金融そもそも講座

How far How fast?=日本株の今後

第351回 メインビジュアル

マーケットと付き合っていると「それはいかんだろう。“商売”は出来るかもしれないが反則に近い」と感じる類いの予測がある。「“止まった時計”予測群」と私が名付けているものだ。「日本の株価はおかしい。いつか暴落する」というものもあれば、「日本平均はいつか10万円になる」といった類いもある。

なぜ私がそれらを「“止まった時計”予測群」と呼ぶかというと、時間枠を設定しないのでいつかは多分当たるからだ。針の止まった時計でも、1日に必ず2回は正確な時を刻す。相場予測もずっと同じ事を言っていればいつか当たる。筆者はそれらを「予測ではない。注目狙いの宣伝」と思う。市場参加者の大部分は期間損益を持つ。役立つ予測はターム(一定期間)の中で行うものだろう。

相場は波の連鎖だ。複雑極まりない。しかしその波の「期間での動き」を予想するのが醍醐味であり、マーケットに参加する喜びでもある。市場には企業や個人の様々なニーズが集まり、それは日々入れ替わる。様々な買い手・売り手玉や思惑の交錯の中で相場はチャートを作り、軌跡と歴史を刻む。

筆者は世界全体の経済や資金の流れ、地政学的な動向を踏まえて、「どの種類の投資家がどう動くか」を予測の中心に置いている。だから私はチャーチストではない。しかしチャートも参考にする。一番重視するのは大きな資金を動かせる機関投資家の動きだ。彼らには、「こういう状況下ではこう動かざるを得ない」という一定の行動様式(パターン、社内規則や他社との競争条件など)があり、それが相場を予測する上で非常に重要だ。

日本株の現在位置

「34年ぶり」の起点となった過去の日経平均株価の高値(引値ベース)は、1989年12月大納会の3万8915円。それを長期間抜けなかったということは二つの事実を指す。そのレベルが当時の日本経済から見ていかに高過ぎたかということ。そしてもう一つは、その後の日本経済・企業の変化が遅すぎた点。

筆者は1970年代後半から80年にかけての4年間をニューヨークで過ごしてずっと相場を見ていた。当時、ダウ工業株30種平均はずっと1000ドルに乗り切れずにいた。相場としてちっとも面白くなかった。今回改めて調べたら、1989年末の数値はなんと2753ドル。原稿執筆時点のニューヨークの株価はほぼ3万9000ドルだから今は当時の14.2倍ということになる。

日経平均は、原稿執筆時点では4万円の大台だ。それはひとまず祝うとして、冷静に考えれば1989年末の水準を「1」とすると今の日本の株価はまだ「1」をやや上回った程度。同じ期間にニューヨークの株価は14倍強になり、欧州の大部分の株価指数も数倍になった。残念な事に、日本の株価はその間ずっと「0.X」を続けたという事だ。

日本の1989年末の株価は恐らく高過ぎた。米国からの強い景気刺激要請もあって全国くまなく地価が大きく上がった。筆者は当時これを「圧力釜経済」と呼んだ。お金が外に出ることなく、国内に滞留して日本という釜の中で圧力を高めた。株価も地価も大きく上がった。

しかし過去高値を超えるのに要した34年間という時間の長さには、日本企業に責任がある。高度成長期の成功体験を引きずり、つい最近まで業界内シェアや地位にこだわって変化することに乗り気でなかった。日本企業も日本人も責められる点があったと筆者は考える。

経営者こそリスキリング

しかし、30年以上という時間がかかったが、日本経済には今静かにだが、耳を澄ませば聞こえる変化の足音がする。企業は企業価値を高める必要性を認識し、生産性を上げる努力をしている。IT(情報技術)化、AI(人工知能)化は不可避と悟り、働く人間もリスキリングに熱心だ。証券取引所も上場企業に様々な改革を促し始めた。

この原稿を書くのと相前後して日経新聞に、「経営者こそリスキリング データ分析第一人者の提言」という記事が出た。竹村彰通・滋賀大学長へのインタビュー記事。とっても重要な指摘だ。この手の記事が出ることで、この問題における人々の認識を一段と後押しするだろう。同様に同紙には「2024年の早期退職、既に2023年通年超え 構造改革で雇用流動化」という記事も掲載された。

