金融そもそも講座

株価、落ちるとしたら

第268回

最近いろいろな人から「(世界の)株価が上がり続けているけど大丈夫なの」とか、「株価が大きく落ちるとしたら何がきっかけなの」とよく聞かれる。別に筆者が「神の目」を持っているわけではないし、そもそも過去の経験からして株価の大きく暴力的な下げは「突然に、そして予期しないことから生ずる」のが常だ。なので「予測しようとしても無駄」という言い方もできる。

しかし「なぜ今世界的な株高なのか」を考えれば、「その前提条件が崩れれば下げに転じる(短い期間でも)」と予想できるし、一方で株価が正当な生産・サービス活動に携わり人々の役に立っている企業の価値を表象しているとしたら、「(人類社会が続く限り)地獄まで落ちる株価もない」と考えられる。

世界的な上げ局面は歓迎だが、一般投資家として頭に置いておくべき重要な問題は、「下げたときどうする」「(下げてもいつかは反発に転じるが)それはいつ?」という点だ。今回はそれを少し考えてみたい。

株の魅力が低下する時

よく投げかけられる疑問には、「コロナでこんなに経済が打撃を受けているのに、なぜ株高?」というものがある。確かにコロナ禍で、最終的には当該株価の下げを誘発しておかしくない業績悪化に直面している企業は多い。そうした企業の株価は、既に何度も下げ局面に直面した。

しかしあえて言えば、「コロナ禍ゆえに、世界の株価は上がっている」とも言える。世界中の中央銀行はめいっぱいに金融緩和をし、世界中の政府が財政の悪化を顧みず財政資金を経済に投入している。コロナ禍ゆえに世界は「超超金融緩和・財政の大盤振る舞い状態」になっている。企業支援に回るにせよ、個人の生活を支えるにせよ、マネーは経済体を回っている。株式市場にも流れる。

常にあるのは「行き場」の問題だ。あまりの低金利故に、今の世界で投資家が「買いたい」と思う債券(国債中心)はほとんどない。米国の長期債(指標10年債)でさえ1%を大きく下回る。過去の投資実績からして、「それでは魅力がない」と思う投資家(機関・個人)は多い。「いつでも売買が可能(tradable)」が投資(主に機関投資家)の大前提だが、そんな投資対象が世界で数多いわけではない。限られている。

なので、今の世界的な株高の大きな要因の一つは、「株以外に魅力的な投資対象がないので、株式市場が世界的なマネー増大の受け皿になっている」であり、「(コロナ禍による社会・経済の大転換の中で)時流に乗れる企業群が存在する」ということだろう。それが米国IT株上昇の大きな要因だ。

とすると、「世界的な低金利状態の終了」「世界の中銀の超緩和策や政府の財政出動の打ち切り」が、株式市場を取り巻く大きな環境変化の要因になることが分かる。それはもしかしたら「コロナ禍が緩和したとき」かもしれない。それは念頭に置く必要がある。

政策変更は環境変化

では具体的にどの程度の金利上昇を懸念すべきか。それは一概には言えない。マーケットの株価バリュエーションが非常に高くなってしまったら、それほど大きな金利上昇でなくても資金の移転(株式市場→債券市場)が生ずるかもしれず、その場合には株価水準がかなり調整する可能性がある。逆に株価水準がそれほど高くない状況では、米国の長期債利回りで1%(原稿執筆時点は0.785%)をかなり上回っても、株価にほとんど影響しない可能性もある。ただし2%は一つの目安だ。

では今のデフレ、低政策金利の世界的状況で、そもそも「債券利回りの上昇(金利上昇)」はどの程度起きるのか。歴史を見ると、金利の上昇は原油価格の急上昇などのコストプッシュか、需要増大のデマンドプル、その両要因の同時発生によって生じている。現状ではともに可能性は小さい。

1970年代から世界のインフレを時に惹起(じゃっき)してきた原油価格の大幅上昇は、米国でのシェールオイル生産増加によって発生確率が大きく低下した。シェールオイル産業が世界のエネルギー価格のバランサーになっている現実がある。つまり原油価格が上がるとシェールオイル生産が増える。逆だと生産が減る。なので価格は安定する。

債券で心配なのは、世界中の政府がコロナ禍の中で国債発行を増やしていることで、コロナ禍の長期化は政府債務の増加を意味すると考えられる。国民生活がコロナ禍による打撃を受けることに目をつぶれる国は少ない。供給過剰は常に価格の下落を意味する。それは世界各国で債券利回りの上昇のきっかけになりかねない。今は中銀が支えている。なので、各国の中銀による政策の「引き締め」への方向転換には注意しなければいけない。

今の世界的な技術革新の進化、労働供給力の高さを考えれば、一般物価が1970年代のように持続的に上昇圧力を受けることはないように見える。

常に余裕を

しかしこうした「思考や予測の範囲」の事は、実はそれほどマーケットにとって大きな衝撃になることは少ない。先回りしていろいろできるからだ。本当にマーケットを大きく激しく揺さぶるのは、とてつもなく意外なこと、そして思考の範囲を超えたことだ。例えば今のナゴルノ・カラバフ紛争が、ロシアとトルコの戦争に発展したらどうだろう。心の準備ができていないからこそ、相場は大きく動揺し、そこから立ち直るのに時間がかかる。これは少しでも予想できるので、あまり良い例ではない。

外部要因でなくても、筆者は長くマーケットに携わってきた人間として、やはり「強気相場は悲観の中に生まれ、懐疑の中に育ち、楽観の中で成熟し、幸福感の中で消えていく」というウォール街の格言に注意を払う必要があると思っている。マーケット内部の要因だ。他にもマーケットには昔から「大衆は常に間違っている」「賢者は考えを変えるが、愚者は決して変えない」「固定概念に縛られる人は、チャンスを失う」など様々な格言がある。

それぞれの格言は局面局面で当たっている。しかし筆者がいつも一番心に置いているのは「相場の上手な人は、常にキャッシュポジションを多めに持っている」ということだ。何かあったときに考え、そして行動する余裕を心にも、そして資金にも持たせておくことが重要だ。時に孤独に耐えて行動し、しかし頭は柔軟に稼働させることが必要だ。相場にのめり込むと思考が硬直化する。それは良くない。

なので、筆者はしばしばこういう表現を使う。日経CNBCのテレビ番組(日経ヴェリタス)でも言ったが、「相場はヘラヘラと行うものだ」と。別にふざけて言っているわけではない。相場が大きく落ちても、落ち着いた余裕のある態度で「今のマーケット」を考え、そして余裕を持って、しかし時に「機敏に決断・行動」する必要がある。余裕を持って行動できる余地を常に持っておくということだ。常識を振り払いながら。

ご注意:本コラムは、上記掲載日から2週間程度前に伊藤洋一氏が執筆されたものです。
閲覧される時期によっては、現状に即さないことも予想されます。また、内容には仮定に基づいた記述も含まれます。ご了承ください。