金融そもそも講座

激変する世界経済の形

第256回

世界経済の形が、当面激変することが確実となった。「まるで世界中が戒厳令下のよう」(3月26日付けの日本経済新聞朝刊に掲載された「大手航空会社の幹部」の言葉)という今の世界の情勢を語っているのではない。その後も、今まで我々が慣れ親しんできた「開かれた国境」「人の往来の激しい都市」「自由な外出」といった常識は変えざるを得ない。その状況が当面は断続的に続く可能性がある。今回の新型コロナウイルスは、SARS(重症急性呼吸器症候群)のように半年余で完全制圧されそうもない。大きな経済の形の変化を、かなり長い期間覚悟する必要がある。

「集団免疫」(一度感染した人がウイルスの抗体を持って増えることで感染者が減少していくというもの)を作り出すワクチンや治療薬(インフルエンザにとってのタミフル)ができれば、局面はがらりと変わる。新型コロナウイルス禍が、今のインフルエンザの立ち位置になることを意味するからだ。インフルエンザで死亡する人は年間米国で3万7000人(トランプ大統領が挙げた数字)に達する。しかしそれ故に人々の社会・経済活動が大きく制約されることはない。局所対処ですむ。ワクチンや治療薬があるからだ。

これらが広く世界で使われる状態になるまでは、新型コロナウイルスは日々感染者と死者の数が報告される感染症であり続け、それを恐れる世界中の政治家は対抗措置をオン・オフで発動せざるを得ない。それは各国の経済、世界の経済・社会の形を大きく変える。マーケットも「長期化する新たな事態」への反応を迫られる。

ピークアウト

アジアの一部の国で見られる「ピークアウト」(感染拡大の頭打ち)は、いずれ世界の各国にも訪れると思われる。典型的には中国だが、最近ではむごい状態だった欧州の一部の国でも感染者の日々の増加数が減少に転じている。理由は過去に例のない感染拡大防止策だ。多くの国が厳しい入国規制を敷き、必要最低限を除き国内移動も禁止し、大きな都市をロックアウトした。感染症の「感染」は、人と人とのコンタクトで生じるから、「social distancing(人と人が距離を置くこと)」を徹底すれば感染拡大は確実に防げる。

徹底してやった中国では、感染禍の最初の発生地である湖北省・武漢でも「4月8日に封鎖解除」という動きにまで至った。この原稿を書いている3月26日現在で、同省では数日間の感染者が「ゼロ」と報告されている。むろん、「感染者の判定、特に習近平(シー・ジンピン)国家主席が武漢訪問した後の感染者の数え方には問題ある」(武漢の匿名医師の告発)という批判はある。しかし実際に武漢の封鎖解除が4月8日に行われれば、中国におけるピークアウトの何よりの証拠となる。

恐らく世界各国でも、厳しい外出自粛命令、国境封鎖の成果はいずれ出てくる。他の人に感染しなければ、世界各国がメドにしている3~5週間の期間にウイルスは個々の患者の体からは抜けて出る。時には患者を死に至らしめるが、ウイルスの寿命はその程度だと考えられる。だから厳しい規制を敷き、国境を閉じた国でいずれ患者数は減少し、死者も減る。

問題は「その後」だ。急激な経済活動の戻りはあるだろう。中国の政府当局者は最近、「中国経済は今年第2四半期には急速な戻りとなるだろう」と発言した。武漢での工場再開は既に一部で進み始めていた。封鎖の全面解除となれば中国経済は「再稼働歩調」になる。それは間違いなく、良い材料だ。

しかし「新型コロナウイルスをコントロールできた」と自慢する中国でも、他の省では50人前後の新規感染者が今も毎日出続けている。新型コロナウイルスの撲滅が難しいのは、世界中が今実施している「家から出るな」という規制の方法では、家庭内感染を全く防げないことだ。王侯貴族のように数多い部屋を持つ家に住む家族は、「一人一部屋」と分散生活をし、接触を回避できる。しかし世界にそんなことができる家庭は少ない。途上国などでは狭い家に多人数が住むケースが多い。規制を無視する人もいるだろうし、多分コロナ禍は今後も続く。

タイミングの齟齬(そご)

