広がる金利上昇
第217回この原稿を書いている時点で世界の金融市場は、にわかに「波乱含み」になってきている。トルコが拘束中の米国人牧師の処遇を巡る問題から両国関係が悪化し、トルコリラが急落。その一方でニューヨーク市場の株価も、地政学的に重要なトルコを米国が失うリスクや、トルコの米製品輸入規制(関税引き上げ)などから、大きく下落する局面も。世界の市場全体が不安感を強めている。特に途上国市場が動揺しており、こうした中でインドネシアなどは通貨防衛の観点から利上げに踏み切った。
不安感醸成のバックグラウンドは「世界的な利上げ」トレンドだ。先に日本銀行は政策決定会合で「今後も超緩和を継続」とのフォワードガイダンス(将来の指針)を公表したが、その日本でも長期金利は上昇を試す空気が強い。なぜそうなのか。今回は日銀の金融政策の検証を含めて「金利」というものを、そもそも的にも考えてみたい。
低金利のままで良いのか
何かをきっかけに今回のような市場動揺が走る度に、筆者の頭をよぎるのは「日銀には次の危機に対応する政策余地が残っているのだろうか」という点だ。今からちょうど10年前の2008年9月15日に起きたリーマン・ブラザーズ倒産とその後のショックは、今でも衝撃的、かつ記憶に鮮明だ。筆者はNHKの仕事ですぐにニューヨークに飛んだが、その間の株価の下げは息をのむようだった。
今の株価動揺はその当時に比べればまだ小さい。過剰な懸念は不要かもしれない。しかし、しっかりと想起しておくべき事がある。それは、世界があの危機をなぜ乗り越えられたかといえば、世界中の中央銀行がFRB(米連邦準備理事会)や日銀を中心に「超緩和」に一気に突き進み、金利の引き下げ、そして量的金融緩和へと走って、各国ともそれによって経済を支えたからだ。
それから10年。起こってほしくはないが次のリーマン・ショック級の危機が来た時に、世界の中銀の対応はどうなるのだろうか。むろん「マイナス金利を含む利下げ」「量的金融緩和」以外に新たな手法もあるかもしれない。非伝統的な。しかし危機に際して中銀ができることは、お金の価格である金利を引き下げて企業の資金繰りや設備投資がしやすい環境を作ることであり、世の中に出回る通貨の量を増やして経済に流動性を付与することだろう。まずそれが最初だ。恐らくそれは変わらない。
リーマン・ショック後の超緩和政策からいち早く抜け出して利上げを重ね、そして量的金融緩和に終止符を打とうとしているのはFRBだ。米国経済の強さ回復、正常化の歩みがあればこそだが、結果的にFRBは次の危機に対処するための「余地」を作るのに成功しているし、その余地の幅と深さを積み増しているといえる。すでに政策金利は2%に片足を付け、新たな量的緩和の余地も作っている。欧州の中銀も出口戦略に向けて着実に歩み出しているように思う。
心配なのが日銀だ。7月31日の金融政策決定会合後に発表された声明文は、「強力な金融緩和を粘り強く続けていく観点から、政策金利のフォワードガイダンスを導入することにより、『物価安定の目標』の実現に対するコミットメントを強めるとともに、『長短金利操作付き量的・質的金融緩和』の持続性を強化する措置を決定した」となっている。つまり危機対応の視点から利上げによる新たな緩和の余地を作るよりは、「量的・質的金融緩和の持続性を強化」と緩和の深掘りに突き進んだような表現になっている。
上を試す長期金利
しかし実際には、この金融政策決定会合の直後から日本のマーケットでは「長期金利の上限試し」が始まった。日本の長期金利は「上げトレンドに入った」とはとても言えないまでも、「日銀はどこまで長期金利の上げを容認するか」の呼吸合わせが市場と日銀の間で始まっている。声明文からは、緩和の深掘りに突き進んだ、と読める日銀が、なぜマーケットと長期金利の上げで呼吸合わせをする必要があるのか。
それは「量的・質的金融緩和の持続」を前面に出しながら、一方で「(長期金利の誘導目標は)上下倍程度のマイナス0.20%~プラス0.20%程度」と、黒田総裁が記者会見でレンジの拡大を認めたからだ。その意図は、金融機関にいわゆる“累積的副作用”の現実からの抜け道を作るためだ。つまりそれまでの非常に狭い範囲の長期金利幅では金融機関の経営が立ち行かない。それへの対応だ。狭いレンジへの押し込みは、短期間なら良かった。しかし日銀の超緩和政策は、発動されてもう4年になる。
そこに今回の日銀決定のややこしいところがある。一方でフォワードガイダンスにあるように「これからも金融の景色は変わりませんよ…変えませんよ」という窓を見せながら、もう一方で「(長期金利の誘導目標は)上下倍程度のマイナス0.20%~プラス0.20%程度ですよ」という新たな窓も見せた印象。筆者は日銀の発表を見た瞬間に、マーケットは後者(今まで提示されていなかった窓)を試しに行くだろうと思ったが、その通りになった。
意味合い多い“金利”
日銀はその後も0.2%の上限に達しない範囲で長期金利をコントロールしている。振れ幅を抑えているのだ。しかしこれはある意味「出口戦略の一環か」とも受け取れるものだ。上限と下限は設けているが、金利のある程度の上下、実際には上昇を認めているからだ。ここに「曖昧性」「玉虫色」との日銀批判が生ずる。
日銀は長期金利の振り幅拡大以外にも、長期国債の買い入れについては「保有残高の増加額年間約80兆円をメドとしつつ、弾力的な買い入れを実施する」とし、ETF(上場投資信託)およびJ-REIT(不動産投資信託)については「資産価格のプレミアムへの働きかけを適切に行う観点から、市場の状況に応じて、買い入れ額は上下に変動しうるものとする」などの措置を打ち出し、柔軟に動ける余地を広めた。危機対応を念頭に置いたのかもしれない。ここから「今回日銀が打ち出した措置は事実上の正常化策だ」(実態は金融正常化策 野村総研エグゼクティブ・エコノミスト 木内登英氏、8月8日付 日本経済新聞 朝刊)といった判断も出てきている。筆者もこの意見に賛成だ。しかし問題は、フォワードガイダンスでは「量的・質的金融緩和の持続」を宣言していることだ。
4年におよぶ日銀の超緩和政策の中で筆者がずっと考えてきたのは、「一体この成熟経済の中で超緩和策はどのくらい政策的意味合いがあるのか」ということだ。成熟経済とは、企業が大量の資金を必要とする高度経済成長期も終わり、大手企業がむしろ貯蓄を増やし、そして資金需要があってもそれを満たす様々な方策(クラウドファンディングを含め)も出てきた状態。そして国民も高齢化の進む中で資産をある程度増やした環境、を指す。
筆者は子供の頃、もう働いていないおばあちゃんからよく小遣いをもらった。「なんでこの人は孫にやる小遣いがあるのだろう。働いていないのに」と思った。その秘密は金利だった。当時貯金金利は6~8%だった。この金利は資産のある人にはうれしい。その頃から、資産国家には金利高は景気刺激策という今の判断になった。この問題はいずれまた取り上げたいが、あまりにもの低金利は(資金潤沢な)企業も国民も歓迎しないし、通常時においては適切な金融政策とはいえないのではないか。そういう気がしている。金利にも様々な側面があるのだ。