金融そもそも講座

米大統領選に見る政治とマーケット

第270回

2020米大統領選挙は、今後検討課題となるいくつかの大きな疑問を残して終わった。「なぜ今回もフロリダ州などの世論調査予測が、実際の票の出(結果)と大きく食い違ったのか」「民主党の候補に当然流れると見られたラテン系の人々の票が、なぜ予想より多く共和党候補のトランプ氏に流れたのか」など。これらは米国政治を今後見る上では、大きな懸案となるだろう。分析していきたい。

今回の「そもそも講座」は大統領選を視座に据えながら、「政治とマーケットの関係」を見たい。この2カ月米国は特にそうだが、世界各国の政治(と政策)が予想外の展開を示した。それに対するマーケット(株式市場)の反応もまた荒れ気味で、かつ複雑だった。世界各国の政治の流動化はコロナ禍で一層鮮烈になっている感もある。我々有権者全員を取り巻く社会的、経済的環境が大きく変化しているからだ。

変化の激しい時代。今後も「政治とマーケットの関係」は我々にとって大きなテーマとなり続けるはずだ。予想外の政治の動きにどう対応すべきか、ポジションをどのように保てば良いのか。どこで我慢し、どこで動くべきか。

長期的影響、肌感覚で“3%”

実は筆者は、その時その時の政治事象(今回の場合、米国大統領が誰になったか)がマーケットに「長期的に与える影響」はせいぜい3%と考えている。肌感覚だが、要するに小さいということだ。筆者は「(マーケットの反応が)それを上回ったら行き過ぎ」と考える。

なぜならマーケットを考える上で一番重要なのは、「人々の生活は続く」という大前提であって、その生活を支える企業(株価はその表象)には常に価値がある。世の中の動きが全く止まる(例えば地球爆発)としたら話は別だが、それはない。政治はそれを止められないし、「人々の生活」を支えざるを得ない。

今回のコロナ禍では「接触経済」(観光や劇場、飲食など会合関係)が大きな打撃を受けたし、関連株価の受けた衝撃は大きかった。しかし人間の活動そのものは続いたから、非接触経済(リモートでの仕事など)を担うIT(情報技術)関連銘柄には買いが入った。それは人間の活動の方向性が変わっただけで、「人々は生き続け、生活を続ける」という事実に変化がなかったからだ。

そもそも「政治」とは「人々が生き、そして生活し続ける上で誰を、そしてどのような思潮・システムを選ぶか」に関する選択だ。大きくは資本主義、社会主義、その各種ミックス、そして国の伝統に根ざした変形政治形態など制度が選択され、それを担う政治家が選ばれる。重要な事は、「人々の希望」を全く満たすことのない政治が国を統治し続けることはない、ということだ。

世界で権威主義的な国家は数多いが、実はそこの権力者の命運も最後に握っているのはそこで生き続ける人々である。人々の期待をあまりにも裏切り生活を困難にさらす政治家(体制)は少し時間がかかる場合もあるが、ひっくり返されてきた。つまり政治は最後のところは「人々の生活」を念頭に置かざるを得ない。

筆者は最近、「(私の努力が足りなくて)すまない」と涙を見せる北朝鮮の指導者・金正恩(キム・ジョンウン)委員長を見ながら、「少なくともそういうポーズを見せざるを得ないのが政治」だと改めて思った。

人々は生き続ける

人口の大半が消えるような政治というのはあり得ないし、政治家は最後のところで国民に配慮せざるを得ない。とすると「政治」と「マーケット」は実は同じ所に根ざしていると分かる。それは「人々の生活維持」だ。とすると、政治がマーケットの望まない方向に長く進み続けるということはないとも言える。

無論、短期的な乖離(かいり)はある。それはマーケットにショックを与えるが、その際には「レベルへの回帰」を強く予想する。政治的ショックは反対ポジションをつくる絶好のチャンスだ。私の目安は「一度のショックで5%以上乖離した時」がメドだ。

次に重要なポイントは、「マーケットを動かすのは政治ではなく資金の流れ」という点だ。人々が政治の動きを見て売り買いするのは、その政治(政治家の登場)によって政策や法制が変わり、それが資金の動きにどう影響するのかを“予測”するからだ。

