7月21日の日本時間・午後8時に中国人民銀行(中国の中央銀行にあたります)は、人民元の対ドルレートを2%切り上げると発表しました。そのニュースはすぐに全世界を駆け巡り、マネー市場はその後の動きを固唾を呑んで見守ってきました。人民銀行の決定から3週間近くが過ぎ、現時点では極端に大きな影響は出ていないようです。しかしその直後から原油価格が再び上昇を開始するなど、部分的にはいくつかの変化が確認されつつあります。
この決定以来、読者の皆さんからは人民元切り上げに関する質問がたくさん寄せられています。今回と次回と2回に分けて、代表的なものをいくつか説明いたします。
(1)人民元の切り上げ問題とは?
通貨の切り上げは、その国の経済が発展する過程では避けては通れない問題です。これまで中国は、人民元のレートを米国のドルに対して1ドル=8.28元にほぼ固定する固定相場制を採用してきました。円やドルと違って、人民元への交換はまだ完全には自由化されていません。少しでも人民元相場が変動すると中国人民銀行が為替市場に介入して、1ドル=8.28元になるように調整していました。
7月21日に発表された人民元切り上げは、この1ドル=8.28元という固定レートを1ドル=8.11元に2.1%引き上げるというものです。より正確に言えば、人民元の動きをドルに対して固定する「固定相場制」から、市場の需給関係に基づいて通貨バスケットを参考に人民元レートを決定する「管理変動相場」に移行するものです。それだけ世界貿易における中国の経済的な実力が強まってきたことを示しています。
歴史的に見て、ふたつの国の間でモノの貿易がさかんになってくると、必ずといってよいほど通貨の交換レートの問題が浮上します。みんなで幸せになれればいいのですが、貿易の世界ではなかなかむずかしいようです。
一般的に通貨レートの低い(安い、弱い)国は輸出が有利で、その反対に通貨レートの高い(強い)国は輸入が有利です。経済的な力がまだ小さくて為替レートの低い国は、貿易の世界では「通貨安」というハンディキャップをもらっているようなものです。その国が世の中で経済的な実力をつけてくると、いつまでも世界はそのハンディキャップ(低い為替レート)を許してはくれません。早く対等に競争しろ、とハンディキャップをはずすように求められるようになります。
1ドル=300円時代の日本が苦労の末に実力をつけて、対米自動車輸出を増やしたら貿易黒字が増えて(米国は赤字が増えてしまって)、その結果として1970年代には大幅な円切り上げを求められました。
日欧米など経済力の強い先進国では、為替レートが市場での売買量(貿易量)に応じて決定される変動相場制が採用されています。まったくハンディキャップのないところで、貿易という激しい競争を行っています。しかし経済力の弱い国の多くは、国内経済を保護するために為替変動に制限を設けています。為替レートが安ければ輸出に有利だからです。
かねてから米国は、人民元がドルに対して15~40%も割安であると主張してきました。米国に対する中国の貿易黒字は、今年前半には396億ドルにも拡大し、1年間を通じては昨年に比べて2倍近くになると見られています。安い中国製品に市場を奪われるという選挙区の事情を抱える米国の議員の中には、中国に対する制裁法案を発動して、中国からの輸入品に対して30%近い相殺関税を課すべきだ、と声高に主張する向きもあります。
OECD(経済協力開発機構)やG7は、今回の中国人民銀行の決定を歓迎するというコメントをすぐに発表しました。しかし米国の中にはまだ不満がくすぶっているようです。今後も米国からは段階的に人民元切り上げを求めるような動きが出てくると予想されます。
(2)通貨バスケット制とは?
「通貨バスケット」とは、ある国が通貨の交換レートを決める時に、いくつかの国の通貨を選んで、まるでバスケット(かご)に入れたひとつの通貨のようにみなして、一定の基準で計算する方式のことです。
今回の中国人民銀行の決定は、人民元のレートを通貨バスケットを参考にして決定する、としています。その結果、1ドル=8.11元となりました。ただ、通常の通貨バスケット制では、相手国との貿易の金額に応じて通貨がウェートづけられますが、今回の発表ではどの国の通貨がどの割合でバスケットに入っているかは、はっきりとは明らかにされていません。
人民銀行の発表によれば、今回の新制度では、ドルを含む主要通貨(ユーロ、円など)と元との取引の状況から、人民銀行が毎日夜のうちに基準になる為替レートを発表します。その上で翌日の取引で、この基準レートを中心に上下0.3%の変動を認めるとなっています。それ以上のことは発表されていません。
通貨バスケット制度のメリットは、為替レートでの急激な変動を抑えることができる点にあります。これは貿易量に応じてバスケットの為替レートが変動するためで、ある国の通貨との間で起きた変動幅がバスケット全体の中では緩和されるからです。
長らく固定相場制を採用してきた中国は、世界経済の中での存在感が急激に高まったために人民元相場の見直しを迫られたわけです。しかしここで一気に変動相場制にすると、人民元が急騰してしまう恐れがあり、沿海部と内陸部とで経済力に大きな格差のある中国の国内経済が不安定になります。そのためにできるだけ穏やかな変化が期待できる通貨バスケット制を選んだと考えられます。
中国人民銀行はバスケットの中身だけでなく、その運用方針も明らかにしていません。実際にバスケット制が導入されて3週間近くが経過しましたが、人民元の値動きは小さくほとんど固定相場制のような状態が続いています。透明性の確保や今後のレート変更方針など、まだしばらくは議論が続くと見られています。