金融そもそも講座

振り返りと展望

第273回

2020年最後の原稿になったので、「そもそも」的に一年を振り返ると同時に、2021年を少し展望してみようと思う。2019年の年末もある程度の今年への展望を持っていたが、シナリオは大きな書き換えを余儀なくされた。来年もそうかもしれない。

しかしマーケットには「継続」も数多くある。その一つは、恐らく来年も世界的な金融緩和基調は続くだろうという点。これは大きなマーケット要因だ。今年最後の米連邦公開市場委員会(FOMC)も「経済がさらに大幅に改善するまで(until substantial further progress has been made)債券購入を続ける」との方針を表明した。コロナ禍は人類社会の有り様を一時的にも大きく変えたので、戦後経済をけん引してきた多くの接触型企業を苦境にさらした。しかし一方で数多くの新時代適合型・未来形成型の企業群も生み出した。

上昇したマーケットに対する見方は様々だ。筆者が一番気になったのは「株式だけが上がって」というある種、非難の言葉だ。しかしこれは現状認識としても間違っていると思う。この点については年内に頭を整理しておいた方がよいと思う。

2021年がマーケット的にどうなるのか。常にそうだが「期待と不安」の年明けが近い。

4社に1社最高益

最近ずっと気になっていたので、「株式だけが上がって」とかなり多くの人が語ることについて、筆者の考え方を書いておきたい。先日はNHKの解説委員が意図はちょっと不明だが、「経済はダメなのに、株だけが上がった状況」という趣旨を発言していた。筆者はこれを聞きながら、「一般視聴者受けはするかもしれないが、認識として間違っている」と思った。

日本経済新聞電子版は「世界の企業、4社に1社最高益 7~9月デジタル好調」(11月15日付)という記事を報じた。有料会員限定記事なので会員以外の方は見ておられないかもしれない。しかし筆者は非常に重要な記事だと思った。「新型コロナウイルス下で、社会環境の変化をとらえ収益を伸ばす企業が世界で相次いでいる。2020年7~9月期は4社に1社にあたる約3580社が同四半期として最高益となった」という書き出しで始まる。

重要なのは「4社に1社最高益(7~9月)」という客観的事実だ。4社に1社とはなかなかすごい。平常時でもあまりないことだ。なので、そもそも「株だけが上がった」のではないことが分かる。ちゃんと実体がある。ではなぜ「株だけが」という認識が生まれるのか。たぶんそれは、なじみの多くの接触型の企業が苦境にあるためだ。ニュースは「あれだけの隆盛を誇った企業も苦境……」という視点で報道対象を選びがち。なぜなら視聴者になじみのある、かつて権威を確立した企業だからだ。航空、観光、小売各社などに多い。

しかし重要なのは、経済はいつでもそうであるように、新しい技術の登場や環境変化(今回はコロナ禍)で常に変化・活性化しているということだ。止まることがない。富士フイルムは生き残ったがコダックは残れなかったように、企業の適切な判断もそこには大きく影響する。

コロナ禍は、経済の変化・活性化を加速しただけだ。なじみの企業の隆盛を懐かしむのは自由だ。しかし環境に適合した新たに台頭した企業群の株価が上昇したり、それら企業群が生み出す雇用や収益を忘れたり蔑むことは許されないと思う。

×「株だけが」

「株だけが」という認識のもう一つの要因は、株価の上昇はそれを直接的・間接的に保有する人のみを利しているという考え方にあると思う。筆者はその考え方も間違っていると考える。そもそも経済のどこかの部門が強いことは、他の弱い部分を支える。強い部分が一つもない経済は、雇用も所得も生む力を著しく落とすし、国家の財政事情も大きく悪化させる。

なので筆者はいつも、世の中で大事件があって「自粛しよう」という動きになると、「短期間ならまだしも、長期に及ぶと経済への打撃が大きい」と考える。自粛する気持ちは大事だが、経済全体が弱くなったら弱い人を救えなくなる。もし日本で大地震がどこかで起きたら、筆者は自粛するのではなく、自分の消費を活発にしようと思う。そうすることが最終的には被災地を救い、国・経済を強くすると思うからだ。「コロナ禍で世の中大変なんだから、株価も自粛すべき」などという考え方ははなから間違っている。

世界的に「格差」は大きな問題だし、世界各国は真剣にこの問題に取り組むべきだ。しかし「格差を助長するから、株価も自粛すべし」という考え方(感覚?)はあり得ない。株価の上下は基本的には企業価値の変化に対する認識の顕現化であって、株価が上昇する企業は通常業績も良い。雇用と所得を生んでいるし、それが経済全体をけん引する力となっている。行き過ぎたら株価は自分で調整する。

最近筆者は、グリーンエコノミーを象徴するような企業が株式市場で増えてほしいと思う。エコカーを作る自動車会社もその部類に入りうる。マーケットは世の中の美意識や価値観をも反映する。マーケットが生き生きとして常に動きを示すのは、当該マーケットがカバーしている経済・企業の活力や好不調を示すもので、むしろ「良き指標」と考えるべきだ。

デジタルという土俵

2021年はどうなるか。冒頭「マーケットには継続も数多くある」と書いて、今年最後のFOMC声明の文章を引用した。それは日本を含む世界各国の中央銀行でも同じだろう。一つ重要な視点としては、「国家財政の悪化」に対する警戒感がいつ表れるかだ。それは各国の債券利回り、特に米国のそれを見ておけばよい。

直近の米国の指標10年国債の利回りは0.9%台だ。今年の春以降、ほぼ一貫して1%を下回って推移している。これが急上昇したり、1.5%を上回ってきたりしたら要注意だろう。そもそも債券の利回り上昇は株式市場にとって競争相手の出現を意味する。またその一定水準以上への上昇は、世界各国の中銀が採用している「超緩和策」や、悪化する国家財政へのマーケットの警鐘となるものだ。世界各国の財政は悪化の一途で、世界的に国債発行が増えていることは念頭に置いておく必要がある。

世界的に政治は不安定な展開だろう。戦後民主主義の基盤をつくった中間層が薄くなっているのがその一つの要因。人々の考え方は極端に流れがちになっている。特に米国。新大統領がどのようにあの巨大な国をかじ取りするのかは、マーケットにとっても大きな関心事だ。その米国と台頭する新覇権国・中国との関係も世界経済に大きな影響を与える。少なくともマーケットは米中関係を材料と受け取るケースが多いだろう。

DX(デジタルトランスフォーメーション)という言葉に示されるデジタル化の流れは変わらない。デジタルは基本的には「壁崩しの技術」であって、「みずほ銀行、法人営業部を廃止 業種別から横断型に再編」(日本経済新聞電子版12月17日付)は当然予想された動きだ。それに関連するが、「異業種(参入など)」という言葉は急速に陳腐化するだろう。多くの企業は「デジタル」という一つの土俵で相撲を取ることになる。マーケットはそれを機敏に、先取りしながら展開するだろう。

ご注意:本コラムは、上記掲載日から2週間程度前に伊藤洋一氏が執筆されたものです。
閲覧される時期によっては、現状に即さないことも予想されます。また、内容には仮定に基づいた記述も含まれます。ご了承ください。