高レバレッジ経営にまい進した投資銀行
米国の金融危機の影響は、当初の想像をはるかに超えて大きくなりつつあります。金融危機は欧州や日本をはじめ世界各国に広がり、実体経済にも影響を及ぼして、世界的な景気後退が現実味を帯びてきました。新興国では資金の海外流出が進み、アイスランドやハンガリーなど、「国家の破綻」が危惧される国さえ出てきました。もはや金融危機のレベルを通り越して、世界的な経済システム危機の様相を呈してきたと言えるかもしれません。
そもそもの発端は、言うまでもなく米国のサブプライムローン問題です。しかし、市場関係者のあいだでは「サブプライムローンが原因にならなくても、遅かれ早かれ他の金融商品や市場の問題が同じような危機を招いたはずだ」という意見も聞かれます。すなわち今回の金融危機の根っこには、世界の金融や経済が抱える構造的な問題点があった、というわけです。
その一例として、投資銀行のビジネスモデルや米国型資本主義の弊害を指摘することができると思われます。
欧米の投資銀行は近年、ローンを小口に分割して販売する証券化ビジネスや、デリバティブ(金融派生商品)などの複雑な取引を通じて高収益を上げてきました。とくにここ数年は、負債を自己資本の何十倍にも膨らませる「高レバレッジ経営」(レバレッジ=テコの原理)が、投資銀行の代名詞のようになっていました。
レバレッジ経営では、たとえば以下のような投資がおこなわれます。金利が4%の証券化商品(4年満期の債券)に投資をする場合、手持ちの自己資金が50億円しかなくても、金利3.8%で950億円を借り入れて(期限6カ月)、1,000億円分の投資をおこないます。50億円だけ投資した場合の年間利回りは4%ですが、1,000億円を投資して借入金の金利を差し引いた場合の年間利回りは次のようになります。
- ・収入:1,000億円×0.04=40億円
- ・支出:950億円×0.038=36.1億円
- ・収益:40億円-36.1億円=3.9億円
- ・利回り:3.9億円÷50億円=7.8%
このように、投資銀行は短期の借り入れを繰り返しながら金利差を抜く、いわゆる「サヤ取り」のビジネスを大掛かりに展開しました。結局はこの高レバレッジ経営がサブプライムローン問題を通じて破綻し、投資銀行は窮地に追い込まれたのです。投資銀行のビジネスモデルは今後、大きな変容を余儀なくされることでしょう。投資銀行業務そのものは存続しても、かつてのような高収益はもはや期待できません。M&A(合併・買収)の助言・仲介など、「産業再編を支援する黒子」としての本来的な役割へと回帰していくことになりそうです。
金融が本来の役割を離れて肥大化した
より高い収益源を求めた投資銀行の行動は、今日の金融市場や世界経済のあり様を象徴しているように思われます。たとえば、世界的に低金利が続いて収益機会が乏しくなるなか、投資銀行をはじめとする米国の金融サービス産業は、短期利益を求める株主のプレッシャーを最前線で受け続ける存在でした。極論するならば、株主も暴走を始めていたわけです。これは株主利益を偏重する、米国型資本主義の弊害と言えるかもしれません。
米国は80年代半ばから90年代以降、金融工学をはじめとする先進のテクノロジーを用いて、金融部門で多額の収益を上げてきました。その稼ぎで米国は世界中からモノを買い、大幅な貿易赤字を生むことになります。一方で、中国などの新興国はもちろん、日本も米国への輸出によって経済成長を維持してきたのです。米国の過剰消費を支える金融は、自由化・グローバル化・工学化という流れのなかで、経済活動の潤滑油という本来の役割を離れて、経済活動の主役にのし上がっていきます。
その過程で、「すべての経済問題は市場が解決する」という市場原理主義や、「リスクを取った責任は自己で負う」という自己責任の原則、「富の最大限化は市場の力に委ねるのが最良であり、政府は極力手出しを控えるべき」といった信条などが世界中に喧伝され、金融市場の正しさや万能さが強調されました。しかしながら、今回の金融危機において、これら米国流の金融資本主義を代表する価値観はいずれも覆されたり、懐疑の目にさらされています。
要するに、金融の「富を生み出す」という側面が過剰にクローズアップされ、肥大化しすぎた反動が、今回の金融危機だったのではないでしょうか。これまで世界経済を牽引してきた、金融を核とする米国型経済モデルが危ういものとなったいま、新たな経済モデルや世界秩序の構築を模索するプロセスが始まったと言うこともできます。同時に、金融が生み出す本来の経済的価値とは何なのか、もういちど世界中がじっくりと考え直す必要もあるでしょう。