金融そもそも講座

香港、2047年問題

第244回

香港問題の第二弾だ。今回は「2047年問題」を取り上げる。今から「28年後」、英国と中国との取り決めによって「一国二制度」が終了する期限だ。28年後は先のように感じるが、自分の年齢の積み重ねの早さを考え合わせると、「近い将来」という気もする。

前回、香港に24時間滞在したと書いたが、その短い時間でも香港に住む人たち、特に若者の間でこの28年後に対する不安が日々強くなっているという印象を受けた。今回の騒動の根本的な背景は、実はこの「一国二制度の終了」にある。これまで、さらにその後の香港はどうなるのか。若者にとって実に切実な問題なのだ。

最近香港の若者の中に「独立」を目指す動きが出てきているが、筆者には当然の動きのように見える。むろんそれを中国本土の政府は許さない。時間の経過の中で、香港をめぐる情勢は現下の問題以上に緊迫度を増している。

一国二制度とは

そもそも的に一国二制度とは何か、簡単に触れておく。それを可能にしているのは「特別行政区」の制度だ。中華人民共和国憲法(1982年以降)第31条は「国家は、必要のある場合は、特別行政区を設置することができる。特別行政区において実施する制度は、具体的状況に照らして、全国人民代表大会が法律でこれを定める。」と規定。香港とマカオについて全国人民代表大会が「特別行政区基本法」を制定し、2つの特別行政区を設置した。

この「二制度」故に香港の人々はこれまで基本的にはイギリス統治の時とほぼ同じ生活スタイルを保ち、法的権利を享受してきた。だから日本人が香港に行っても、「自分の国とは違う」とはあまり感じない。親しみがある。中国本土に旅行に行けば、橋(戦略的施設との判断)の写真も許されないのとは全く違う。今の中国本土と香港は、実質的に「違う国」に見える。

しかし中国本土政府は、いずれ完全に返還される香港への統治スタイルを徐々に強化・硬化してきた。「いずれ帰ってくる」のだから、その準備を中国としても急がねばならないと考えたのだろう。2014年6月10日に公表された中国国務院(政府)新聞弁公室の白書では、香港特別行政区における一国二制度について「香港固有のものではなく、全て中央政府から与えられたものである」と明文で定義。中央政府がいつでも剥奪できると言っているようなものだ。

これと並び、同年8月31日に第12期全国人民代表大会常務委員会が2017年からの香港の普通選挙制度について、事実上の香港親中派優遇、民主派締め出し策を設けることを発表した。この頃から、香港では中国中央政府の支配力強化に対する強い不安が持ち上がった。

同じような地位にあったマカオが、香港に先行して中国化が進むのを見て、香港の人々の間に警戒感が強まったこともある。マカオでは返還前の一二・三事件(1966年12月3日にポルトガル領マカオで発生したマカオ史上最大の暴動)から事実上本土との一体化が進んだ。今ではマカオは返還後の急成長の原動力となった、中国本土からの観光客に強く依存している状態だ。

遠くて近い2047

香港の人たちに中国本土の人たちとは違う権利(発言の自由、経済的豊かさ、選挙への参加など)を認めてきた一国二制度が始まったのは1997年。イギリスの植民地だった香港が中国に返還されるにあたり「50年間は資本主義を採用し、社会主義の中国と異なる制度を維持する」ことが約束され、外交と国防を除き「高度な自治」が認められた。香港の憲法にあたる基本法には、中国本土では制約されている言論・報道・出版の自由、集会やデモの自由、信仰の自由などが明記されている。

問題は2047年以降の香港がどうなるのかだ。基本的には「一国一制度」になる。ということは、「言論・報道・出版の自由、集会やデモの自由、信仰の自由」などが香港の人たちから剥奪されることになる。それを香港の人々、特に若者は恐れる。繰り返すが、香港は政治環境としては日本など西側の国に近い。皆それを享受し、当然だと思っている。だから、28年後に「そうではなくなる」というのは、香港の人々には皆深刻な問題なのだ。

28年後は中国のサイドから見ると、「もうすぐ。いずれ本土と一緒になるのだから、何を今更」という空気感が有る。しかし各種の自由を謳歌してきた香港の人たちには、その傲慢さが許せない。香港の人たちには、「中国の発展の原動力は我々だった」という誇りもある。

香港の人々にとって「28年後に自分がどこに身を置くべきか」は実に切実で深刻な問題なのだ。香港ではすでに、「お金のある人たちは米国や欧州など海外に出るのではないか」「多くの人たちは台湾に行くのではないか」との見方がかなり人々の口の端に上っている。今も続く逃亡犯条例の改正案騒動は、香港の人たちの先行き不安を一段と強めたと言える。中国は香港との境界線近くに軍隊まで派遣した。香港の人たちの警戒心が強まるのは当然だ。

発想としての“独立”

そうした中で当然出てくるのが独立という発想だ。この文章を書いている9月26日の日経電子版には『「最終目標は独立だ」 香港、一国二制度に不信』という記事がある。「中国70年目の試練」という、とても良い特集の一つで、ここには「一国二制度は失敗だった。最終的な目標は中国からの独立だ」と主張する若者の声が載っている。私の推測では、この声は実は多くの香港人の心の中にあるのではないか。

むろん、中国は将来の台湾を視座に置きながら、それを一番恐れる。「一つの中国」というスローガンの崩壊を意味するからだ。そもそも一国二制度は台湾を想定して作られた制度だと言われる。日本の植民地だった台湾をいかにして中華人民共和国に組み入れるかを討議する中で出てきた発想。しかしそれが実際に適用されたのは香港とマカオ。台湾でも「独立派」が強い勢力を持つ。

香港が抱える現時点の経済問題も深刻だ。香港の大部分の人にとって、マンションは高根の花だし、家賃も非常に高い。今でも普通の若者が部屋を借りるのに苦労するという。加えて物価の高さが大きな問題だ。香港で話をした知り合いたちも、「ここの物価は本当に高い」と言っていた。加えて貧富の格差の大きさ。そもそも不満は充満していたのだ。

香港の家賃・生活費が高い一因は明らかに中国本土から資金と人が香港に流れ込んできているからだ。香港の普通の人々は、それもあって中国本土の人々、中国政府に対する怒りを増している。逆に中国本土の人たちは、「自分たちより先に豊かになったと言って、我々を馬鹿にしている」と香港の人たちに反感を持つ。本土では「香港嫌い」が増えているとも伝えられる。感情的な対立が激化しているのだ。

中国は10月1日に建国70周年を祝う。天安門では大軍事パレードも予定され、そのリハーサルも済んだ。しかし香港の問題は恐らく解決しないままで式典を迎える。この式典を見守る香港の人々の心は複雑だ。

ご注意:本コラムは、上記掲載日から2週間程度前に伊藤洋一氏が執筆されたものです。
閲覧される時期によっては、現状に即さないことも予想されます。また、内容には仮定に基づいた記述も含まれます。ご了承ください。