金融そもそも講座

高まる“リセッション”リスク

第309回 メインビジュアル

マーケットがあまり好まない事態が、米国で生ずる可能性がやや高まってきた。「リセッション」だ。「2四半期連続のマイナス成長」と定義されるこの単語は、先行きの景気悪化予測の中ではこれまでも語られてはきたが、ここに来て同国の金融当局者の口からも「確かに一つの可能性だ(certainly a possibility)」という認識が示され始めた。

この言葉を使ったのはパウエルFRB(米連邦準備制度理事会)議長で、舞台は6月下旬の議会証言(ハンフリー・ホーキンス証言として知られる)。これまで米財政・金融当局はリセッションを「回避できる」という姿勢を貫いてきた。しかしそのスタンスをここに来て変えたようだ。

実際に起きたとして、リセッションがマーケットに及ぼす影響は一様ではない。当初においては、どちらかというとマーケット全般では下げ圧力となる。市場がこの単語を嫌がる理由だ。経済の生産力が低下し、雇用に打撃となり、インフレ率が高い間はスタグフレーションと呼ばれる事態となるからだ。

しかしリセッションがインフレ率を押し下げ、それがFRBの利下げにまでつながる見通しが立つと、それはマーケットには景気回復への期待となって、むしろ相場レベルを押し上げる材料ともなる。今回はパウエル議長が米景気の先行きに関わる表現を変えた背景や、今後の見通しについて触れたい。

certainly a possibility

当局者の発言は、それがたとえ微妙な方向転換であってもマーケットに与える影響は大きい。パウエル発言が飛び出したのは、連休明け22日のニューヨーク市場。株価が安寄りから反発して上げの局面で出た。議会証言の初日。

議員から先のFOMCで0.75%という通常の3倍の利上げをしたことに関連して、「あまりにも足早・大幅に利上げをして米国経済がリセッションに陥る可能性はないのか」と問われた。対してパウエル議長は、「It’s not our intended outcome at all, but it’s certainly a possibility」(それは我々が意図する結果では全くない。しかし明らかに一つの可能性だ)と答えた。

この発言以前の米当局者のこれまでの発言は「ソフトランディングは可能だ」(同議長)、「リセッションは回避可能だ」(イエレン財務長官)というものだったので、スタンスが変わったと言える。6月中旬の直近FOMCで、利上げ幅を予定していた0.5%から0.75%に引き上げざるを得なかった後だ。FOMCの直前に発表されたのが5月の米消費者物価の8.6%上昇。

この米インフレの大幅上昇は3月の8.5%アップを上回った。4月がやや下がって「米国におけるインフレのピークは過ぎたのでは」という見方が出ていた中でのもの。また1981年12月の8.9%に次ぐ40年5カ月ぶりの高い伸びとなった。マーケットでは「FRBは利上げペースを加速する」との見方が強まった。

それを受けてのFOMC(連邦公開市場委員会)による0.75%の利上げ。パウエル議長は7月のFOMCに関しても「今のところ0.5%か0.75%引き上げになる可能性が高い」と述べており、自らのハイピッチでの利上げによって「(米経済が)リセッションに陥る可能性」を認めざるを得なくなった形だ。

インフレ抑制を優先

パウエル議長はその他にも、興味深い証言をしている。ウォール・ストリート・ジャーナルから借りると、次のようなものだ。

「“We are not trying to provoke and do not think we will need to provoke a recession,but we do think it’s absolutely essential” to bring down inflation, which is running at a 40-year high.」(リセッションを惹起(じゃっき)しようとしたりしないし、インフレ抑制でリセッションを起こすことが必要だとも思っていない。しかし40年来の高い水準になっているインフレを押し下げることが絶対的に必要であると考えている)

つまりリセッションが起きる危険性を承知した上で、今のインフレ抑制の為の引き締め政策を続ける、と言っている。

当然ながら議長証言に立ち会った議員からは質問が飛んだ。民主党の大統領選挙にも出馬したエリザベス・ウォーレン上院議員(マサチューセッツ州)は、「高率インフレと低失業率より悪い事態をご存じ? それは高率インフレと何百万人もの人が職を失うリセッションの組み合わせであり、私は議長が米国経済を崖から突き落とす前に(今のハイピッチでの利上げを)再考することを希望する」と述べた。

彼女が言うところの「高率インフレと高い失業を生むリセッション」発生の可能性は確かにある。今の世界的なインフレは「ロシアのウクライナ侵攻や中国のゼロコロナ政策」によるロジスティックを含めた供給サイド要因が大きい。加えて新型コロナウイルス感染症のパンデミック(世界的大流行)明けに伴う需要増加が背景であり、「前者に対して金融政策は有効性を持たない」との意見は以前からあったからだ。ウォーレン議員は「引き締めペースの緩和」を求めたのだ。

しかしパウエル議長はこの指摘に対して、「我々がコントロールできない要因がインフレを押し上げている面はある」「単なるリセッション突入より悪しきシナリオがあることは承知している」としながらも、「別のリスクがあり、それは物価の安定を回復できずに、高率インフレが米経済に深く長く根を張ってしまうことだ。そうしてはならない。我々はこの使命では失敗ができない(We can’t fail on that task)」と述べた。

つまり短期にインフレを米国経済から追い出すことを狙いに金融政策を運営すると述べているのだ。上昇していた米国の株が、この発言で一時下げに転じてその日の取引を終えたのは納得できる。

続く世界的利上げ

しかしマーケットがパウエル証言をさすがに嫌気したものの、パニック感を持ってまで受け止めなかったのは、FRBのインフレ抑制への決意をこれまでも認識していたからだろう。当面はハイピッチでの利上げが続くが、それが奏功した暁には早期の引き締めペースのダウンや中断、さらには緩和方向への転換が見えてくる。マーケットは常に先を見るし、物事には常に両面ある。どちらを材料と見なすかはマーケットのその時、その時の状況で変わる。

高金利下でのリセッションはマーケットに対して優しくない。しかし日本でも米国でも、「リセッションでも人々が絶対に必要なサービスを提供している会社」というのは存在する。世界のどのマーケットでも物色対象の入れ替えが進んでいるのは当然のことだ。マーケットを取り巻く環境は大きく変化しつつある。

米国が特にそうなのだが、日本を含めて世界各国の中央銀行が直面するタスクは難しく、緊張感あふれるものになっている。基本的には今は供給サイド主導のインフレ。なのに主に需要管理手段しか持たない中銀に課された任務は重大だ。

どの国でも政治は「インフレ抑制で動かせるところ」を探し、それが今は中央銀行になっている。政治家がそれを求める。われわれ投資家は、政治家や世論が求める「物価対策」が合理的なものであるかどうかを常にチェックする必要がある。中銀や各国政府ではコントロールしきれない要因が今は多い。無理を通せば、経済やマーケットがゆがむ。

当面は、各国の政策の行方を感知しながら、また経済の行く先を見つめながら取り得る判断・行動で決断を下すことが必要だと思う。

ご注意:本コラムは、上記掲載日から2週間程度前に伊藤洋一氏が執筆されたものです。
閲覧される時期によっては、現状に即さないことも予想されます。また、内容には仮定に基づいた記述も含まれます。ご了承ください。