中心に存在するのはあくまでも「資金はどう動くか」であって、政治的好き嫌いではない。多くの人は時に感情的になってこれを忘れる。「バイデン好き、トランプ嫌い」(その逆も可)はあるだろうが、あくまでも重要なのは二人がどのような資金の流れを生み出すかだ。マーケットは、最後はいつも冷静だ。

資金フローを引き起こさない政治的事件は、マーケットの関心を呼ぶこともない。例えば人気野党政治家のスキャンダルなど。“野党”なので、そもそも政策への関与度は低い。株は恐らく微動だにしない。「次期首相に有望」とかいうケース以外は。

つまり「政治(政治家)よりも、その政治(家)が打ち出す政策」が重要、ということだ。“重点政策”とは国家資金の注入部門を選択するということだから、企業の業績に直接的な影響がある。米国の場合、民主と共和では政策の重点が明らかに違う。マーケットで注目される銘柄群が、政権交代でがらっと変わる理由だ。

かつ国際的に重要なのは、「どこに資金を置いておけば安全か?」という問題だ。例えば個人資産を接収するような体制の発足前には、当然ながら資金は逃げる。国家体制が重要なのはこの点だ。企業の国有化優先の昔型の社会主義社会ではそもそも「株」という概念はないから、その国からは資金は逃げる。

政策で重要なのは「租税政策」だ。国家予算の大部分は「税」によって支えられ、それは主に個人と企業が国に支払う。当然ながら「納得の範囲を超えて税金が高い国」には個人も企業も籍を置きたくない。所得が減るからだ。その租税政策の変更は、しばしば国際的な資金の移動を引き起こす。欧州などでよく見られる現象だ。IT企業は出自などからして多くは米国企業でありながら、地域本社を海外のいくつかのタックスへイブン(租税回避地)に置いている。

一番重要な“流動性”の担保

最後になったが、今の世界的低インフレの時代には「政治的に見てどこに資金を置くことが一番キャピタルゲイン獲得の可能性があるのか」という視点が重要だ。低インフレの時代というのは、金利がらみの金融商品の魅力低下が常態化する。デフレ時代には超低金利の国債や、もっと極端な例ではキャッシュ(現金)でも実質的利回りがあるし、時に高いという見方もある。

しかし資金を運用している個人も、そして機関投資家も自分の運用している資金を目に見えるかたちで増やしたい。今までがそうだったし、投資の評価基準がそうだから当然だ。特に機関投資家は「増やす能力がある」という前提で個人や法人から資金を集めている。キャピタルゲインの確保が至上命題だ。しかしだからといって中国やロシアに資金を好んで置く投資家は少ない。政治、その基盤となる思潮が流動性を担保しないからだ。

投資でさらに重要なのは、そもそも機関投資家が資金を投じ、必要なら資金を引き揚げられる市場(tradable market)はどこにあるのかという視点だ。特に引き揚げの可否は重要だ。なぜなら自分が足抜けを始めたら相場も急落してしまったとしたら、投資対象の市場としては不適格だ。絵画や特殊不動産に機関投資家の大きな資金がなかなか入らないのには理由がある。

よくよく世界中の市場を見ると、「買えて、しかもいつでも売れる」市場は、実は案外少ない。代表的なのは各国国債を含む債券市場や主要国の株式市場だが、債券市場や株式市場でも銘柄ごとに取引規模が小さ過ぎる対象もある。筆者はいくら金利が高くても、中国やロシアの資産を買う気にはならない。

今回の米国の大統領選挙前後には当該週で大きな上げが見られた。「sell the rumor, buy the fact」的動きに見えるが、別の見方をすれば選挙の混乱を見越して株価をいったん売ってみたが、他に行き場もないので資金が戻ってきたとも読めた。

ご注意:本コラムは、上記掲載日から2週間程度前に伊藤洋一氏が執筆されたものです。
閲覧される時期によっては、現状に即さないことも予想されます。また、内容には仮定に基づいた記述も含まれます。ご了承ください。