金融そもそも講座

各国経済の強さと弱さ PART30(中国編)中国経済の構造転換や成長の阻害要因とは

第159回

久しぶりの中国についての連載再開では、改革を阻止しているものは何かを書こうと思う。中国経済は今大きな曲がり角に立っている。従来のように高い成長率を維持できないことは明確で、実際に成長率は下がってきている。「2010年からの10年で国民一人当たりのGDPを倍にする」(中国版国民所得倍増論)という習近平主席の就任時の約束実現が怪しくなっているのだ。安い労働賃金を武器に、資源を輸入し製品を輸出するという成功パターンは、ここ数年に及ぶ人件費の急上昇の中で継続が難しくなりつつある。消費主導で国内経済構造を変え、さらに高度な商品生産に移行して新しい経済の形を作らねばならないのだが、それがなかなか進まないのだ。

賃上げに急ブレーキ

最近筆者の耳に入ってきた話から始めよう。それは「今までかなりの速いペースで賃金を上げてきた中国が、その上昇に急ブレーキをかけ始めた」というものだ。これは中国進出企業の複数の関係者から私の耳に入ってきた。ここ数年の労働賃金のアップは中国の企業経営者も音を上げるほど激しいものだっただけに、注目すべきだろう。実際に労働賃金のアップは実に急だった。去年の場合、広東省は年初に「最低賃金を平均で19%引き上げ、労働力不足や生活費上昇に対応する」方針を明らかにし、その州都・広州は昨年5月から月額最低賃金を22.2%引き上げ、1895元(302ドル)としていた程だ。単年度の方針だから驚く。

それに急ブレーキをかけたとしたら、二つの意味があるように思う。中国における最近の賃金引き上げは政府が先導してきた面が大きい。その政府もさすがに、労働賃金の上昇が中国産業の競争力に与える打撃を考慮せざるを得なくなったという側面。中国企業の中からさえも、タイやベトナムへの工場進出が始まっていたので、労働賃金の上昇を抑えにかかったというわけだ。もう一つの側面はもしかしたら、もっと根本的に、中国が今まで目指してきた製造大国から製造強国への構造改革方針を一部諦めたのではないか、とも思われる点。製造大国とは、安い労働賃金・豊富な労働力と優れた投資環境・インフラの整備があればできる。今までの中国はそれによって豊かになってきた。世界の工場の道。しかしそれが新興途上国の台頭などで徐々に行き詰まってきた。

そこで今の中国が目指しているのは製造強国への道だ。たった一字違いだが、製造大国と製造強国ではまったく違う。製造強国とは、多少の高賃金労働者を抱えても性能、品質、納期等々で日本やドイツなどに伍していける製品を作れる国である。それには製造業の効率化による競争力強化、高い品質維持、斬新で消費者をつかまえる製品感性の達成が必要になる。そうなれば労働者の賃金が日本やドイツ並みに上がっても、中国の製造業は世界で戦っていける。そして国民の購買力は上がる。ナイスな道だ。

しかしどうやら中国は労働賃金や最低賃金の引き上げを抑え始めた。これは戦術論か、それとも基本戦略の変更か。足早でなくても労働者の賃金は上がった方が国民経済的には良い。今までの投資・工場生産主導の経済から消費主導に移行できるからだ。中国の消費は比較的活発だ。日本に来る中国人消費者の爆買い一つを見ても分かる。しかしGDPに占める消費の割合は依然として国際水準から見れば低い。本当はまだ上げる必要があるのだ。
ところが賃金上昇抑制の動きが耳に入ってくる。それは構造改革への強い抵抗や障害を中国が認めたようにも見える。

改革を拒む既得権層

ではなぜ中国が世界の工場と表現される製造大国から製造強国への道を素直に歩めないのか。考えれば中国は13億の人口を抱えており、デファクト・スタンダード(世界標準)の地位を築きやすいはずだ。EUの合体はそれを狙った。しかしそうはなかなかならない。我々の身の周りにある高級な品質の良いもので、中国の工業製品はない。