問題は「タイミングの齟齬」だ。例えば、今は中国がピークアウトと生産活動の再開の時期を迎えた。しかし一方で、欧州と米国では感染拡大のピークだ。人々は外に出られない。ネットショッピングの興隆は当然あるだろうが、それでも感染拡大が続いている国では消費総体は大きく落ちる。産業の要である自動車産業が、売れ行き不振で工場の一部閉鎖に追い込まれているのはよい例だ。ネットで車を買う人はまだ少ない。消費水準がある程度保てるのは、ネットで買えるものに限られる。

とすると、中国の経済は今年第2四半期には急速な戻りとなるだろうという発言は、「ピークアウトした中国での需要反転を満たせる範囲」という意味合いだと理解できる。欧州からも米国や日本からも需要があって、それをフルに享受できる中国産業の再活性化を想像するのは難しい。つまり各国によって感染拡大と収束のタイミングの齟齬が生じる中では、なかなか各国の産業を元通りの操業率に戻すことは難しい、ということになる。

別の問題もある。今の世界経済の特徴はサプライチェーン(供給網)が複雑に絡み合う形になっている。中国のコロナ禍が収まっても、チェーンにからむ他の国の感染が収まらない状態ではチェーンが切れたままで、各種部品の調達不足が生ずるだろう。製品を完成できない。労働者の確保も問題だ。中国でも依然として各省での感染状況の差で工場の労働者確保が難しいと報告されている。

特に欧州各国の回復は、難しい問題に直面する。欧州各国が共通にピークアウト後の国境封鎖解除、人の移動の自由を認めないと、経済のレベルを元に戻すことは難しい。今の欧州は「移動自由な国境」という夢は完全に打ち砕かれ、各国が相互に検問を強化し、国境を閉ざしている。相互不信を払拭するには相当時間がかかるだろう。各国の政治は国民の意思に従って動く。政治をおいて経済を統合したEUの限界が今回顕著になった。

高速で持続的な経済の回復、いわゆる「V字回復」は世界全体(少なくとも世界経済の主要プレーヤー国)の感染拡大がほぼ同時にピークアウトし、その後にタイムリーな経済政策による生産・消費の同時回復が前提だ。G7もG20もその意向を示している。しかしそれはなかなか難しい。

金融・財政は常時アクセル

その結果は以下のようなことになると推察される。

1.世界経済の経済活動のレベルはGDPで見て、四半期ベースだけでなく年単位でもかなり低下する。一旦大きく落ちたあと回復するにしても、元の水準に戻るには時間がかかるし、感染の再拡大の危険性(またまたのブレーキ)は常に残る

2.雇用のレベルは一旦大きく落ちた後に経済活動再開で戻るだろうが、元の水準に回復するには時間がかかる。なぜなら感染の再拡大のケースには大規模集会・外出禁止などの事態が予想され、様々な分野で雇用主が人の雇用に慎重になる可能性が強い

3.世界貿易のレベルもなかなか回復しない。世界的な人の移動が元に戻るには時間がかかるし、感染と沈静化のタイミングが世界各国でずれる可能性が高いためだ

ただし、重要なポイントがある。感染拡大がぶり返すケースにおいては「禁止・自粛」というブレーキと沈静化の後の「解除・経済活動の再開」というアクセルは交互に踏まれ、経済のアップダウンは激しい。しかし金融と財政の「超刺激的運用」はずっと続くということだ。利下げは世界的な動きだ。さらに世界中の国は外出禁止、失われた雇用への財政支出を約束している。

個々の企業や個人が受け取れる金額は少ないかもしれないが、国の財政という視点で見るとその額はそれぞれの国のGDPや国家予算から見て非常に大きい。財政や金融がウイルスの特効薬になることはないが、いつもの超緩和期のように実体経済に放出された資金はどこかに向かわなければならない。「cash is king」という考え方は、その一部は家庭や銀行口座を含めて様々なところにホーディング(蓄積)されることを意味する。それはいつでも動き出せるマネーとなる。

一方で、経済実体と企業業績はブレーキとアクセルの入れ替えやその世界的齟齬によってきしむ。しかしそれと同時に金融政策と財政政策はアクセル全開状態。こうした様々な齟齬にマーケットは向かい、きしみを続けることになる。むろん、そこにはチャンスもリスクもある。

ご注意:本コラムは、上記掲載日から2週間程度前に伊藤洋一氏が執筆されたものです。
閲覧される時期によっては、現状に即さないことも予想されます。また、内容には仮定に基づいた記述も含まれます。ご了承ください。