金融そもそも講座

マーケットは心理戦

第313回 メインビジュアル

世界的に株価が“強い”状態を続けている。ここ1カ月近くそうで、ニューヨーク、東京、それに欧州主要市場の株価を同期間のチャートで見比べると、ほぼ例外なく右肩上がりだ。マーケットの一部では「買われ過ぎ」(over-bought)との見方も出ていて、さすがに反落局面も見え始めているので、読者の方々がこの原稿を読む頃には、ちょっと違った局面になっているかもしれない。

それ以前の、特にインフレに対する強い警戒心が何かと出て、マーケットが下値を試す時期があったことを考えれば、様変わりの様相さえある。もちろんマーケットにも市場自身の先行きや景気動向に関して懸念が消えたわけではない。しかし実際には株価は上値を追い続けてきた。

株式市場が一筋縄でいかないのは、それが心理ゲームだということだ。それはマーケット自身のレベルに対する投資家の心理(レベル感など)の集積や、材料の賞味期限、それに世界の投資家が直面している運用ニーズなどいろいろなものの「ないまぜ」であり、しばしば非常に把握が難しいものだ。マーケットは難しい、といつも思う。

今回は最近のマーケットの動きの中での「市場心理」について触れてみたい。

落ち着いたVIX指数

マーケット全体の心理状態を一番端的に示すのはVIX指数だ。筆者の原稿でもこの指数の事はしばしば取り上げている。投資家の皆さんには、是非この指数を「監視対象」の一つに加えてほしい。メディアでは同指数が急上昇して、例えば30を大きく超えたときなどに取り上げられる。普段は、動きが静かだとあまり注目されない。

しかし筆者はマーケットを見るときにこの指数も必ず見るようにしている。スマホのマーケット情報(iPhoneだと“株価”などのアプリ)にこれを各地市場指数や銘柄と共に組み込んで、自然と目に入るようにしておくと良い。

そのVIX指数が今どうなっているかというと、春5,6月に大きく30を上回って40にも接近した時期と比べると、過去1カ月はずっと右肩下がり。最近では20を下回る時も多い。端的に言えばこの指数は株価とは逆相関の関係にある。この、しばしば恐怖指数と呼ばれるVIX指数が下がる時には株価は安定し、上昇基調をたどる。逆に上がる時は市場は不安定になり、大きな下げ局面もある。

このマーケットの心理状態を指数化したVIX指数は、売りや買いのタイミングを計る上で非常に重要なのだ。

インフレ懸念の後退

現時点でVIX指数を押し下げ、株価を押し上げている一番の背景は世界的なインフレに対する見方の変化だ。2、3カ月前を振り返ると、

「世界のインフレは手を付けられない状態」
「なので世界の中央銀行の引き締めは続き、これが短期政策金利を押し上げて株価に不利に働く」

などの心理が大きかった。故にVIX指数も高かったし、株価は安定性を欠いていた。

しかし今や株価上昇の中で、投資家のインフレに対する警戒感は一時よりはかなり下がってきている。発表される各国のインフレ統計は依然として高いのだが、「もうそろそろピークかもしれない」という見方が台頭しているのだ。それはインフレへの懸念を投資家が高めた時期からの時間的経過もあるし、「こんな高インフレが続いて各国中銀が引き締め政策を続けたら、世界景気は鈍化を余儀なくされる」との声が出てきたことに対応する。

世界的インフレの最大の要因になっていた石油価格を見ると、筆者がこの原稿を書いている時点で原油価格の国際指標であるWTI(ウエスト・テキサス・インターミディエート)先物はバレル86.45ドルでインフレ懸念が強かった時点のバレル100ドル超えの水準から大きく下落している。世界経済が減速すれば、原油需要も減少するとの見方が強まっているのだ。

ちなみに筆者はマーケット全体を鳥瞰(ちょうかん)するときには、iPhoneの株価アプリよりはCNBCのアプリを利用している。このサイトには株価指数ばかりでなく、為替、各国長期金利、石油など各種商品相場などが分野別にそろっていて、各数字は簡単にチャート化することが可能で、非常に役立つ。マーケットを鳥瞰できるアプリは他にもあるのだろうが、今の筆者のお気に入りはCNBCだ。

世界的なインフレへの懸念が強かった背景は、①石油や天然ガスなどの燃料価格の高騰 ②新型コロナウイルス禍で抑えられていた需要が心理的にも解き放たれて高まったこと——だが、この両方とも一時ほどではなくなっている。ということは、インフレに対する警戒感は世界的にも低下して当然な時期になっているし、実際にそれが世界の株価を押し上げていると言える。

永遠なる心理戦

ここで重要なのは「買い手の心理」だ。株式などへの投資を生業としている人々は多い。投資ファンドなど機関投資家の運用担当者の存在は大きいし、個人でも大きな資金を動かしている人々は多い。機関投資家の運用担当者は常に「運用利回り競争」の中に居る。彼らにとって一番重要なのは、「いつ市場に入って、どのくらい持ち、そしていつ利益を確定するか」だ。つまりタイミングが勝負。

むろん彼らには他にも重要な仕事がいっぱいある。指数連動の商品を扱っている投資家はそれほどではないが、多くの機関投資家にとって重要なのは銘柄選びだ。しかし銘柄選びはうまくいったとしても、「いつどのくらい当該銘柄を買い、どのくらい持ち、そしていつ利益確定するか」が一番重要だ。既に持っている銘柄、他の投資家から借りてくる銘柄に関しては「売り(カラ売りを含め)と買い戻し」のタイミングが重要だ。

8月中旬までの株価の上昇に関しては、米国では「一種のパニック買い」との見方もある。どういうことかというと、インフレ懸念が高いとき運用担当者はキャッシュ比率を全体的に高める。市場再参入の時期を探しているのだ。

そして他の投資家よりもタイミングよく上げ相場にコミットすれば、運用利回りは上がり。それは担当者にとって何よりの達成感だ。その運用担当者(それはグループかもしれないが)の評価は高まる。

8月中旬まで1カ月の株価の世界的上昇は、外部的には「インフレ懸念のピーク越え」が要因として大きい。しかし実は「(他の投資家に比べた場合の)買い負け」を懸念した投資家の、市場への再参入競争の結果ではないかというのが「買いパニック」説だ。パニックと言う言葉は強いが、「競争的買い」をうまく表現しているといえる。

では買いパニックが一巡したあとの今後のマーケットはどうか。それが今後の問題だが、一つ確かなのは「マーケットは永遠なる心理戦の場」だということであり、故にマーケットは楽しい。

ご注意:本コラムは、上記掲載日から2週間程度前に伊藤洋一氏が執筆されたものです。
閲覧される時期によっては、現状に即さないことも予想されます。また、内容には仮定に基づいた記述も含まれます。ご了承ください。