金融そもそも講座

米IT不況の別の側面

第326回 メインビジュアル

米国経済をけん引してきたIT産業。ナスダックの株価を長く支えてきたが、新型コロナウイルス禍が経済に及ぼす影響が一巡した辺りから、一転して業績低迷が続いている。コロナ禍の最中は絶好調だっただけに、その後の苦境が一段と目立つ。

関連する日本での報道も大きかった。過去10年にわたって多くの米IT企業の評価は産業的にも、マーケット的にも高かった。日本ではそれを羨望する空気さえあった。それだけに「業界の転換点か」「米IT産業は落ち目か」という見方もされる。

とにかく発表されるレイオフの規模が大きい。各社が数千人から万の単位での発表となっている。アルファベット(グーグル)やアマゾン、それにマイクロソフトなど超有名企業からの公表だから、驚いた方も多いと思う。その総数は米業界全体で15万人とも言われる。

しかし一方で、マクロ経済的に見ると米国の失業率は今年1月が3.4%で、これは前月を0.1%下回った。つまり改善している。予想の3.6%を0.2%も下回ったのだ。非農業部門の就業者数は同月に51万7000人も増えた。予想を大きく上回った。つまりここからは「米国経済全体の雇用環境は強い」と言える。

今回はなぜこうした“いびつ”(一見してIT苦境、全体好調を指す)な形になっているのかについて、一つの視点を提供したい。その検証の中で、米国経済が本質的に持つ強さも見ることが可能で、それにも触れられたらと思う。それは今後、同国経済をどう見ていくかの問題でもある。

苦境は明らか

米国の大手IT企業の苦境を具体的な数字で見る。2月28日の日本経済新聞に掲載された「世界企業の純利益増減額(10〜12月、前年同期比)」という記事によると、我々が名前を知っている有名どころのIT企業が「世界企業の最終損益減少ベストテン」にずらっと並ぶ。

アマゾン・ドット・コムが140億ドル減で5位になっているし、8位にはアルファベット(グーグル、70億ドル減)、メタ(フェイスブック、56億ドル減)が10位だ。関連銘柄ではAT&Tが285億ドル減で断トツに1位で、9位にソフトバンクグループ(57億ドル減)が入っている。対して最終損益増が好調なのは電力・石油(3社)、ガスなどエネルギー系が多い。

背景はコロナを巡る環境の変化やロシアのウクライナ侵攻に伴う世界的エネルギー価格の高騰。コロナ禍で「巣ごもり需要」が増えたことから世界をけん引する米国のIT企業は売り上げを大幅に伸ばし、人も大量雇用して業容を拡大させた(それによって一部では過雇用の状態も生まれたと言われる)。その反動が足元で出てきている。対して古い産業の代表格の石油・エネルギー系は、世界情勢の大きな転換の恩恵を受けて売り上げを伸ばした。

日本では米IT企業の相次ぐレイオフは驚きを持って迎えられた。羨望の的だったからそうなる。既に名前を挙げたような企業からツイッターやIBM、スポティファイまで、米業界でのレイオフには枚挙にいとまがない。収益面から見ても、業容面から見てもこれまで有名で好調だった米IT企業が曲がり角に差し掛かっているように見える。

業界全体の雇用環境は良い?

IT苦境が伝えられる中、ではなぜ米国経済全体は依然として雇用環境が良い状態を続けているのか。ナスダック総合株価指数も最近はむしろ安定しているように見える。ダウ工業株30種平均やS&P500種株価指数はそれに先行して底打ち気味だ。それは何故か。

第一に言えるのは、目立つ故に我々は米IT業界を「巨大企業群」と考えがちだ。しかし新興の分だけ総雇用者はもともとそれほど大きくなかった。大枠で見て500万人程度とも言われる。これは米国の総雇用者数から見れば2%程度だ。もともと小さいパイだったから、そこから多少人が出ても米国経済全体には響かないとも言える。

また米国ではIT業界以外で非常に雇用マインドが強い状態が続いている。むしろ人手不足なのだ。それは飲食業、ホテル業界、高級産業など実に様々な業種でいえる。コロナに対する警戒感が緩み、かつての日々の生活を取り戻す過程で人手不足が顕在化した業種の数は多い。

もっと重要な点がある。それは大手のレイオフが目立つからそれがニュースになるが、実は「米テクノロジー業界全体の雇用・再就職状況はそれほど悪くない」という点だ。後述する。つまり大手から解雇されても、米国の場合は「雇用の受け皿」が豊富にあるということだ。

筆者は先日シリコンバレーから一時帰国している友人に、その辺の事情を彼の肌感覚としてどうかと聞いてみた。そしたら「大手を解雇される。その時点ではショックですが、実は彼らが持っている知識や技術を欲しい新しい企業は結構あるんですよね。思い直してちょうどいいタイミングで転職できると思っている人もいるのでは」と言っていた。

より新しい企業に

実際に多くの解雇が相次いで発表される中でも、テクノロジー業界全体の雇用者数は25カ月以上連続して増えている。また次のような報告もある。

  • 1. レイオフされた労働者の失業期間の現在の中央値は8.4週間で、これはコロナ禍以前の9.7週間を下回っている
  • 2. レイオフされた労働者の7割弱が3カ月以内に新たな仕事を見付けたし、その内半数以上が前職よりも良い報酬を得ている

筆者が思いだすのは、日本の家電業界が不況で大規模なレイオフを行った当時のことだ。筆者はその当時毎週テレビの仕事があって大阪に行っていた。その時聞いたのは、「ソウルでの週末アルバイト」や、「中国、台湾、韓国企業への再就職」だった。つまり日本は大手を辞めた人の受け皿がなかった。だから他の国の企業からの誘いに乗らざるを得なかった。それは日本では彼らを必要とする新しい企業が起きていなかったからだ。

しかし今の米国は違う。先行して大企業になった企業から人が吐き出されても、それらの人の技能・知識を欲しがる企業が次々に生まれている。従来の「ググる」から一歩前進した新しいAI技術利用の検索方法が話題になっている。AI関連技術者は引っ張りだこだ。既存IT技術の組み合わせ、さらには次世代IT技術を開発しようという起業環境は米国では実に旺盛だ。こういう企業が盛んにリクルートをしている。辞めさせられた人は比較的容易に吸収される。

実はレイオフをしている企業そのものが、伸びる新しい領域では活発なリクルートをしているという現実も伝えられている。日本の人員整理はある部門の縮小・切り捨てが背景だったので、「一方で雇用増加」という動きにはならなかった。筆者はこの日米の置かれた「環境の違い」は大きいと思う。

雇用の流動化が進み、一生のうちに何度も職場を変えることが当たり前の米国。その制度・習慣が今の新しい技術台頭の時代によくマッチしているのだ。その代わり従業員は常なる自己研鑽(けんさん)が求められる。対する日本はよほどのことがない限り解雇はない。しかし企業は柔軟に業容や人員を変えにくい。どちらが良い悪いという問題ではない。環境に合っているかどうかの問題だ。

筆者は「今は米国のシステムの方が有利」だと思っていて、それは投資判断にも影響してくる問題だと判断している。

ご注意:本コラムは、上記掲載日から2週間程度前に伊藤洋一氏が執筆されたものです。
閲覧される時期によっては、現状に即さないことも予想されます。また、内容には仮定に基づいた記述も含まれます。ご了承ください。