金融そもそも講座

自動運転、その課題と可能性

第172回

今回はちょっと目先を変えて、既に株式市場では材料視される銘柄が出るなどしている「自動運転技術」に関して、現在抱えている問題・課題を含めて将来の可能性を考えてみたい。先日、筆者(私)自身、首都高速で実際に運転席に座って体験した。政府も自動走行システムを「国家プロジェクト」に格上げしている。今後もこの技術に関する話題は増えてくると思われるので、先行的に取り上げたい。

試乗の印象

まず私自身の体験から。乗ったのは9月末、米テスラモーターズの「モデルS」。世界で最も自動運転車として認識度の高い車の一つだ。同社のショールームは東京青山の伊藤忠商事東京本社の前にある。最初、テスラ社員のKさんが「出発→青山三丁目交差点を左折→西麻布通過→天現寺左折」まで5分ほどお手本運転をしてくれた後、運転手を交代。私が運転席に座り「天現寺の高速入り口→霞ヶ関通過→新宿方面ルート→外苑出口→絵画館前の銀杏並木→右折→帰着」という道程で運転した。

私が体験したのは自動運転と自動縦列駐車。これは完成品だと思ったのは、自動縦列駐車だ。銀杏並木通りでスペースを見付けて前の車(たまたまタクシーだった)の横に付けて行った。面白かったのは、車が自動で自動縦列駐車を感知すること。その段階で車両後方の様子がパネルに映し出され、後方の空きスペースが「駐車スペース」と表示される。なかなか賢い。「開始」を押すと、サッと後退して、ピシッとそのスペースにはまり、そして少し前進して終わり。これは体験した瞬間に「使える」と思った。

自動運転はどうだったか。天現寺から首都高に入ってしばらくして、「やってみますか」と言われたので「いきましょう」と私。霞ヶ関のトンネルに入る前辺りから、ハンドル左下の自動運転コントローラーを二度引いて開始。直ぐに自動的に設定速度(確か時速68キロだった)に到達し、その後は私の判断・行動を必要とせずに車は進行した。

しかし初めてのこともあって、運転者としての私の気持ちは不安だった。「本当に首都高は狭くて曲がりくねっているのでなかなか難しいのですが」とKさん。今それを言うかなと思ったが、実際に右手にホテルニューオータニを見ながら下りの左カーブの時には、ちょっと車体の右の頭が車線を出るくらいに微妙に振れた(隣に車はいなかった)。「今、振れたね」と私が言うと、「そうですね。首都高はちょっと狭いですから」とK氏。多分右サイドに車がいなかったからだと思うが、車線頼りの自動運転も場所を選ばねば・・という印象が残った。自動運転については、運転する人の完全な安心感を得るためには技術的な向上とその積み重ねが欠かせないし、まだまだ課題も多いと思った。

残る課題

まず必要なのは、使用者に対する教育だと思う。実体験したが故にそう思う。最大のポイントは、自動という言葉にはほど遠い前提条件だが、自動運転という統一的な基準が世界の自動車メーカーの間でできているわけではないという点だ。

例えば私が乗ったのはテスラSだが、その「OSのバージョン」は7.2だったと思う。OSのバージョンというといつも私たちが使っているパソコンやスマホにも関連した表現だが、実際に自動運転の代表であるテスラは、ある意味「走るスマホ」だ。運転席に座るとそう思うし、将来の自動運転車もおそらくそうだろう。

スマホのバージョンアップでも、今までできなかったことができるようになる。我々も「あ、これができるようになったんだ」と思い、それを学ぶ。使い方を含めて。私が聞いたところによるとテスラSのOSバージョンもまもなく8.0にアップされるらしい。そうすると今までになかった新しい機能が付与されたりする。今までできなかったことができるようになる。スマホと同じでそれは、車が買った時に比して段階的に機能変化することを意味する。