今年はまだ2カ月をちょっと過ぎただけ。なのに早期退職が去年通年を超えたとは驚きだ。非常に硬直的だった日本の雇用制度がテクノロジーの変化に伴う構造改革の中で、大きな変化を遂げていることを示している。

実は米国の企業社会・雇用慣行は、そもそもテクノロジーの変化がもたらす雇用形態の変化に非常に好都合に出来ていた。新しい国でそもそもしがらみが少ないし、村意識もあまりない。3〜4年も同じ会社にいれば「次は」と考えるのが米国人で、本人も周囲もそれが普通なのだ。

筆者はニューヨークに居たとき「今の会社は何年目?」とよく聞かれた。「7〜8年かな」と答えると、「そんなに長く」と驚嘆され、あきれられたものだ。当時でもそうだった。その後始まったテクノロジーの激しい変化は、そうした米企業社会を国際的に優位な地位に押し上げた。技術やノウハウを持った人がすぐに動く。日本は硬直的だった。流動的でないから、企業はなかなか変わらなかった。だから変化に遅れて34年だ。

「良い悪い」の問題ではない。どちらのシステムが時代環境に合っているかだ。今日本は大きく変わりつつある。その変化こそが日本のマーケットをドライブ(駆動)していると思っている。その基調的流れがあるからこそ、日本の最近のマーケットは米国市場などに比べても底堅い。下がってもすぐに拾われる。

加えて「労働組合+政府」による賃金引き上げ機運があり、取引所要請もあって企業価値を高める努力を企業は始めた。人口減少が否定しがたい前提となった日本では、もはや企業は従来の戦略を劇的に変えざるを得ない。そう覚悟したし、神輿(みこし)乗りや品行悪の経営者は駆逐されている。

世界動向も味方している。これまで世界中の企業の投資資金を集めていた中国が、習近平の硬直的・国家体制安寧優先の政策によって「世界での投資先優先リスト」での地位を自ら落とした。資金が日本に向かい始めている。

How Far?

日本の株価はどこまで上がるのか。時間軸は年内だ。日本の株価は1989年末を「1」とすると、今はそれをほんの少し上回った程度と現在位置は確認した。高値更新時をベースにすると「1.2」になっただけで4万7000円前後だ。予想が集まっていた今年の高値4万3000円は「1.1」前後。

筆者は今の流れで言うと、日本の株式市場がその「1.2」に接近しても驚かない。それは今の日本の株高が、メディアが盛んに喧伝(けんでん)する諸要因よりはるかにファンダメンタルズによって動いていると思っているからだ。預金中心の日本人の資金運用は変化しているし、世界中からインバウンド(訪日外国人)が日本に集まってきているように、日本に世界の資本が集まってきている。

当局の底入れ策もあって、中国の株価(上海や深圳、それにハンセン指数)がやや持ち直し気味だ。しかし李強に全人代後の恒例の首相記者会見をさせないほどの「習近平一強体制」の中国では、経済だけ民主化されて資本や起業家が自由に、創造的な動きを始める可能性は小さい。

間近に迫った日銀の金融政策変更は、それほどマーケットに影響を与えないだろう。既に銀行株の値上がりなどに示される通り「織り込み済み」の状況だ。マイナス金利政策解除があっても、その後の利上げは慎重で、小幅になると考えられる。

世界情勢は相変わらず不安定だろう。しかし重要な事は世界には80億人の人間が住み、その大部分は生き続け、何かモノ、サービスを必要とし、それらの需要を満たせる企業への正当な評価は今後も続くということだ。

マーケットは寄せては引く波だ。大きな引き潮もありうる。それに耐えうる余裕を持った投資姿勢こそ大切だ。そして重要なのは、マーケット全体の動きよりも自分が気に入った企業やその株を見続けることだ。最近は全体の流れに平気で逆行高する銘柄が多い。マーケットはいつでも、個別銘柄的にも可能性に満ちていると思う。

ご注意:本コラムは、上記掲載日から2週間程度前に伊藤洋一氏が執筆されたものです。
閲覧される時期によっては、現状に即さないことも予想されます。また、内容には仮定に基づいた記述も含まれます。ご了承ください。