それは中国の内部に製造強国になれない、いくつもの抵抗要因があるからだ。一つは中国経済の、より一段の市場経済化を妨げる国有企業問題だ。これは「ゾンビ企業問題」とも呼ばれる。中国でも民間企業と呼ばれる企業集団は意思決定が素早く、市場の要請に敏感に反応し、結果的に中国経済の構造転換を促進する存在となっている。競争力も高い。しかし中国の場合、各業界で中心的役割を果たす大きな企業はほぼ例外なく国有企業であり、それらの多くは低効率であって、コーポレート・ガバナンスが弱い。

日本などの先進国でも大企業病と呼ばれるものはあるが、中国の場合はそれ以上に大規模国有企業の改革に対する鈍さが、経済構造の転換を妨げている。先進国の民間企業なら、最近の日本でも具体例が見られるように、経営悪化から経営行き詰まりの道をたどって、最後は国内・海外企業などに買収されたりする。つまり自己責任の原則が貫かれる。しかし中国の国有企業は、いってみれば政府の手と足の側面がある。中国の企業の場合、大小を問わず経営陣には二種類の人間がいる。一つは本当の経営者、そしてもう一つは共産党から来ている監視役の人々だ。

中国では企業を問わず組織という組織に共産党が入り込んでいる。共産党が中国の軍隊を握っているように、企業の経営も最後のところは共産党が握る。企業規模を問わず。この二つの司令塔の存在が、特に国有企業の動きを鈍くしている。色々な思惑が交錯するからだ。効率化も常に念頭にあるのだろうが、ゾンビ企業でも組織が強ければ共産党にとっては価値がある。そこには恐らく属人的な側面もあるだろう。出世を狙う企業内共産党の人間は、業績を良いものに見せかけようとするかもしれない。とにかく統計を見ても明らかなのは、国有企業が中国経済の足を引っ張っているという事実だ。

体制そのものが障害

ところが中国はちっともこの大企業改革に乗り出す意図がない。むしろそれを強化している。去年の秋に中国は、「企業のトップはまた企業内共産党組織の書記(トップ)でなければならない」といった共産党の支配優先の規則を明確化した。これには世界中が驚いた。

むろん改革案の中には「民間資本を入れる、企業統治の考え方を導入する」など、改革を進めたい事を示す内容も含まれている。国有企業の整理・統合も進めるとも述べている。しかしその後実際に行われた整理・統合とは、一層の国有企業の巨大化だった。共産党組織のトップが企業組織のトップに立つということは、中国の大企業においては企業としての論理より党の論理が優先されることであるのが明確。要するに共産党の支配を企業組織の隅々まで行き渡らせるのが目的なのだ。筆者はこの改革案を見て、改革じゃなくて改悪だろうと思った。

そんな組織では、新製品なんて思いついても評価されないことは明確だ。考えてみれば今の共産党の支配体制そのものが、中国経済の構造改革、足早の成長を阻害しているともいえる。共産党の党員であることが企業の中で出世の階段につながるとしたら、企業の中の誰が研究や新製品開発に力を注ぐだろうか。共産党には富と権力が集まっているから、そこに身を置いた方が利益の分配に参加できる可能性が高い、と中国の人々が考えるのも分かる。つまり新技術や新製品を生み出そうという誘因が働かないのだ。しかし企業としての競争力が欲しいとなると、技術や新製品の設計は「どこかからサイバーセフト(情報の窃盗)で持ってくれば良い」という考え方になる。世界中のあらゆる企業が中国からのこうした脅威にさらされているといわれる。

また中国は言論の自由を認めない。「核心」と呼ばれ始めた習近平主席の権威を脅かすような記事を少しでも書けば、直ちに警察に長期間にわたり拘束されるケースが多い。皆がそれにピリピリしている。一方で汚職追放の動きは強まる一方だ。今度は誰だと皆が恐れる。最近は企業の幹部も狙われる。そのような環境では、何もしないのが賢明とばかりに怠業が広まる。役所でも企業でも。何かしようとしてどこかと大きな契約を結べば、賄賂でももらっているのではないかと疑われるのが関の山だからだ。
こうした自由な発想、自由な発言を敵視するような今の中国社会の形そのものが、実は今後の中国経済の構造転換や成長の阻害要因になると予想できる。(

ご注意:本コラムは、上記掲載日から2週間程度前に伊藤洋一氏が執筆されたものです。
閲覧される時期によっては、現状に即さないことも予想されます。また、内容には仮定に基づいた記述も含まれます。ご了承ください。