となれば、自動車とは一歩間違えば殺傷兵器にもなりかねない危険性をはらんでいるわけで、使用者は「何ができて、何ができないのか」を毎回しっかりと確認しなればならない。自動運転車は従来の車のように「買ったときの能力のまま変化しない、直ぐ慣れるもの」ではないのだ。常に変化する、ここが重要だ。

テスラのSという一車種でもOSのバージョンが変化すれば、車の機能は変わる。ましてや自動車メーカーが別だったり国が変わったりすると、一口で自動運転車と呼んでも、その中味は全く違った機能体になる。メーカーが数限りなく存在し(アップルも狙っているとされる)、そして同一車種でもOSのバージョン更新で変わる多様な補助運転機能(スピード調整、ハンドル機能の不要など)を「自動運転」という一言で表現するのは危険極まりないとも思える。

なぜなら今各社が発表している“通称”自動運転車は、中身をめくって見るとそれぞれ全く異なるからだ。高速道路内での同一車線での追尾走行ができる事をもって自動運転車と称しているメーカーもある。随分不自由だし、現実にあっていないので、自動とは呼べない代物だと思う。

一番問題だと思うのは、各種の通称自動運転車がレンタカーに採用されたときだ。自動と聞いただけで運転者は「何もしなくてよい」と思うかもしれない。しかし実際には自動運転車は、できる事できない事がはっきりしている。メーカーごと、車種ごと、そして車種のバージョンごと。他の人のスマホがとっても使いにくいのと似ている。レンタカー会社は今と違って、自動運転車を導入したら、その中身の説明に時間を割かなければいけなくなる。

今回は敢えて書かなかったが、自動運転には法的問題も多い。道路インフラの一段の整備、より詳細な3D地図(高さが重要になる)、それに5Gが必要とされる電波環境の整備なども必要だ。

広がる可能性

もっとも可能性は広がり続ける。テスラSに実際に乗ってみると、全体的にはスムーズだし切れも良い。「まずまずかな」と思った。私の自動運転体験に付き合ってくれた営業マンのKさんは、名古屋の営業所にテスラ車で移動することがよくあるらしいが、「東名、新東名だと本当に楽なんですよ」と。そうだろうと思う。首都高のあの入り組んだ道、分岐が山ほどある道に比べて、動脈的な高速道路はよくできているし、ナビをしっかり入れておけばよいだろう。

まだ先だと思うが、仮に自動運転で本当に人間がやることが極小化されて、法律問題も片付いた折には、この新しい製品が社会に役立つことは明確だ。最近も高速道路の側道に故障で止まっていたバスにトラックが追突し、死傷者が出るという事故があった。自動運転が本格的に普及すれば、おそらくその手の事故はなくなる。神経を使う渋滞での走行中には(今は許されない)テレビ視聴も可能になるかも知れない。しかも安全に。高齢化社会が進展し、地方での交通手段が減少する中で、完成した暁には自動運転車の果たす役割は大きいだろう。メリットは限りなく増えると思う。

一方で「やはり車は自分で運転したり、スピードを調整したり、ハンドルを切るのが楽しい」「自分で運転した方が爽快だ」という人も、今後何十年にわたって残ると思う。つまりこれからはかなり長い時間、通称自動運転車と運転手が自らの判断で運転する車の二種類が共存することになると思う。これはなかなか難しい時代が到来することを予感させる。問題は一つ一つの課題にきちんと対処できていけるのか、という点だ。

最初に書いたように、株式市場でも自動運転は時々材料として登場する。しかし相場の流れを大きく変えるようなものには、なっていない。多分それはマーケットも自動運転に関して多くの疑問を抱えているし、社会的な受容の問題や法律問題の解決を待たねばならないということを理解しているからだと思う。しかし自動運転は人類が近い将来、大いにそのメリットを享受する技術の一つではあることは間違いない、と思う。

ご注意:本コラムは、上記掲載日から2週間程度前に伊藤洋一氏が執筆されたものです。
閲覧される時期によっては、現状に即さないことも予想されます。また、内容には仮定に基づいた記述も含まれます。ご了承ください。