だったことは、今でもよく覚えている。
たった13時間のどんでん返し。一体何があったのか。トランプはその後メディアにこう述べている。
On Wednesday afternoon, Trump acknowledged that the markets had looked "pretty glum" and that "people were getting a little queasy" – a reflection that undercut some of the bravado he expressed over the past week and could hint at the real reason for his tariff change of course.
自警団は存在した
glum とは「陰気」「弱気」とかで queasy とは「吐き気がする」とネットでは訳されている。あまりなじみがない言葉だが、その部分を意訳すると「マーケットはとても弱気になっているようだし、人々はちょっと気を滅入らせているようだ」となる。
重要なのは、彼がその後に「株式市場ばかりでなく、債券市場も見ていた」と述べていたことで、特に債券利回りは4.5%を上回ったときに危機感を覚えたのではないか、と推察する。もちろん波乱が続いた数日間にわたる株式市場(主に下げも)も気になっていたはずだが、大方の見方はトランプの政策に待ったをかけたのは「債券自警団」だったと見る。「マーケット自警団」は存在したのだ。
多分「債券市場からの警告」に最初に気付いたのは、「債券市場のプロ中のプロ」と言われるベッセント財務長官だろう。巨大で安定した取引量を誇る債券市場で、短時間で利回りが神経質な取引の中で0.5%以上上がるのを見て、「これは尋常ではない。政策のいくつかを巻き戻さないと、米国の金融市場が大混乱になって金利が上昇し、景気後退、失業増加、と同時の物価上昇に見舞われる」と考えたのだろう。そして彼はトランプ大統領に進言した。「対中を除く相互関税を90日間延期しましょう」と。だから彼が発表に当たった。
この時の米国の債券相場の大きな崩れ(債券利回りの急激な上昇)に関しては、様々な見方がある。「6000億ドル前後の米国債(外貨準備として)を持っている中国が、その一部を売った」とか、「日本の金融機関のルールに基づく損切りが大規模に出た」とかだ。真相の露呈は多分2カ月後以上先になる。詳しい統計が発表されるのがそのタイムスパンなので。しかし重要なのは、株式市場より遙かに規模が大きく、普段は「利回り(相場)が飛ぶ」というような事がない米国の債券市場が、極端に神経質になって、放置できない状態になったことだ。通常ないことだし、米国のみならず世界中が懸念を高めた。「米国に投資していて大丈夫か」と。
実は日本は中国を大きく上回る1兆ドル超の米債保有国だ。確かにトランプ大統領が言うように、戦後の米国市場の開放性の中で、鉄鋼、家電、半導体、自動車などなどを日本は米国に輸出して外貨を稼ぎ、経済大国になった。しかし、日本は稼いだ外貨を大規模に米国国債市場(米政府の借金)に投資、米国政府と経済をファイナンスしてきた。日本ではこの点が忘れられがちだ。
利回りを注視
4月9日に顕著に見られた「債券市場の警告」は、その後も米国政府を監視し続けている。おかしな動きには「利回り上昇」で応えている。トランプ大統領は自由に自分のしたいことをしたいのだろう。米国に「関税の壁」を作って海外から商品が入ってこないようにし、国内資本、海外資本を問わず米国国内に工場を作らせ、労働者を雇い、高い給料を払って「黄金の国」にするというのが彼の意図。
しかしこれまでの繰り返し述べてきたように、それは短期間で出来る事ではない。国内のモノ不足が高まって、スマホ、おもちゃなど多くの商品が品薄になって値上がりする。「物価を下げる」と約束して大統領になった人が、高物価を国民に押しつけることになる。多分長期的にもそれは無理だろう。今の企業は精緻なコスト分析、ロジ構築によって「世界のどこで製品を作り、流通網をどう動かせば一番効率的か」を探って生産・流通・販売網を構築している。
国際的にも成功した日本のユニクロの柳井社長は、4月10日の決算説明会で、トランプ米政権の関税政策について「今の国際情勢から無理がある。たぶん続かない」「生産地の国際分業は完全に確立されている。米国が(利益を)全部とるのはありえない」と述べた。全くの正論だと思う。
トランプ大統領の経済政策には、はっきり言って無理がある。特に短期実現には。その無理は金融市場の重荷になって、むろん株式市場も荒れるだろう。しかし米国の政権にとってもっと恐ろしいのは「債券市場のレボルト、その中での債券利回りの急上昇」だ。債券利回りが急上昇すれば、それは住宅ローンや企業向け貸出金利の上昇につながる。それが起きれば米国経済は行き詰まる。不況は間違いなく接近する。
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4月9日前後の米政府混乱の際には、さすがに米国の債券市場に関する日本のメディアの報道も増えた。しかし喉元過ぎれば。また「株(それもダウとナスダック)と為替(ドル・円とせいぜいユーロ円)」の相場報道中心になっている。「日本のメディアは本当に変わらないな」と思う。しかし今既にマーケットに携わっている人、今後携わる人には是非、「債券市場とその利回りの重要性」に注意を払い、マーケットを注視し続けて欲しい。
毎月コラムを提供している四国の新聞社の社主と先日話をしたら、「株より債券の方が金融市場の本質に関わるのですね」と言われた。その通り。ぜひ皆さんも債券相場(利回り)にご注目ください。それは日本も同じだ。情報はiPhoneの「株価」でも見られる。ちょっと気の利いた経済サイトには日々・刻々今レート、チャートが掲載されている。私が一番見るのはCNBCかな。