金融そもそも講座

新総裁、マーケット的視座

第325回 メインビジュアル

今回は、「次期日銀総裁に何を期待するか」をそもそも的に書いてみたい。やはり日銀の推し進める政策が株、債券、為替などマーケット全体に及ぼす影響は大きいからだ。国の経済政策を駆動する二輪(財政と金融)の片側なので、とっても重要。その金融政策をつかさどる新総裁とそのチームに、マーケットは何を一番期待したら良いのだろうか。

人事は既に具体的に動いている。政府は2月中旬に、4月8日に任期を迎える黒田東彦総裁の後任に元日銀審議委員の植田和男氏を起用する人事案を国会に提出した。植田さんに関しては、総裁候補の下馬評に挙がっていなかった事から「意外」との意見もあった。しかし筆者は最初から「良い案」だと考えた。

日銀と財務省(大蔵省)の出身者が交互に総裁を担当するという古めかしい伝統を断ち切って、世界的には普通の「学者の起用」案だったからだ。以前から「はっきりものを言う人」というのが筆者の印象。その後植田さんという人物が知られるにつれて、メディアを含めて評価は高まっていると思う。

政府はそれに先だって3月19日に任期満了となる副総裁2人の後任に前金融庁長官の氷見野良三氏と日銀理事の内田真一氏を充てた。年齢構成も良いと思う。それぞれの担当分野で評価が高かった方だ。ただし、今回女性が一角に入らなかったのは残念だ。

問題は、恐らく国会で承認を得られる新チームがどのような政策を推し進め、一方(金融)からのかじ取りを、もう一方の政府(財政)の政策・方針と相まって日本経済を活力あるものにできるかだ。黒田緩和からの離脱方法に関心が向き過ぎているが、それはプロセスにすぎない。問題は日本の経済をいかに競争力のある、国民が参加への意欲を持つ力強く安定したものにできるかだ。

マーケット的視点

「日銀の新チームは、黒田さんが推し進めたアベノミクスベースの超金融緩和を続けるのか、修正するとしたら何時、どのような形で」というのが今のマーケットの関心事だ。とっても重要な事だ。しかし筆者はその前に、そもそも黒田さんが推し進めた超緩和は、マーケット的に見てメリット、デメリットは何だったかの振り返りの視点が必要だと思う。

最大のメリットは恐らく日本経済のデフレ(物価・経済活動の収縮)への悪しきスパイラルを、実体的にも心理的にも押しとどめたことだと思う。大量のマネーを放出し、株高と円安をもたらし、そのプロセスで日本のデフレ圧力をかなりの程度緩和した。当初においては黒田緩和の効果はあったと思う。マーケットが株高・円安という期待された方向に動いたのは理由なしとしない。

しかしそれが長引くにつれて、「それは本質的に日本経済を救うものだろうか」との疑念が強まっていったと思う。危機対応ではあったが、日本経済が抱える問題の本質を変えるものではなかった。狙った「2%の物価上昇目標」はずっと果たせぬ夢だったし、目標を達成できない金融政策の継続が日本経済に活力を生むこともなかった。むしろ「政策の停滞感」が強まり、そんな政策しか続けられないことへの閉息感が強まっていったと思う。今もそうだ。故に日本のマーケットは海外市場のようには上抜けできなかった。

恐らく最大のデメリットは、量的超緩和と超低金利故に、本来なら時代や消費者のニーズの変化について行けず、よって退出すべきゾンビ企業が生き残り、日本経済の新陳代謝が結果的に阻まれた事だと思っている。それに新型コロナウイルス禍による国や民間からのかなり条件の緩い資金提供や財政支援が加わって、弱い企業が生き残り、マーケットが評価できる新しい企業が生まれる余地が狭まってしまった。

むろん国民経済的に必要不可欠・将来のある企業が消えてしまうのは良くない。しかし退出やむなしの企業も一緒に残ってしまった。それが人材の流動化を阻害したし、資金の行く先を狭めた。この間、日本では企業の存続を左右すべきマーケット機能が著しく低下してしまった。

規律付与が最重要

先を読むと、恐らく植田日銀の最大の課題は日本の金融政策に規律をもたらすことができるかどうかだと思う。ゾンビ企業の生き残りを金融政策面でも許さないということだ。それに必要なのは第一に、今の日本のインフレ率に相応した市場金利が是認される環境を整えることだと思う。可及的速やかに「イールドカーブコントロール」(YCC)の修正を行うか、それを政策として継続しないことが必要だ。

