1. いま聞きたいQ&A
Q

「インフレ」ってなんですか?

今回のご質問は株式市場から少し離れて、経済全般に関わるものです。「インフレ」という言葉は最近よく耳にするようになりました。耳にするどころか、アメリカの金融市場はこのところ26年ぶりの高い物価上昇率など、インフレを巡る話題で持ちきりです。

少し前までは「デフレ」という言葉が世界中であふれかえっていましたが、今やデフレに代わってインフレがマネー市場の大きな論点になってきました。その原因はやはり原油価格が史上最高値まで値上がりしたためでしょう。インフレ、デフレを巡る議論は経済学の本質に触れる部分ですので理解しにくいところもありますが、できるだけ実際の経済に即して見てゆきましょう。

まずは用語の説明から始めます。インフレとは、経済学上の用語で「インフレーション(inflation)」の略称で、モノの値段が継続的に値上がりするような状態を指します。デフレはモノの値段が継続的に値下がりする状態なので、ちょうど正反対の状態を表します。簡単に言えば、インフレは物価が上がっている状態、デフレは物価が下がっている状態です。 景気がそこそこよくて、世の中も安定しているような正常な経済の状態では、物価は年間で2~3%は上昇すると言われています。景気がよいために企業や個人のカネ回りもよくなり、それがモノに向かうため物価の上昇が起こります。

年2~3%のインフレが正常な状態であるとしたら、90年代後半から2003年ごろまでの日本経済は異常な状態にあったと言えそうです。当時は物価がどんどん値下がりするデフレ経済の中にありました。デフレ経済では企業が作った製品はどんどん値下がりするので、せっかく作っても売上高は減ってしまいます。売上が減ってしまった企業はリストラの一環で従業員をカットするため、失業者が街にあふれ、残った従業員も賃金が減らされてカネ回りは悪くなり、ますます物価は下がります。これがデフレの怖さです。

インフレは好景気で起こり、デフレは不景気で起こりやすいのですが、何もインフレはよい側面ばかりではありません。インフレにも正常なインフレと異常なインフレがあります。異常なインフレとは、たとえば1カ月で物価が10倍~1000倍にも上昇する狂乱的な物価の上昇です。これは「ハイパーインフレ」と言われ、第2次世界大戦後のドイツや日本、1980~90年代のブラジルやアルゼンチン、最近では1997~98年のロシアで起こりました。

特に第2次大戦後のドイツでは(日本もそうでしたが)、靴1足、バター1キログラムが労働者の4カ月分の給料と同じ値段にまで暴騰しました。このような状況ではドイツ国民は生きてゆくことができません。終戦直後のドイツ経済は、混乱という状態を超えて破壊されたと言ってもいいほどです。

実際に第2次大戦によって、敗戦国のドイツと日本の経済基盤は徹底的に破壊されました。そこではモノが絶対的に不足する一方で、それまでの戦費調達のために大量の国債が発行され、紙切れとなったおカネが街にあふれかえっていました。モノの価値が上昇し、マネーの価値がゼロに等しくなったため、歴史的なハイパーインフレが発生したのです。

インフレやデフレはなぜ起こるかというと、「需要と供給」の大原則にたどりつきます。経済を支配している最も大切な原則が「需要と供給」です。株価の上昇や下落、物価の上昇や下落もまさにこの原則から説明できます。需要が多ければモノの値段は上がり、需要が少なくなれば値段は下がります。また、需要が多くてもそれを上回る供給があれば、やはり物価は下がります。逆に少ない需要でも、それを満たす供給がなければ物価は上がることになります。

この20年間というもの、日本はインフレとデフレの間で大きく揺れ動いてきました。80年代の土地バブルとは、土地という資産の値段が大きく上昇する「資産インフレ」そのものです。その土地バブルが崩壊した90年代の日本は、長期間にわたって「需要」がほとんどありませんでした。ここで言う「需要」とは、主に民間企業の設備投資、個人の住宅投資、個人の消費活動の3つを指します。

そこで政府は自ら需要を創り出そうとして、公共投資を中心に経済対策を10回以上も発動したのですが、いずれも単発的で日本経済のすみずみにまで効果が浸透することはありませんでした。(すみずみにまで効果が浸透すると、民間企業の設備投資、個人の住宅投資、個人の消費活動が次第に活発になってゆきます。)

何よりも大手都市銀行や地方銀行が不良債権(=貸したおカネが戻らない)に圧倒されて、おカネの貸出がほとんど行われませんでした。不景気ゆえに借り手もほとんどいなかったという状態で、デフレ不況は次第に深刻化してゆきました。

そこで日銀は1999年2月に「ゼロ金利政策」の発動を決定しました。金利とは「おカネの値段」です。おカネの値段である金利をゼロにするということは、おカネを無価値にすることに等しいわけです。金利ゼロのおカネを使って、まず世の中で停滞しているおカネの流れを回復させよう、それと同時におカネの相手側であるモノの価値を「相対的に」値上がりさせよう、それが日銀のゼロ金利政策の目的でした。つまり意識的にインフレを創り出す政策に打って出たことになります。

ちょうど同じ時期に米国ではITバブルが起こりました。日本でも2000年春を頂点として、IT産業を中心に景気回復の芽が出たように感じられたものです。日銀のゼロ金利政策がうまく機能したかに見え、2000年8月にはひとまずゼロ金利政策は解除されました。しかしその直後に米国でITバブルは崩壊し、再び日本は激しい不況に直面しました。日銀はわずか半年後の2001年3月に、ゼロ金利政策をさらに一歩進めた「量的緩和政策」を発動することになったのです。

量的緩和政策とは、金利の水準にはとらわれず、市場にどんどん資金を供給しようという政策です。日銀は世界的に見て例のない非常事態の政策運営を採用したのですが、量的緩和政策がゼロ金利政策と最も異なる点は、インフレに対する政策の目的をさらに一歩進めて「インフレターゲット政策」を打ち出したことです。期限を区切っていつまでに物価上昇率をゼロ以上にする、と日銀がはっきりと打ち出すことで、市場に対してインフレ予想を創り出すことを狙ったものです。

それから5年近くが経過しました。量的緩和政策によって日本の金利はずっとゼロのままの状態です。この間、2001年12月のWTO加盟をきっかけに、中国が世界経済に大きく躍進するようになり、中国の経済発展に伴って原油や銅、アルミ、ステンレスなど産業の基礎素材が大量に消費されるようになりました。

中国という「眠れる獅子」が一大成長国家として忽然と出現したことで資源・エネルギー価格が一気に上昇し、原油価格はこの9月についに70ドル台に乗せました。それがインドやロシア、ブラジルなどの資源国経済を活性化させており、世界的な一次産品ブームが湧き上がっています。

これらの動きが素材価格の上昇を通じて、マーケットのインフレ心理に火をつけています。日銀の量的緩和策はそろそろ本来の目的を果たしたと言ってもいいでしょう。残された問題はいつ量的緩和政策を解除するか、言い変えれば中央銀行としていつ正常なスタンスを取り戻すか、という点に移っています。(続けて)正常な政策スタンスに戻るだけとはいえ、それはそれで金利が上昇することになるため、マーケットの心理は揺さぶられます。インフレとデフレ、人間の営みすべての根幹に関わる奥の深い問題です。

ご注意:「いま聞きたいQ&A」は、上記、掲載日時点の内容です。現状に即さない場合がありますが、ご了承ください。

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