植田総裁は、「今の日銀の政策は適切」と言っている。しかし緩和は是認するにしても、「超緩和」に関する新総裁の考え方は違うだろうし、長期金利(今は10年債)をコントロールのターゲットにしていることにも一家言あるだろう。そもそもYCCの長期継続を経済理論的に支持しない可能性もある。それはどうみてもマーケットをゆがめているからだ。

筆者は最近、あるべき日本経済の姿を考える1つのヒントだと思うことがある。それはコロナを巡る経済環境の変化(非接触経済の隆盛から伝統的接触経済への戻り)の中で世界経済のけん引役となっていた米国のIT産業が大きな調整(人員整理など)を迫られても、米国の労働市場が極めて強いことだ。

米国の巨大IT企業で相次ぐ大規模レイオフ。日本では「米国のIT企業も落ち目か」といった報道が多い。しかし筆者が注目しているのは名前の知れた大手IT企業がレイオフをしても、その対象者がなんなく米国国内で次の時代を担うより新しい企業に職を見付け、そこでこそ新たな活動を始めていると言うことだ。

であるが故に、米国巨大IT産業で20万人近いレイオフが発表されても、今年2月の同国の非農業部門の雇用者数は前月から67万8,000人も増え、市場予想(44万人増)を大きく上回った。この結果、失業率は3.8%と前月(4.0%)から0.2ポイント低下した。「大手のレイオフ」で労働市場に出た働き手が、円滑に米国経済に飲み込まれている事実が浮かび上がる。

日本でも大手企業(家電など)の解雇が盛んに報じられた時期があった。日本では新興・新進企業の数が少ないが故に、彼らを国内で吸収できなかった。それら労働者の一部が韓国、台湾、それに中国に流れ、それら国・地域のハイテク企業が著しく伸びる一つの大きな要因になった。つまり国内に次世代を担う企業・産業があるかどうかというのは非常に大切なのだ。米国と日本の大きな差はそこにある。

活力ある日本経済

もちろん、その背景は「金融面から見た規律」の有無だけではない。日本企業の雇用慣行や縦型社会で、テクノロジーの進歩にあった横串を通す新しい企業がなかなか生まれない現実もある。資金の配分に関しても、銀行はたいして利子をあまり払う意思のない大企業を相手に商売しようとしている。残念だ。

しかし経済や金融での規律回復は非常に重要なポイントだ。黒田さんの時代には当初「危機対応」が優先された。デフレ防止、経済活動の水準維持、雇用の減少を防ぐという観点が重きをなしていた。しかし今のように人工知能(AI)、グリーンを含めて新しい技術がどしどし出てくる時代には、新しい働き手をふんだんに吸収できるような新たな企業が起きてくる必要がある。今の日本経済にはそれがない。それができての日本の活力復活だ。

恐らく日銀を今後導く新総裁とそのチームの評価は今後時間をかけて形成されるだろう。しかし筆者は「日本経済に規律をもたらすことができたかどうか」での評価が大きなポイントになると思っている。むろんその為には財政政策を握る政府との連携も必要である。「アコードが必要かどうか」という議論は別にして、日本の経済政策の両輪がうまくかみ合わない限り、日本経済がうまく回転しないことは明らかだから。

「異次元の子供政策」「防衛費の大幅増額」など、岸田政権もいろいろな政策を打ち出し始めた。しかし重要なのは、前提が「活力ある日本経済」だということだ。それらは打ち出す政策の好循環は不可能だ。計画倒れに終わってしまう。日本経済が立て直しを図る上でも、植田日銀総裁には、規律ある金融、規律ある経済政策の旗を振ってほしい。それが最後は日本経済を強くする。

恐らくマーケットは当初は黒田緩和からの脱却の試み(金利上昇など)に動揺する。しかし日本経済、企業が強くなれば、いずれその方をマーケットは高く評価するだろう。

ご注意:本コラムは、上記掲載日から2週間程度前に伊藤洋一氏が執筆されたものです。
閲覧される時期によっては、現状に即さないことも予想されます。また、内容には仮定に基づいた記述も含まれます。ご了承ください。